里帰り1

 現世で言う八月が近付いたある日、閻魔殿の広間にいた珠美に閻魔が言った。


「珠美。もうすぐ繁忙期に入って、残業が多くなると思うから覚悟しておけ」

「え、地獄に繁忙期なんてあるんですか?」


 珠美が驚いたように言うと、閻魔は頷いて言った。


「毎年、現世で言う八月と年末年始には地獄が忙しくなる」

「年末年始は分かりますが、何故八月が忙しくなるんですか?」

「八月には、お盆があるな?」

「はい」

「お盆という事は、亡者が現世に里帰りするという事だ」

「……ああ、そう言われればそうですね」


 閻魔は、溜息を吐いて言った。


「毎年いるんだよ。現世に留まったまま、地獄に戻ってこようとしない亡者が」


       ◆ ◆ ◆


 それから八月に入り、地獄は本当に忙しくなった。亡者が現世に里帰りする為の許可証の発行、亡者に里帰りをする上での注意事項を伝える集会の開催等、沢山する事がある。

 珠美も目まぐるしく働き、生前社畜だった時の記憶が蘇る程だった。それでも、地獄では獄卒達がお互いを思いやって仕事を手分けしており、精神的に大分楽なのが救いだ。


 お盆の前日、閻魔に執務室に呼び出された珠美は、いきなり閻魔に言われた。


「珠美、お前、お盆が終わる日に私や菖蒲と一緒に現世に来い」

「え、閻魔様や菖蒲様が現世に行かれるんですか!?」


 珠美は目を丸くして言った。現世に留まろうとする亡者を連れ戻す為に獄卒が現世に行くという話は聞いていたが、まさか閻魔自らが行くとは。


 閻魔が疲れたような顔で言葉を続ける。


「ああ、例年は私自らが行くなんて事はないんだがな……ここ最近、熱中症で亡くなる方が増えていて、通常業務が忙しい。その上、お盆に向けての準備があっただろう? 人手が足りないんだ。お前も現世に行って点呼等を手伝ってほしい」

「……承知致しました」


 不安そうに言う珠美を見て、閻魔は優しい笑顔で言った。


「安心しろ。現世に行って生前のトラウマが蘇るようであれば、すぐにお前を地獄に戻す」

「……ありがとうございます」


 珠美は、穏やかな顔で礼を言った。


        ◆ ◆ ◆


 そしてお盆が終わる日。珠美が閻魔達と閻魔殿の門の辺りで待っていると、獄卒が何頭かの馬を引き連れてやって来た。現世へは、この馬で行くらしい。


「亡者は既に現世にいます。我々も行きましょう」


 菖蒲が、馬の背中を撫でながら言う。


「あの……馬に乗るとは聞いていましたけど、本当に大丈夫ですか? 私、乗馬とかした事ないんですけれど」


 珠美が不安そうに言うと、閻魔が白い馬に乗りながら笑って言った。


「ああ、お前は私が乗せて行く。……菖蒲、頼む」

「承知致しました」


 そう言うと、菖蒲はひょいと珠美を担ぎ上げ、閻魔の前になるようにして珠美を馬に乗せた。


「うわっ!!」

「じゃあ、行くか。しっかり捕まっていろよ、珠美」


 そう言うと、閻魔は手綱を握り、馬を走らせた。菖蒲や他の獄卒も馬を走らせ始める。


「ひゃああああ……!」


 馬に乗るのが初めての珠美は、馬の背の高さと揺れの大きさに思わず声を上げた。


「大丈夫だ。ほら、しっかり捕まっていろ」


 そう言って、閻魔は馬の走るスピードを上げた。


「いやああああああ……!!」


 珠美は、ただ叫び声を上げるしかなかった。


 やがて三途の川周辺に来た馬達は、一層スピードを上げたかと思うと、ふわりと宙に浮かんだ。


「えええええ!!」


 馬は宙に浮かんだまま高く上り、雲らしきものがある所へ突っ込んでいった。


「あばばばば!!」


 冷たい雲が顔に当たり、珠美は変な声を出してしまう。


「ハハッ、もう少しの我慢だぞ、珠美。そろそろ雲を抜ける」


 雲が目に当たらないように目を瞑っていた珠美だが、やがて雲の感触が無くなった。


「……目を開けてみろ、珠美」


 閻魔の穏やかな声が聞こえ、珠美はそっと目を開ける。そして、目の前の風景を見て目を瞠った。


「わあ……!!」


 眼前には、ビルの灯りだけが夜空を照らす美しい夜景が広がっていた。


「久しぶりの現世だな……」


 閻魔が、穏やかな笑みを浮かべて呟く。


「閻魔様、すぐ盆踊りの会場に向かいますか?」


 いつの間にか閻魔の後ろに来ていた菖蒲が問い掛ける。


「そうだな、早めに向かおう」


 亡者は盆踊りの会場に集まりやすいと聞いている。珠美達は、早速馬で盆踊りの会場に向かった。

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