親愛と憎悪5

「閻魔様、高城様の様子が変です!!」


 菖蒲が叫んだ。閻魔と同時に珠美も玲太の方に視線を向ける。


 玲太は、「うう……」と唸り声を上げてその場に蹲っていた。目は血走っており、肌が少し赤くなっている。


「おい、しっかりしろ、高城玲太!」


 閻魔が呼びかけると、玲太は「頭が痛い……」と呟き、身体を震わせた。


「まずい、鬼になりかけている!!」


 菖蒲が叫んだ。


「ええっ……!!」


 珠美は聞いた事があった。亡者があまりに強い恨みや憎しみを抱いている場合、その者は鬼になるのだと。


「どうして高城さんが鬼に……」

「高城玲太は、小田島の事をもの凄く慕っていたようだからな。その反動で、裏切られた時の憎悪が大きくなってしまったんだろう」


 閻魔が、苦虫を嚙み潰したような顔をして言う。


「そんな……鬼化を止める事は出来ないんですか!?」


 珠美が聞くと、閻魔は険しい顔のまま言った。


「今ならまだ止める事は出来る。鬼化を防ぐ薬も存在するしな。……しかし、今はその薬を切らしている。止めるには高城玲太の気持ちを落ち着かせないと……高城玲太、聞こえているか!?」


 玲太は、うずくまったままブツブツと何事か呟いている。閻魔の言葉は届いていないようだ。

 どうしよう、どうしよう……。珠美は考えた。玲太には鬼になってほしくない。

鬼になっても、自我を取り戻し地獄で働く事は可能だ。実際、獄卒の八割は亡者ではなく鬼である。

 しかし、鬼になってしまったら、もう極楽で過ごす事も転生する事もできない。なんとかして鬼化を止めたい。


 珠美は、考えに考えた末、閻魔の机にある日記帳を手に取り、玲太の元に駆け寄った。


「高城さん、聞こえますか? しっかりして下さい! ほら、この日記、見て下さい。あなた、『僕の研究を病気の診断・治療に役立てたい』って書いてるじゃないですか。地獄でも研究は出来るかもしれませんが、診断・治療に役立てる事は出来ませんよ。転生したら記憶はなくなるみたいですけど、転生しましょうよ。転生して夢を叶えましょうよ。……いや、もう高城さんは転生ではなく極楽行きが決まってるんだっけ。何言ってるんだろう、私」


 珠美は、一生懸命話しながら日記を玲太の目の前に掲げた。その文字を追った玲太の目がスッと光を取り戻す。


「あれ……僕……何をして……」

「高城さん! 良かった。正気に戻ったんですね」


 珠美は、ほっとして玲太に声を掛けた。そんな珠美を、閻魔はジッと見ていた。



 玲太が落ち着いたのを確認して、閻魔は真剣な顔で言った。


「……高城玲太、お前は鬼になりかけた。そのような者は、まだ現世での修業が足りないとみなされて、罪が無くても現世への転生処置となる。つまり、お前の極楽行きは取り消しだ」

「承知致しました。……連城さん」

「はい、何でしょう」


 急に名前を呼ばれた珠美は、慌てて玲太の方に視線を向けた。


「僕に声を掛けてくれて、ありがとうございました。おかげで、僕は鬼にならずに済みました」

「いえ……高城さん、あなたは明日にも現世に送られるでしょう。現世でもお元気で」

「はい、本当にお世話になりました」


 そう言って、玲太は笑った。玲太の笑顔を、珠美は初めて見た気がした。

 玲太の小田島への憎悪は全く消えたわけではないだろう。それでも、玲太が前を向いて転生できそうで良かった。

 珠美は、そう思いながら玲太を見つめた。



 玲太が広間を後にすると、閻魔は珠美に話し掛けた。


「……珠美、お前、鬼になりかけた者は極楽に行けない事を知っていたのか?」


 珠美は、首を横に振って答えた。


「いえ、存じ上げませんでした。でも、高城さんには『極楽に行けなくなりますよ』と言うより『医療に役立てるという夢が叶わなくなりますよ』と言う方が効果的だと思ったんです」

「そうか……お前はやっぱり、この仕事が向いてるかもしれないな……」

「向いてるん……ですかね……」


 珠美は、首を傾げて呟いた。


「あ、そういえば、浄玻璃鏡って、まだ完全に治ってないんですか? 治らない内は、私はここで働き続けるんですよね?」

「ああ、調子が良いときもあるが、まだお前が屋上から落ちた経緯は映らない」

「そうですか……」


 まあ、焦る事はない。今は自分に出来る事を精一杯やろう。そう思いながら、珠美は頷いた。

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