衆合地獄5

 生前、仁左衛門は真面目な与力だった。遊郭など無縁だったが、ある日、上司に半ば強引に遊郭に連れて行かれた。

 そこで仁左衛門の相手になったのが朝霧だ。彼女とは体の関係を持たず、他愛もない話をしただけだったが、美しく賢い彼女にどうしようもなく惹かれた。

 仁左衛門は与力だが、遊郭に通い続ける程経済的な余裕が無かった。いっそ朝霧を身請けしようかとも思ったが、そんなお金もあるはずが無い。


 そこで仁左衛門は、朝霧と文のやり取りをする事にした。仁左衛門が朝霧のいる店の柱に文を括り付けて、朝霧はその文を読んだら返事を同じ柱に括り付けるといった具合だ。

 朝霧も文のやり取りに同意し、それからは文のやり取りが仁左衛門の生きがいになった。


 朝霧からの文には、客から聞いた面白い物語や仁左衛門の体を気遣う言葉などが書かれており、それを読む仁左衛門の顔には笑みが浮かぶ。

 仁左衛門からの手紙には、堅苦しい時候の挨拶や仕事での出来事が書かれているだけなので、仁左衛門は申し訳なく思ったりもした。


 それでも文のやり取りを楽しんでいたが、ある日を境に、朝霧からの文が途絶えた。仁左衛門がそれとなく遊郭の常連だった上司に朝霧について聞くと、衝撃的な答えが返って来た。


「朝霧なら、亡くなったそうだぞ」


 流行り病で亡くなったらしい。仁左衛門は、愕然とした。それからどうやって仕事をしていたのか覚えていない。

 その後、仁左衛門は仕事をしながらも抜け殻のように生きていたが、朝霧が亡くなった五年後、仁左衛門もまた流行り病で亡くなった。


 亡者となった仁左衛門は、性行為に関する罪を犯していないにも関わらず、何故か衆合地獄行きを言い渡された。しかし、朝霧を失った今、地獄に行こうがどうなろうがどうでも良かった。


 朝霧の事を忘れるように刑務作業を真面目に熟していた仁左衛門だが、ある日転機を迎える。

 小菊という獄卒がかんざしを無くしたと言うので探したところ、見つけた簪に見覚えがあったのだ。


――最初に朝霧と会った時、朝霧がつけていた簪だった。


 小菊は、大切な人から貰った簪だと言っていた。その大切な人とは、朝霧の事なのではないか。だとしたら、朝霧も獄卒として働いているのではないか。


 仁左衛門は、今まで獄卒にあまり関心を寄せていなかったが、獄卒の集まる詰め所をたまに覗くようになった。

 そこで、朝霧を見つけた。直接会ったのは一度きりだが、すぐに分かった。

 集合地獄に来てからかなりの時間が経つのに今まで仁左衛門が朝霧に会えなかったのは、急なトラブルにより朝霧が長期間他の地獄に出向していたり、彼女が獄卒のリーダー的存在になっていたからだろう。獄卒をまとめるとなると忙しく、直接罪人に接する機会は少なくなる。


 仁左衛門は、朝霧に会えた事を喜んだが、ふと考えた。罪人と獄卒が仲良くするのは規律違反なのではないか。そもそも、朝霧は自分の事を覚えているのだろうか。

 考えた末、仁左衛門は朝霧と顔を合わせつつも赤の他人の振りをする事にした。


 朝霧は、仁左衛門の事を覚えていないようだった。それでも、朝霧が昔と変わっていない事がわかり嬉しさがこみ上げる。

 朝霧は生前仁左衛門と会った時も、地獄で再会した時も、「甘い物を食べると辛い事も忘れられますよ」と言ってお菓子をくれた。


        ◆ ◆ ◆


 そして現在。


「覚えていて下さり光栄です。私も仁左衛門様の事が忘れられずにいましたが、獄卒である私が罪人の仁左衛門と仲良くするのはどうかと思いまして、知らない振りをしておりました」

「やはり規律違反ですよね」


 朝霧の言葉を聞いて、仁左衛門は苦笑した。


「……あなたは、叫喚地獄に行ってしまうのですね。私も叫喚地獄に行きたいが、そういうわけにもいかないだろうな」


 仁左衛門が冗談のように言うが、朝霧は真面目な顔で言葉を返した。


「駄目です。あなたには、転生して幸せになって頂きます。衆合地獄で真面目に刑に服して下さい」


 仁左衛門は、一瞬目を見開いた後、穏やかな顔で言った。


「あなたがそう望むのなら……でも、あなたと離れる前に一つだけ言わせて下さい」


 地獄だというのに、一陣の風が吹く。仁左衛門は、朝霧をそっと抱き締めて囁いた。


「あなたの事を、誰よりも愛しいと思っております」


        ◆ ◆ ◆


「やっぱり、あの二人は離れるしかないんでしょうかねえ……」


 閻魔殿の広間で、珠美は言った。


「獄卒が特定の罪人が仲良くしていると公平性に欠けるからな。……それに、いつまでも仁左衛門が転生出来ないというのは、朝霧も望まない事だろう」


 閻魔が、頬杖を突きながら言う。


 朝霧は、仁左衛門が転生して幸せになる事を望んでいた。その為には、仁左衛門がサボるのをやめるきっかけが必要だ。それで、朝霧を人事異動させる事にしたのだ。


「離れ離れにはなるが……二人にとってはかえって良かったかもしれないな」

「そうですね……」


 珠美は、少し寂しげに微笑んで頷いた。


 今頃、仁左衛門と朝霧は何を話しているのだろうか。願わくば、朝霧が獄卒を引退して転生し、仁左衛門もまた転生し、二人がまた出会えますように。


 珠美は、そう思いながらしばし目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る