外から響いてくる不穏な物音に、アルフォンセの心は乱れた。何かの爆発音、倒壊するような轟音、そして銃声。まるで戦場の只中にいるようだ。それらの音が耳に届くたびに、キーボードを打つ手が止まった。

 おそらく、エヴァンとサイファーが戦っているのだ。なんと激しい戦いなのだろう。エヴァンはさっき、サイファーに何かされたようだが、無事だったのだろうか。

 エヴァンの身を案じるアルフォンセは、気もそぞろで作業どころではなく、何度も出口の方を見た。

「逃げようと思ったって無駄だぜ、お嬢さん」

 背後に立つディエゴが言う。

「非力なあんた一人じゃ、ここから脱出できやしないだろう。外にはメメントも放ってある。誰も助けには来られない。いいから続けな。ちゃんと進んでるか?」

〈スペル〉の調整は、最終段階にまで進行している。通常ならもっと早くに終了している作業だ。だが、エヴァンが戻ってきてくれることを思い、わざと遅らせてここまで時間を稼いだのだ。

 ごまかしごまかしやってきたが、それも限界に近づいている。

 アルフォンセは部屋の中を確認した。自分とディエゴ以外には人はいない。出入り口の外側に、見張りが二人配置されているはずだが、残りのメンバーは、屋外を巡回しているらしい。

「あ、あの」

 唾を飲み込み、勇気を奮い起こす。

「あなたたちの目的は、何なのですか? あの人はともかく、あなたたちは護送中だったのですよね? それをあの人が脱走させた。なぜ、罪が重くなると分かっていて、彼に従ったんですか?」

 アルフォンセは、会話でどうにか時間稼ごうとした。相手を怒らせる可能性もあるが、〈スペル〉を完成させないために、自分が殴られるくらいの覚悟はある。

 ディエゴは質問に眉をひそめたが、激昂することはなかった。

「さあ、なんでだろうな」

 肩をすくめて、何かに思いを馳せるように目を細める。

「サイファー自身の目的は、メメントとかいう化け物どもを増やして、それでそいつらを自分で狩ることだとよ」

「ど、どうしてそんな……不毛なことを」

「たしかに不毛だな。化け物を自由に生み出せるなら、その技術で裏社会のトップにでも立てるだろうに。だが、あいつはそんなことには興味がないらしい」

 ディエゴは、ふっとため息をついた。

「あんたみたいな普通のお嬢さんを巻き込んで、悪いと思ってるよ。まあ、あんた一人を見逃したところで、俺たちの罪が軽くなるわけじゃないんだが」

「途中で逃げようとは思わなかったんですか?」

「逃げた奴は何人かいた。サイファーは追わなかった。結局そいつらは戻ってきたよ。脱走犯に行く当てはないからな。あんたの言うとおり、サイファーは俺たちを乗せた護送車を襲ったが、脱走すると決めたのは俺たち自身だ。サイファーは『暴れ足りねえ奴は俺と来い』と言った。俺を含め、みんな足りてなかったのさ」

「では、自分の意思で彼に従っている、と」

「そうなるな。俺たちは罪人で、どうしようもないクズだが、それでもまだ何かを選択する余地があるのなら、選びたいじゃないか、自分の思うように」

「たとえそれが、罪を重くするものでも、ですか」

「勝手なんだよ、人間ってのは。どんなに罪を重ねることになっても、どんな犠牲が払われようとも、『選べる』という状況に立たされると、そのちっぽけな『自由』にすがってしまうのさ」

 ディエゴの目は、憂いと悟りを兼ねたような鈍い光を帯びていて、その表情は、何かをあきらめたような、悲しんでいるような、複雑なものだった。

「この二ヶ月あいつを見てきて、なんとなく分かったことだが。サイファーは戦いの中で死ぬことを望んでるんじゃないだろうか、と」

「戦場、ですか」

「ああ。あいつは戦うことで生を実感してる。結局、戦場でしか生きられない奴なんだろうな」

 戦うことへの渇望を満たすため、その相手としてエヴァンが選ばれたというのか。そして、メメントを生み出すために、父の研究を悪用しようというのか。

 滅多にない感情がアルフォンセの内に湧き起こった。気がつけば椅子から立ち上がり、ディエゴに食ってかかっていた。

「そんな身勝手なことに使われるために、父は〈スペル〉を作ったんじゃないわ! 世界が平和になるようにと願い、必死に努力して築き上げたものだったのに! それを〈政府〉や、あなたたちのような人たちが台無しにしたのよ!」

 アルフォンセに怒鳴られるのが意外だったのだろう。ディエゴは一瞬面食らってたじろいだが、すぐに優勢を取り戻そうと威圧的に睨んだ。

「席に戻るんだ、お嬢さん。立場をわきまえた方がいいぞ。あまり手荒な真似はしたくない」

 ディエゴが一歩、アルフォンセに近づく。

 そのとき部屋の外から、騒がしい物音が聞こえてきた。アルフォンセとディエゴが、同時に出入り口ドアを凝視する。

 二対の目が注目する中、荒々しくドアが開き、機械剣を携えた男が一人、姿を現した。

「だ、誰だ!」

 誰何の声を上げるディエゴ。侵入者はジャケットの裾を翻し、彼の正面に立った。

 アルフォンセには男の顔に覚えがあった。エヴァンの相棒、レジーニだ。

 先日見たときと、少し雰囲気が違うように思う。眼鏡をしていないから、そう感じるのだろうか。

 彼が手にしている機械剣はクロセストだ。どうやら外部増幅器アタッチメントブースターを取り付けているらしい。

 ディエゴが接近するレジーニに銃口を向ける。レジーニはすかさず、突き出されたディエゴの腕を絡め取ってひねり上げた。

 ディエゴが悲鳴を上げて銃を落とす。落ちた銃を、レジーニはアルフォンセの足元に蹴り飛ばした。アルフォンセは戸惑いながらも、その銃を拾った。初めて手にした銃は、ずっしりと重かった。

 レジーニの膝蹴りが、ディエゴの腹に数発見舞われる。ディエゴはよろめきつつも、倒れずに踏ん張り、反撃を試みた。

 レジーニは向かってくるディエゴをあっさりといなし、背後に回りこんで、両腕で首をホールド。ディエゴは小さな呻き声を上げると、白目を剥いて気を失った。

 ぐったりしたディエゴを、レジーニはまるで汚物ように突き放した。

にそんなもの向けるな、クソが」

「レ、レジーニさん……?」

 本当に同一人物だろうかと、アルフォンセは一瞬疑った。先日会ったときの、知的な印象とは真逆である。レジーニはアルフォンセの呼びかけに、やや気まずそうな表情を浮かべ、軽く咳払いした。

「あの馬鹿じゃなくて悪いね。無事かい」

「え、あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」

「状況はどうなってる? 外がまるで戦争状態だけど、エヴァンとサイファーのせいか?」

「ええ……おそらく」

 アルフォンセは現状を説明した。クルーザーの中に、爆薬とともに〈スペル〉が設置され、その〈スペル〉を完成させるよう命じられたこと。エヴァンが何か細工をされ、サイファーに連れて行かれたこと。そして、図書館に爆弾が仕掛けられ、館内の人々を人質に取られたことを。

「なるほど」

 レジーニは頷き、図書館の様子を映し出しているモニターに近づいた。先ほど爆破された棟はすでに鎮火しているが、煙はいまだに立ち昇っている。周辺には緊急車両と、群がる野次馬が見えた。

 レジーニはキーボードを操作し、携帯端末エレフォンでどこかに電話をかけた。

「ストロベリー、僕だ」

『はあーい。お嬢様は無事かしら?』

 その野太い声は端末のスピーカーではなく、モニターから聴こえた。カメラの端に、大柄な人物が映り込む。どう見ても男性だが女性の格好をしたその人物は、こちら側のカメラに向かって手を振る。

『見えてる? アルフォンセちゃんはじめましてー。ママ・ストロベリーよ、よろしくね』

「あ、あの……」

 事態が飲み込めないアルフォンセに、レジーニは肩をすくめた。

「サイファーが君に何かを要求するとなると、絶対に断れないよう盾をとるはずだ。身寄りのない君に対して有効な盾は、アパートの住民か、もしくは職場の人々。アパート住民を、君とエヴァンを連行する際の盾に利用したのであれば、次は図書館だ」

 レジーニの説明は、ストロベリーが画面越しに引き継いだ。

『それでアタシのご指名ってわけ。アタシはまず、アルフォンセちゃんと小猿ちゃんが連れて行かれた場所を特定したの。このくらい、街頭防犯カメラを覗けばわけないわ。で、次に図書館に仕掛けられた爆発物を探し出したの。ご丁寧に全階層に設置されてたわよ。でも安心して。全部見つけて回収したから。アタシの仲間の手にかかればこんなものよ。ああ、大丈夫よ。爆弾しかけた悪いコたちは、ほら、このとおり』

 カメラが右側に動いた。そこには数人の女装した男たちがおり、にこやかにカメラに向かって手を振っている。彼ら――彼女らの足元には、こらしめられた男たちが積み重なって放置されていた。

「あの、館内の人たちは無事なんですか? 怪我をした人は?」

『あらー、アルフォンセちゃんは声もかわいいのね。小猿ちゃんと一緒に食べちゃおうかしら。まったくの無傷ではないけど、重傷を負った人はいないみたいね。被害は最小限よ』

 アルフォンセは安堵のため息を吐いた。怪我人が出たのは残念でならないが、これ以上被害が広がらないというだけでも嬉しい知らせだった。

「ストロベリー、ご苦労だった。そっちはまかせる」

『了解。この埋め合わせは、いずれロマンチックな夜を……』 

 ストロベリーの言葉の途中だが、レジーニは通話を切り、映像を消した。

「そういうことだ。これで君を縛るものはない。ここから出よう」

「ありがとうございます。でも、まだ行けません」

 レジーニが訝しんで片眉を上げると、アルフォンセは決然と答えた。

「〈スペル〉の全システムを壊します。それが済むまで逃げません」

「できるのか」

「はい。少し複雑ですけど、やります」

 きっぱりと頷く。

 レジーニは、アルフォンセの決意の固さを感じたのか、強く引きとめはしなかった。失神したディエゴを部屋の外に出し、鍵をかけるように言い残して、そのままどこかに行ってしまった。エヴァンの加勢に向かったのだろう。

 アルフォンセはコンピューターの前に座り直して、深呼吸をした。

 今、エヴァンは戦っている。自分も決着をつけなければならない。

 アルフォンセはキーボードに指を走らせた。やり遂げるのだ、絶対に。


 

 アルフォンセの堅い意思を汲んだレジーニだが、一人で残すのは気が進まなかった。だが、〈スペル〉のシステム破壊は彼女にしかできない作業だ。最後まで、自分で背負った責任を果たそうとしている。それを止めるのは野暮だ。

 レジーニは建物の外に出て、耳をそばだてた。先ほどまで続いていたエヴァンとサイファーが戦っているだろう音が、今はぴたりと止んでいる。嫌な予感しかしない。

 音が響いていた方向を目指して走り出す。

 戦場で視力を失ったサイファーが、通常と変わらず行動できるのは、おそらくサーモグラフィーのように、熱を感知できるからだ、とレジーニは考えた。

 その推測に間違いなければ、属性エフェクトが炎である〈イフリート〉だけで対抗するのは分が悪い。

 走りながら、ブースターのバッテリー残量を確認する。メメントの群れを屠るのに、少々〈ブリゼバルトゥ〉を酷使しすぎた。あと一度でも、最大出力で属性エフェクトを発生させたら、おそらく使いものにならなくなる。


        *


 廃棄コンテナや鉄板、ガラクタなどが積み上がって斜面になった所を、ラグナは登っている。

 斜面の終わりは断崖絶壁になっていて、真下は波の激しい海だ。

 ラグナは片手でサイファーの頭を掴み、軽々と引きずっている。〈レーヴァティン〉に鷲掴みにされたサイファーの頭からは、ぼたぼたと血が流れ落ち、ラグナの足跡に点々と赤い染みを落としていた。

 斜面の頂点に到達したラグナは、サイファーを無造作に地面に捨てた。身じろぎもしないサイファーの赤いゴーグルは破損し、永久に閉ざされた瞼が露になっている。

 サイファーは抵抗の代わりに、引きつった笑みを浮かべた。自身の血液で、口内がおぞましい赤に染まっている。

「もう終わりか、ラグナ」

 一語吐くたびに、赤い飛沫が飛んだ。

「だったら殺せよ。それとも俺がやってやろうか」

 ラグナの無機質な眼差しが、サイファーを見下ろす。その目には、エヴァンと名乗っていたときの、暑苦しくも純真な輝きは微塵もない。

 ラグナは〈レーヴァティン〉を頭上高く掲げた。

 感情など一切ない彼にとって、かつての仲間に引導を渡すなど、そのあたりの虫を殺すことと何ら変わりない作業だった。

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