TRACK-7 アイデンティティー

 コンテナターミナルの、中央作業区域から少し離れた場所。作業員たちに〝物置広場〟と呼ばれているここは、数年前までは稼動していた。

 だが、こことは反対側の区域に作業場を拡張して以来、使われなくなったコンテナや重機を一時保管する場所と化している。

 朽ちたものしか、そこには存在していない。そんな場所に、一台の黒い電動車が乗り入れた。

 

 

 車のドアを開けて降り立ったレジーニは、まず周囲をぐるりと見渡した。海風が強く吹きつけ、スーツの裾をはためかせる。

 レジーニの右手には、携帯フォームの〈ブリゼバルトゥ〉が握られている。ジャケットの下には、クロセスト銃を収めた、ショルダーホルスターを装着していた。


(結局こうなるんだ)


 物事は、自分の望まないところで進んでしまう。レジーニが何かを渇望すると、それを拒絶するかのように逆の出来事が起こる。子どものときからそうだった。


     *


 レジーニの郷里は、大陸北エリア代表首都アイデンだ。父親は著名な外科医で、アイデン屈指の大病院に勤めていた。母親はその院長の娘であり、父は絵に描いたような出世街道を驀進していた。

 父親の稼ぎのおかげで、何ひとつ不自由のない暮らしを送ることができた。大きな屋敷に住み、使用人を抱え、欲しいものは何でも買ってもらえた。

 両親は忙しい身だったが、レジーニと五つ年上の姉を大事にしてくれた。留守の多い両親に代わって、レジーニの面倒を見ていたのは姉だ。

 レジーニは運動も勉強もこなす才児として、学校や近所の覚えがよかった。

 幸せな日々だった。レジーニが子ども心に願っていたのは、この幸せがいつまでも続くことだけだった。両親と姉がいて、大好きな本やスポーツがあれば、それで充分だった。ただそれだけなのに、終焉は唐突に訪れた。

 ある日、母親が姿を消した。何の前置きもなく、忽然と。レジーニや姉に何も告げず、ある朝起きたら姿はなく、そうして戻ってこなかった。十歳の頃のことである。

 幼いレジーニは、母がいなくなった理由を懸命に考えた。自分が何か悪いことをしたのだろうか。だから母は、お仕置きのつもりで姿を見せないのじゃないだろうか。色々と考えを巡らせたが、答えは出なかった。

 母親が消えてからしばらくして、レジーニの家に、見知らぬ大人たちが何度も訪ねてくるようになった。彼らはいつも怖い顔つきで、長い時間父と話し込んでいた。彼らと話す時の父親は、普段見せない形相で怒鳴りたてる。そんな父が恐ろしくて、レジーニは訪問者たちが何者なのかを、訊くことができなかった。


 更に数年。レジーニは中等スクールに上がり、大学に進んだ姉は、誰もが振り返る美しさを身につけていた。美貌が増すたび、母親に似ていった。

 その頃からだ、父の様子がおかしくなったのは。

 仕事が手につかなくなり、一日中部屋に閉じこもることが多くなった。レジーニとも、あまり話してくれなくなった。ときどき、母親が使っていたドレスルームに入り、化粧台のスツールにすがって、何かをぶつぶつ呟くこともあった。

 使用人も近づけなくなった父を、姉が甲斐甲斐しく世話をした。

 姉の様子も、徐々におかしくなっていった。弟に対して、妙によそよそしい態度をとるようになったのだ。父と姉の変化は、レジーニの心と家の空気を、灰色に濁らせた。


 冬も間近な、ある寒い日。レジーニは友人らと遠出をした。その晩は友人の家に泊まる予定だったのだが、都合が合わなくなり、日が暮れてから解散することになった。

 レジーニは、予定が変わったので家に帰る旨を、姉と父に電話で伝えようとしたのだが、二人とも出なかった。仕方なくそのまま帰宅すると、家には明かりが点いておらず、ひっそりとしていた。

 二人とも留守なのかと思ったが、玄関の鍵は開いていた。

 二階から人の気配がする。どこかから明かりが漏れている。その明かりに惹かれて、レジーニは階段を昇った。

 明かりは父の寝室から漏れていた。ドアが少し開いており、その隙間から物音が聞こえる。動物のような荒い息遣い。軋む音。ひそやかな話し声。

 行ってはならない。本能的にそう感じた。頭の中では、激しい警鐘が鳴り響いている。部屋の中を見てはいけない。だがレジーニは、ドアをほんの少し押してしまった。キイ、と音を立てて開く。


 先にレジーニに気づいたのは姉だった。目が合った途端、姉は悲痛な声を上げた。すると、父もようやく息子の存在に気づいて振り返った。

 レジーニは、今見ている光景についての状況を、自分自身に説明することができなかった。

 いや、したくなかった。

 頭の中は真っ白で、なにも考えられない。

 そこにいるのは父と姉ではなく、獣のように裸で交わる男と女でしかなかった。

 父は、母にそっくりな姉に跨ったまま、虚ろな眼差しで息子を見つめる。どろりと濁った瞳には、果たしてレジーニは映っていたのだろうか。


 ――ジニー、お庭に行ってごらん。


 なぜか父はそう言った。


 ――お母さんは、お庭にいるよ。


 その瞬間、レジーニは弾かれたように駆け出した。転げ落ちん勢いで階段を降り、庭に飛び出した。

 足がもつれて何度も転びそうになりながら、たどり着いたのは花壇だ。母が消えて誰も手入れをしなくなり、雑草がぼうぼうと生えた花壇の土を、レジーニは素手で掘った。顔や上等な服が汚れ、爪が割れても掘り続けた。

 掘り続けて掘り続けて、やがて花壇に真っ暗な深淵が穿たれた。レジーニを飲み込もうと待ち構えるその闇の底に、母親がいた。


 翌朝、レジーニの屋敷の周りは、警察車両とマスコミ、野次馬の群れに取り囲まれた。数年前に行方不明になった、有名外科医の妻の白骨死体が、家の敷地内で発見されたからだ。

 殺害した犯人は夫である外科医。妻の不倫が動機だった。

 その外科医は、実の娘と肉体関係を持ち、妻の遺体が息子の手で発見されたその夜、娘に殺された。娘は、父親を殺した後、自害した。

 そんなセンセーショナルなニュースは、たちまち世間に広がり、惨劇の生き残りであるレジーニは、連日マスコミに追われるはめになった。

 アイデンに居場所がなくなったレジーニは、十四歳の冬、家族を失った屋敷を飛び出し、二度と戻らなかった。


    

 流れ流れて、どれくらいの月日が経っただろう。アトランヴィル・シティに足を踏み入れたときには、レジーニはすでに裏の世界で生きる身となっていた。

 その頃はまだ〈異法者ペイガン〉稼業は営んでおらず、行く先々で汚れ仕事の手伝いのような、ちんけな悪事ばかり働いていた。

 ひとつ処に留まらない生活だったが、恵まれた容姿のおかげか、何くれと世話をする女は後を絶たなかった。

 女たちの部屋を渡り歩き、どこにも定着せず、持ち物も必要最小限に抑えた。

 何も持たない。執着しない。誰とも深く関わりたくない。余計なものを抱えるのはもう御免だ。

 何も持たなければ、何も失わない。もう何も必要ない。そのつもりだった。

 だのに、どうして出会ってしまったのだろう。公園で、楽しそうにギターを弾く彼女に。


 ルシア・イルマリアは、ミュージシャンになることを夢見て、大都会アトランヴィルにやってきた田舎娘だった。見た目は十人並み。レジーニが関係を持ってきた女たちの方が、ずっと華やかな容姿をしていた。

 ルシアはいつも笑っていた。何がそんなに楽しいのか、レジーニにはまったく理解できなかった。

 へらへらしてばかりの彼女が、その表情を一変させるのは、ギターを弾くときだった。伏し目がちにギターを見つめ、弦を弾くその瞬間、ルシアはどんな美女もかなわないほどの輝きを放つのだ。

 いつからルシアに心を奪われていたのか、今となっては定かではない。もう何も抱え込まないと決めたレジーニの心を、いつの間にか彼女が支配していた。

 彼女となら、もう一度光の中を歩いて行けるかもしれない。ほんのわずか、ささやかな願いを抱いた。

 共に生きる約束を交わして、どんなことがあっても離さないと誓った。そこに隙が生じた。

 裏稼業から足を洗うと決め、そのけじめとして与えられた最後の仕事をこなすために、レジーニは一時ルシアのそばを離れた。

 気が緩んでいたのだ。この仕事が済めば、すべてがうまくいくのだと思い込んでいた。だが、それはまったくの幻想だったのだ。当時属していたグループのリーダーは、レジーニの足抜けを許さなかった。

 だから、レジーニが大切にしているものを、足抜けの報復として破壊したのだ。


 戻ったとき、ルシアは入院していた。複数名から加えられた暴行により、見るも無惨な姿に成り果ててしまっていた。

 レジーニはベッドに横たわるルシアにすがり、泣いて謝った。そばを離れるべきではなかった。たとえ一生追われる身になっても、ルシアを連れて逃げればよかったのだ。

 誰にも壊されず、ただ慎ましやかに、小さな幸せが続くことだけを願っていたのに。ただそれだけなのに。

 謝り続けるレジーニに、それでもルシアは笑ってくれた。


 ――ギターが弾きたいな、あなたのために。泣く代わりに歌ってほしいんだ。


 呟くように言い、包帯の塊になった両手で、懸命にギターの弾き真似をしていた彼女は、翌晩未明に息を引き取った。

 ルシアを弔った後、レジーニは単身、グループのアジトに乗り込んだ。怒りに身をまかせ、憎しみを原動力に暴れまわり、ルシアを犯した男たちは全員殺した。

 どれだけ疾駆はしったのか。気がつけば全身ボロボロになって、〈パープルヘイズ〉裏手のゴミ置き場に倒れ込んでいた。

 満身創痍のレジーニを介抱してくれたのはヴォルフだ。ヴォルフは、レジーニの惨状について何も訊かなかった。

 ただ一言、

「無茶だけはするんじゃねえ」

 とだけ言った。

 

 ルシアの敵討ちのために疾走したその日を最後に、レジーニは、誰かにために何かをすることをやめた。

 行動のすべては自分の利益のため。ただひたすら、自分のためだけ。

 己のために、死に場所を探し続けてきた。

 ルシアを守れなかった自分には、何の価値もない。また誰かのために行動すれば、そこにしがらみが生まれる。執着が生じる。手放したくない何かを得てしまう。そうなったら、生き続けなければならなくなる。ルシアのいない世界を。

 そんなことは耐えられない。耐えられないから、それまでの自分を捨てた。趣味嗜好を変え、違う自分になった。

 二度と誰にも、己の領域に踏み込ませない。

 それなのに、あの馬鹿はずかずかと土足で入り込んできた。


 昔に捨て去ったはずの自分の分身のような、愚かで危うく、情熱の塊のような青年。

 かつての己と同じように、愛する者のために走っている。

 本当に、大馬鹿者だ。


「まったく呆れるよ」

 レジーニは剣の状態にした〈ブリゼバルトゥ〉を地面に突き立てた。

「どいつもこいつも、誰かのためだとか、お前のためだとか」

 ポケットの中から、掌に収まるほどの四角い物体を取り出す。それは外部増幅器アタッチメントブースターで、クロセストに取り付けることで、パワー出力を数段アップさせることができる。より高い攻撃力を得られるが、その分、クロセストに大きな負荷がかかるため、下手をすると一度の使用で、クロセストが壊れてしまう恐れがある。

 レジーニの〈ブリゼバルトゥ〉は、ブースターに耐えられるよう改造が施されているものの、これまでは滅多なことでは使用しなかった。

「人のことなんか気にせず、自分のことだけを考えていればいいものを」

 コンテナや廃棄物の陰から、のそりと何かが這い出してくる。長く突き出た頭部が鋏のように動くシザーフェイスと、脊椎がいびつに折れたハンプバック。二種のメメントが、わらわらと姿を現した。

「どうしてこう、そんな連中だらけなんだろうな。お人好しの馬鹿ばっかりだ」

 メメントの群れが迫ってくる。レジーニはブースターを剣に接続すると、眼鏡を外して内ポケットにしまった。ネクタイも取り、これもポケットに入れる。丁寧に整えていた髪を、ぐしゃぐしゃと掻き乱して崩した。

 今日は少し、気合を入れたい気分だ。そう、昔のような。

「ああ、そうだよ。全部分かってる」

 〈ブリゼバルトゥ〉を担ぎ上げた。こちらが戦闘準備を整えたと見るや、メメントの群れが一斉に飛びかかってきた。


もその馬鹿の一人だってな!」


 機械剣を振りかぶり、最初のひと群れを薙ぎ払う。〈ブリゼバルトゥ〉から放出された冷気が、衝撃波と共にメメント数体を吹き飛ばした。冷気に当てられたメメントは瞬時に凍りつき、地面に落下すると木っ端微塵に砕けた。

 メメントたちは常に、複数体同時に攻撃を仕掛けてくる。周囲を囲まれたレジーニは、ブースターの出力を上げた。円を描くように得物を振るい、冷気から生じた氷の柱が、敵を貫き葬る。

 シザーフェイスの一体に足を掴まれ、持ち上げられた。レジーニはそのまま身をひねってメメントの肩に乗り、脳天を銃で撃ち抜いた。倒れるそのシザーフェイスに〈ブリゼバルトゥ〉を突き刺して凍結させ、ハンプバックの一体に向けて投げる。

 シザーフェイスもハンプバックも、メメントとしては下等だが、群れを成してかかってくると、少々扱いが厄介になる。しかし、一人で〈異法者〉を営んでいた時期は、このくらいの群れの相手など何度もこなしてきた。むしろ今回は数が少ない方だ。

「どけ雑魚ども!」

 次々に迫り来るシザーフェイスとハンプバックを、レジーニは凍えさせ、貫き、蹴り倒し、撃ち抜いた。屠ったメメントが消滅した場所は、極北もかくやとばかりに凍りついていた。 

 ブースターのエネルギー出力を常に五十パーセント以上に保ち、冷気を放ち続けるレジーニは、氷を纏う死神の如く、化け物の群れの中を駆け抜ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る