エヴァンとアルフォンセが連れてこられたのは、海辺のコンテナターミナル内の一画だった。今は使われていない場所のようで、稼働中の他の区画からは離れている。

 元は職員の詰め所として使われていたのだろう四角い建物に、二人は連れ込まれた。そこでは複数の男たちとともに、サイファーが待っていた。


 サイファーは、コンピューター機器が置かれたデスクの前に座っていて、長い足をそのデスクに乗せていた。

「サイファー、連れてきたぞ」

 ディエゴが声をかけると、サイファーは足を下ろして立ち上がった。視線はエヴァンたちから外れている。首をわずかに傾け、音をよく聴こうとしているようだ。

「よう坊主。〈スペル〉は楽しめたか?」

「んなわけねーだろざけんな。変なもん飲ませやがって」

 くく、と肩を揺らして笑うサイファー。

「もう分かっただろう。〈政府〉は始めからメメントを利用するつもりだった。俺たちマキニアンは、ただのモルモットだったんだよ。連中はいずれ、自分たちに都合よく、ほいほい素直に従うお人形軍団を造るつもりだったのさ」

 サイファーはエヴァンとアルフォンセの前に立つ。赤いゴーグルに覆われた目が、二人の姿を捉えることはないが、盲目など何の問題でもないかのように、堂々としている。

「だが、俺にはもうどうでもいいことだ。〈SALUT〉も〈処刑人ブロウズ〉も〈イーデル〉も、もはや存在しない。俺は俺のやりたいようにやる。それだけだ」

「あなたの目的は何なんですか?」

 と、アルフォンセ。

「〈スペル〉を使って、遺体をメメントに変えて、それでどうしたいの? あなたのやっていることは、あなたの言う〝お人形軍団〟ではないの?」

 サイファーはアルフォンセの方に首を傾け、にやりと笑った。

「かもな。しかし俺の場合は少し違う。俺は遊び相手を増やしてるだけさ」

「遊び相手?」

 サイファーは二人の前を離れ、窓際に移動した。窓の外は波止場で、一艘のクルーザーが係留されていた。他に船影はない。

「あのクルーザーの中に、広範囲型の〈スペル〉を積んである。お前の父親の遺品だ。あと、ついでに爆薬もな」

 アルフォンセの肩が、びくっと震えた。エヴァンは彼女の肩を抱き寄せる。

「だが未完成なんだ。最後の調整が済んでない。お前が完成させろ、フェルディナンドの娘」

「そ、そんなこと、できません」

「いや、できるさ。そこを見ろ」

 サイファーが顎で示したのは、デスクに置かれたコンピューターだった。そのディスプレイに映し出されているのは、アルフォンセの勤め先である図書館の様子である。

 アルフォンセが身体をこわばらせ、息を呑む。エヴァンもまた、画面を食い入るように見た。

「お前の返答次第で、そこに映っている場所が、地図上から消えることになる」

「てめえ……また人質かよ」

 青ざめ、倒れそうなアルフォンセを支えながら、エヴァンはサイファーを睨みつける。

「お前、ほんとに何が目的だよ。〈SALUT〉を壊滅させた奴らに、復讐でもする気か」

 エヴァンの言葉に、サイファーは上半身をのけぞらせて笑った。

「復讐? そんな退屈なことするか馬鹿。俺は俺のやりたいようにやるだけだと言ったろ。おい、フェルディナンドの娘。やるのかやらないのか、どっちだ。え? とっとと決めろ」

「アル、あいつの言うことなんか聞いちゃ駄目だ。俺がぶっ倒すから」

 そのとき、サイファーが手下の一人に合図を送った。手下の男が、コンピューターのキーを押す。

 直後、室内に轟音が響き渡り、モニターに映る図書館の一棟が、無惨にも爆破された。激しく燃え盛る炎の海が広がり、黒い煙が龍の如く立ち昇る。

 アルフォンセが悲痛な悲鳴を上げ、エヴァンにしがみついた。エヴァンは彼女を抱きしめ、呆然とモニター内の惨状を見つめる。

「な、何しやがんだてめえ!」

「フェルディナンドの娘、もう一度言うぞ。〈スペル〉を完成させろ」

 モニターから目をそらせないアルフォンセは、震えながら、小さく頷いた。

「アル、駄目だ!」

「で、でも……」

「うるさいぞ坊主。まとまった話に口出しするな」

 サイファーが合図を下すと、男たちが一斉に動き、エヴァンとアルフォンセを引き離した。

 エヴァンは複数名に取り囲まれ、アルフォンセはディエゴに腕を引かれた。 

「エヴァン!」

「アルに触んなっつってんだろうが!」

 吠えるエヴァンの目の前に、サイファーが立ちはだかる。左手でエヴァンの首を掴み、強引に床に組み伏せた。

「お前は俺と遊べ」

 サイファーが右手の人差し指を、エヴァンの目の前に突き出す。するとその指が、錐のように鋭利な形状に変化した。

「ちょっと荒療治だがな。下手すりゃお前自体が壊れるかもしれないが、他のやり方を知らんもんでね」

 言うやサイファーは、手下に命じてエヴァンをうつぶせにさせ、背中にのしかかる。そして変形させた指を、エヴァンの首筋の接続孔に挿し込んだ。

「うああああああああッ!!」

 全身を引き裂かんばかりの激しい苦痛が、エヴァンを襲った。脳から足の先までを、耐え難い電撃が走る。身体が痙攣でのたうち、聴覚が奪われ、視界も薄れていった。

 喉からほとばしる絶叫の向こうで、アルフォンセの悲鳴が聴こえたような気がした。

 薄れゆく視界に闇が降り、エヴァンの意識は奈落に堕ちた。


        *


 辛い潮の香が鼻をつく。ここの海は臭い。

 潮の香は、サイファーに過去を思い出させた。まだ目が見えていた頃。海兵として戦場を駆け抜けていた頃。あるいは、遠い遠い少年時代を。

 過去にすがる性分ではない。サイファーの望みは、かつての栄光を取り戻したいなどという、つまらないことではなかった。

 廃棄コンテナの山の上。海から吹く風を身に受けるサイファーは、倒れたまま動かない、背後の青年に向けて言う。

「お前知ってるか。海ってのは、場所によって匂いが違うんだぜ」

 相手が聞いていようがいまいが、関係ない。


「俺は漁村の出でな。まあ、まともな家じゃなかった。暮らしは火の車、クソみたいな親のせいで、ガキの頃はずいぶん苦労したもんだ」

 ふっと鼻息を吹いて嘲笑する。

「軍部には志願して入ったんじゃない。口減らしに売られたようなもんだ。今の時代に口減らしだと。まあ、別にどうでもよかったんだが。笑っちまうのは、所属部隊に海兵隊を選んだ俺自身だよ。また海だ。視力を失くした場所も海だった。どうやら俺は、海から逃げられないらしい」

 乾いた笑い声を上げるも、辛い風にかき消されるだけ。


「要するにだ。人間の将来ってのは、生まれ育った環境が大きく関わってくるらしい。俺は海で生まれて、海で戦い、目を奪われ、生まれ変わった。だがこれは俺が望んだことだったか? 俺は、俺が欲していたものを、一つでもこの手で掴むことができたのか? 俺の望むものは、一体何だったんだ。マキニアンになって、その答えは見つかった。〝力〟さ」

 一層強い風が吹いた。サイファーの長い縮れ髪が、蛇のようにうねる。


「俺にとって戦いは、生きることそのものだ。力を得て、何ものにも変えられない生き方が望みだった。それをぶち壊したのは〈政府〉だ。奴らへの復讐? 考えようによっちゃあ、そうかもな。だが違う。それじゃあ面白くない。俺は奪われたものを取り戻す。俺が生きる場所――戦場をな」

 背後から、何者かが近づく気配を感じた。ようやくお目覚めらしい。


「誰にだって生き方を選ぶ権利はあるだろう? 俺は俺の生き方を選択しただけだ。お前はどうだ? お前も〈政府〉に弄ばれた口だ。身体やら記憶やら勝手にいじくられて、それで本望じゃないよな? お前はお前を弄んだ連中を、憎いとは思わなかったのか? だから俺はお前に訊いたんだよ。『坊主、お前、人を殺したいと思ったことはないか』と」


 ズドン! と、重い衝撃がサイファーを襲った。振り下ろされた一撃を、サイファーは片腕で受け止めた。

 肌で感じ取っているこの気配は、これまでのものとはまるで違っている。

 刺すように鋭く、炎のように業烈で、凍てつくほどに冷たい。目は見えずとも、締めつけるような悪意が、ひしひしと伝わってくる。

 サイファーは思わず笑みを浮かべた。

 これで、この場所は、最高の戦場になる。

「よう。やっと起きたかよ、ラグナ」

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