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「なるほど、そういうわけか」
ヴォルフは、自前の大きな鼻孔から息を吹き出し、極太の腕を組んだ。
午前中の〈パープルヘイズ〉。昼のランチタイム前で、今は客が引いている。
レジー二が店を訪れたとき、エヴァンの姿はまだなかった。サボりだ、とヴォルフは憤慨している。何度か電話をかけているが、ちっとも出ないらしい。
レジーニは、昨日揉めたことを話した。事情を聞き終えたヴォルフは、渋い顔で目を細めた。
「あいつも馬鹿だが、お前も大概だぞ」
「なぜ? 怒られるようなことは何ひとつしていないけど?」
「ああたしかに。だが褒められるようなことも、何ひとつしてねえな」
「褒めてほしいとは思ってないよ」
「分かってる」
「ヴォルフ、僕は猿の話をしにきたんじゃない。仕事の経過を報告しに来たんだ」
レジーニはジャケットの内ポケットからメモリーチップを取り出して、ヴォルフに渡した。
「例の男、サイファー・キドナについてまとめた。今回はストロベリーと先生にずいぶん助けられたよ」
「先生に?」
怪訝そうに眉をひそめるヴォルフ。読めば分かる、とレジーニが言うと、ヴォルフは棚からタブレット端末を引っ張り出し、メモリーチップを挿し込んだ。
ヴォルフの目線が左から右にせわしなく動き、タブレット画面の表示を追っている。
サイファー・キドナと人為的メメント発生との関連性についてまとめたレポートは、ママ・ストロベリーとオズモントから聞いた話に、レジーニ独自で調べたものを整理した内容になっている。推測の領域を出ない部分もあるが、ほぼ間違いないだろう。
「マキニアンか」
顎に手を当て呟くヴォルフに、レジーニは頷く。
「サイファー・キドナ。元軍部海兵隊所属、階級は軍曹。ヴァルハール最南で起きたガドラン紛争が最終の軍歴だ」
ガドランは大陸南エリアに属するシティである。
十四年前、中心街で反市政デモが起き、大規模なクーデターにまで発展してしまった悲劇の街だ。ガドラン紛争は、近年起きたクーデターの中でも、最も被害が大きかった事件として扱われている。
クーデターは二年後に終結したが、ガドランの混乱は長引いており、いまだにテロリストと軍部との武力抗争が続いている状態にある。
「ガドランに行っていたとはな」
「ああ。海岸からの夜間上陸作戦中、敵の放った閃光弾を間近に受けて負傷。両目はほぼ失明。それで前線から外された」
戦場から離れたサイファーには、そのまま退役命令が下された。以降、彼の足取りはぱったりと途絶えた。存在が抹消されたのだ。
しかし、サイファー・キドナは再びこの世に姿を現すことになる。
強化戦闘員マキニアンとして。
「僕が思うに」
と、レジーニ。
「マキニアンは、適合者として選出された軍部の人間が、強化改造手術を施されて誕生するものだ。マキニアンとして新たな生き方を与えられた人間は、表社会から存在を消されるんだろう。生まれていないことにされるか、あるいはすでに死亡していることにされるか、どちらかの方法で」
「ありえるな。改造された時点で、言ってみれば別人に生まれ変わるわけだからな。それに、ずいぶんと秘密主義な組織だ。余計な情報は、全部削ぎ落とそうって方針なんだろ」
「おそらくね。サイファーは事故死したことになっていたよ」
「エヴァンは孤児らしいが、あいつの場合、ガキの頃から適合者として目ェつけられてたのかもしれねえな」
その可能性はある。
だが、それだけではないかもしれないと、レジーニは疑問に思っている。
エヴァンの過去の記憶は曖昧だ。十年間もの
エヴァンの存在に関しては、何か裏があるように思えてならなかった。本人には自覚も記憶もないので、真実を探りようがないのだが。
しかし、今はエヴァンについて考えるのはここまでとしよう。レジーニは早々に頭を切り替えた。
ヴォルフが顎鬚を掻き、じょりじょりとかすかな音が聞こえた。
「で、このサイファーとやらは、マキニアンとして〈SALUT〉に加わったはいいが、その後に起きた〈パンデミック〉で行方不明になった、と」
「サイファーだけじゃない。他のマキニアンもだ。〈パンデミック〉の混乱で生き残ったマキニアンたちは、バラバラに散って、誰もが消息を絶っている」
〈パンデミック〉――研究施設〈イーデル〉で起きた、メメント大量発生事件とされているが、実際は違った。マキニアンたちの存在を危惧した〈
マキニアンの存在を消すということは、彼らが誕生した施設である〈イーデル〉そのものをも消す、ということになる。マキニアンと軍部の全面戦争と化した事態に、〈イーデル〉に勤める人々が巻き込まれたのだ。
〈イーデル〉の職員らは全員、国防研に移籍したが、〈パンデミック〉で命を落とした者は少なくないだろう。そうした犠牲者もまた、メメント化したに違いないのだ。
〈政府〉が設立した〈イーデル〉は、〈政府〉の命令でマキニアンを、引いては〈SALUT〉を誕生させた。だが、それらはすべて、〈政府〉の意向で消された。この矛盾した事態に、〈イーデル〉側が抗議の声を上げなかったのはなぜなのか。
おそらくマキニアン一掃作戦は、〈イーデル〉の知らぬところで始まったのだ。彼らが非常事態に気づいたのは、〈SALUT〉対軍部の戦禍が迫ってきた時だろう、とレジーニは考えた。
「あの事件をきっかけに、メメントは爆発的に増加していった。メメントに殺された〈イーデル〉職員たちも、次々と異形化し、もはやそのメメントが、元はどこに所属していた者だったのかも分からなくなるほどの、悲惨な状況に陥ってしまった。ここに、〈イーデル〉が口をつぐんだ理由がある」
ヴォルフは、むうと唸って頷いた。
「そうか。〈イーデル〉の奴らは、メメント誕生の原因を知ってやがったんだな。だが、それを世間に発表せず隠し続けてきた。もし〈パンデミック〉について〈政府〉を訴えたとしたら、そもそもの原因がなんなのかを明らかにしなけりゃならねえ。となると、今度は世間から、人類の命に関わる重要な情報を隠蔽してきたことを責め立てられる。だから何も言えなかったってわけか」
「そうだろうね、おそらく。この部分については、オズモント先生の話で察しがついたよ。メメント化の原因は、モルジットという異物質にあって、これを研究していたのが、アルフォンセの父親、フェルディナンド・メイレイン教授だ」
モルジットについては機密事項であるが、当時同僚だったオズモントは信用されていたらしく、国防研在住中、たびたびフェルディナンドと話し合っていたそうだ。
オズモントは始め、預けた銀のカプセルの正体が分からなかった。だがフェルディナンドの研究内容を思い返し、もしかしたらこれが、と考えたらしい。
「フェルディナンドは〈パンデミック〉の生存者だが、二年前に謎の死を遂げている。自殺として処理されたが、これに異を唱えたのが、娘のアルフォンセだ。彼女は父親の本当の死因を、裏社会の力を借りて探ろうとしていたらしい。それで、不穏な噂のあるオズモント先生を頼って行ったんだ」
これですべてつながった。フェルディナンドは自殺ではなく、サイファーが殺したのだ。サイファーの目的は、フェルディナンドが開発した、モルジットを探知・収集するシステム〈スペル〉の入手だ。
サイファーは〈スペル〉を使って、行く先々で殺した人間をメメント化させてきた。奴が現れた場所に、高確率でメメントが出現する理由は、〈スペル〉にあったのだ。
「ここまでで、一応今回の仕事内容はクリアしたことになると思う」
と、レジーニ。
「サイファーの正体と、メメント発生の関係性。これでまとまっただろう」
「ああ。ここまで調べがつけば、ジェラルドも満足するだろう」
ヴォルフも頷いた。
「〈長〉が欲しかったのは、メメントと〈政府〉のつながりだね? ヴォルフ」
レジーニはカウンターに身を乗り出す。
「つまり、〈政府〉がメメントの正体を知っていた、という事実を握りたかったんだ。この事実が、他ならぬマキニアンから得られた情報なら、更に有効だろうね。何しろ〈政府〉に消されそうになったわけだから。この情報をダシにして、〈長〉が〈政府〉対して……」
「レジーニ、その先には触れるな」
どうせ止められると分かっていたから、レジーニはあっさり引いた。
ヴォルフが釘を刺すように、レジーニを軽く睨むと、タブレット端末からメモリーチップを抜き、ポケットに入れた。
「とりあえずご苦労だった。だが、くれぐれもこれ以上探ろうとするなよ」
「分かってるよ。僕の仕事は終わった。これでいいんだろ」
「そうだ。サイファーの処遇は、追って沙汰が下るだろうよ」
「そんなもの待たなくても、どこかの馬鹿猿が喧嘩売って、勝手に決着つけるんじゃないか」
「レジーニ、お前、しっかりあいつの首根っこ抑えておけって言ったろう。暴走し始めたら、手がつけられなくなっちまう」
冗談じゃない。レジーニは顔をしかめて舌打ちした。単細胞で考えが浅く、命令も聞かず突っ走る大馬鹿者に、これ以上振り回されるのは御免だ。
「ヴォルフ、悪いけど僕は降りる。あんな馬鹿の面倒はもう見きれない。僕は一人で充分だ。相棒なんか必要ない」
「駄目だ、それは許さねえ。お前にはあいつが必要だ」
「どうしてだヴォルフ。あんたは前から僕にコンビを組ませようとしてたが、一体理由は何なんだ」
ヴォルフの思惑には気づいていたが、なぜなのかは判然としなかった。この先も一人でやっていくことに、何の支障もない。なのに、何が何でもレジーニに相棒をつけさせようとする、ヴォルフの意図が量れなかった。
ヴォルフはカウンターに両手をつき、レジーニの顔を覗き込んだ。
「なぜお前にあの馬鹿が必要か? そんなこたあ、お前が一番良く分かってんじゃねえのか」
「言ってる意味が分からないね」
「いいや、認めたくないだろうが、お前は自覚してるぞ。あれだけちょこまか動き回る猿だ。目を離した隙に、何をしでかすか分かったもんじゃねえ。そういう危なっかしい奴をそばに置いときゃ……」
ヴォルフの表情が、厳しいものに変わる。
「死にてえだとかくだらねえこと、考える暇もねえだろうよ」
レジーニは挑むような目つきで、ヴォルフを見返した。氷にも似たその視線を、ヴォルフは真っ向から受け止める。
「八年前にルシアを亡くしたお前は、まるで生きた屍だった。それからずっと、お前は死に場所を探していたんだろう。お前みたいな目をした奴を、俺は何人も見てきた。生きていく意味も目標も失くした連中をな。そいつらは結局、誰にも看取られずに死んでいった。俺は、お前にはそうなってほしくねえんだよ」
レジーニは皮肉な笑みを、口の端に浮かべた。
「なぜ? それだけ大勢死んでいった奴らを見てきたんなら、僕もその中の一人として、気にすることないのに」
「お前にそんな死に様を迎えてほしくねえと願うのは、ひとえにルシアのためだ。あの娘が俺のために弾いてくれたギターと、お前を想う心のために、だ」
レジーニは口を閉ざし、視線をそらした。
「ルシアはいつもお前を心配していたぞ。レジーニには無鉄砲なところがある、暴走して無茶をやらかすかもしれないから、どうか守ってくれってな。ああそうだ。分かってるだろ。八年前のお前とエヴァンはそっくりだと」
ヴォルフの追求に、レジーニは答えなかった。
エヴァンを見ていると、昔の自分を見せつけられているようで、時に腹立たしく、時に歯がゆかった。
感情のままに突き進み、後先考えず、周囲を顧みない。己が生きることと、目の前にあるものだけがすべてで、それ以外はどうでもよかった。
今のエヴァンは、昔の自分と同じだ。愛する者しか目に入っていない。そのためにもしも判断を誤るようなことがあれば、犠牲になるのは自分ではないのだ。
(だから……)
だから嫌だったのだ。昔の過ちを掘り起こされたようで。この青年は、いつか自分と同じ轍を踏むことになるのではないかと危惧して。
その過ちを、間近で見たくなかった。
その過ちで誰かが犠牲になり、傷つく姿を見たくなかった。
それは、かつての自分自身だから。
全部分かっていたことだ。
「レジーニ。あえて言うが、俺はルシアのためにも、お前には生きててほしいんだよ。こういう
ヴォルフの言葉は重く静かに、それでいて優しく、レジーニの胸内に触れようとする。
レジーニが口を開こうとしたそのとき、
「マリー? どうかしたかい」
少し口調を和らげて、端末の向こうにいる少女に話しかけた。
鼻をすする、小さな音が聴こえる。泣いているのだろうか。
「マリー?」
『レジーニさん……』
蚊の鳴くような、弱々しい少女の声。
『レジーニさん、どうしよう。エヴァンとアルが、変な人たちに連れて行かれちゃった』
「変な人たち?」
すぐに察しがついた。サイファーの手下たち――つまり脱走した囚人たちだろう。
『あ、あたし、ドアの隙間から見てたの。どうしよう、ねえ、レジーニさん。なんで二人が連れて行かれるの?』
「落ち着くんだマリー。君は何も心配しなくていい」
『警察に言った方がいいのかな』
「いや、その必要はないよ」
レジーニはため息をついた。仕方がない。
「僕にまかせろ」
『ほんと? レジーニさん、二人を助けに行ってくれるの?』
マリーの声のトーンが、わずかながらだが上がった。
「ああ。だから君は、普段どおりに過ごすんだ。いいね」
『うん……』
マリーとの通話を切ったレジーニは、カウンターに片肘をつき、額を押さえた。まったくあの猿は、こちらが頼んでもいないのに、次々と厄介事に巻き込まれてくれる。
「今のは〝依頼〟だな」
頭上から降ってきたヴォルフの声は、なにやら楽しげである。
「行ってやれ。お前らはいいコンビだ」
レジーニは顔を上げ、ヴォルフを軽く睨んだ。
席を立ち、〈パープルヘイズ〉を出る。停めていた車に向かう間に、もう一度携帯端末を操作し、電話をかけた。
「ストロベリー、訊きたいことがある」
『はーい、待ってたわよー』
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