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「父は誰かに殺されたのよ。それが〈政府〉側の人間なのか、父を脅していた人だったのか、長い間わからなかった。でも、どちらが父を手にかけたとしても、自殺として処理されていたでしょうね。この件に関しては、警察ももう頼れない。だから私は、オズモント先生を訪ねた」
父とシーモア・オズモントは、一時期ではあったが、国防研で共に働いた間柄だった。そのシーモア・オズモントには、裏社会とつながりがあるのではないか、という不穏な噂がつきまとっていた。アルフォンセは、この噂に賭けたのだ。
もしも本当に、オズモントに裏社会とのつながりがあるのなら、彼に協力を求め、そちらの筋から父の死の真相を調べることはできないだろうか。
正攻法が通用しないなら、裏の手段に頼るほかない。アルフォンセはそう考えたのだ。
そこでエヴァンは理解した。以前オズモントが言っていた「国防研の知人」とは、アルフォンセの父親のことだったのだ。
「それであの日、先生の家にいたのか」
「ええ。なりふりかまっていられなかったから。ここに引っ越してきて、近くに先生のお住まいがあると知って、すぐに伺おうと思ったの。オズモント先生は、噂について否定なさらなかった。私の抱えている事情も、すぐに理解してくださった。その上で、協力はできない、と断られたわ」
――君のようなお嬢さんが、あちらの世界に触れてはいけない。心中察するが、やめておきなさい。
老人は諭すように、やんわりと断ったという。
オズモントの協力が得られなかったアルフォンセは、その日の夜に、エヴァンが〈スペル〉を持っていることを知り、現状に至る。
「部屋に忍び込んだこと、本当にごめんなさい」
アルフォンセは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「〈スペル〉を誰の手にも渡らせてはいけない、回収しなくちゃって、それだけが頭の中にあって、だから」
「もういいよ。そのことは、何とも思ってないからさ」
これ以上、彼女に頭を下げさせたくなかった。エヴァンの言葉に、アルフォンセは小さく頷く。
「でも、父を殺した犯人は分かったわ」
「あいつか」
それについては、エヴァンでも簡単に察しがつく。アルフォンセの父を脅して〈スペル〉を奪い、殺したのは、サイファー・キドナだ。
「あいつ、メメントを増やして、何するつもりなんだ」
アルフォンセを傷つけ、彼女の父親の命までも奪った男。その真意がどうであれ、絶対に許されるものではない。
「私は」
アルフォンセの声は、小さく震えていた。
「父に代わって、〈スペル〉による被害が広がるのを阻止しなければいけない。それが、残った私の役目。だから」
「だから、俺にも、誰にも頼らないで、一人でやろうとしてたんだ」
エヴァンが言うと、アルフォンセは頷いて答えた。
「あのサイファーという人が、どんな目的で〈スペル〉が必要なのかは知らない。でも絶対に止めなくちゃ」
アルフォンセはそこで言葉を切り、数秒ほど間を置いて口を開いた。
「父や兄の代わりを努めるために、独学で勉強したわ。すべては父と兄の遺志を果たすため。そのはずだった。でも、私」
アルフォンセが両手に顔をうずめた。
「いつの間にか、調べることに夢中になってた。メメントやクロセストのことを調べていけばいくほど興味が湧いてきて、いつしか調査そのものを楽しむようになってたの。あなたに軽蔑されても、それは当然のことだわ。父や兄、たくさんの人たちが苦しんだのに、私は最低よ」
「アル……」
「マキニアンについてもそう。私はあなたたちのことを〝研究対象〟として見ていた。特殊とはいえ、同じ人間なのに。だから、あなたがマキニアンだと知ったとき、余計に頼ってはいけない、と思った。〈SALUT〉解散の原因を作ってしまった人間の娘である、私の事情に巻き込むことは許されない。だから……ごめんなさい」
アルフォンセの細い肩が震えている。エヴァンは席を立ち、テーブルを回り込んで彼女のそばへ移動した。床に膝をつき、華奢な白い両手を取る。顔を上げると、アルフォンセの潤んだ深海色の瞳と、エヴァンの緋色の眼差しが交差した。
「俺はアルを軽蔑したりしない。他の奴らが君を何と言ったって俺は味方だ。どんな奴が相手でも、俺が守る」
研究対象と見られようと、それが何だというのだ。彼女のそばにいて守ってやりたいと思う気持ちは、そんなことでは揺らがない。
「アル、〈パンデミック〉が起こった原因は〈政府〉だ。あいつらが俺たちマキニアンを殺すために、軍部に〈イーデル〉を襲撃させたんだよ」
アルフォンセの目が大きく見開かれた。その拍子に涙が一滴、ぽとりと手の甲に落ちる。
「メメントが大量に発生して〈パンデミック〉が起きたのは、軍部と〈SALUT〉が戦ったせいで出た死者がメメント化したからだと思う。親父さんは研究のためにモルジットを集めてたんだろうけど、だからって〈パンデミック〉の責任を、一人で背負わされるのは間違ってる。それを言うなら、モルジットのことを隠してたお偉方にも責任があるはずだろ? 軍部が〈SALUT〉を襲撃したのだって、〈政府〉の一部の連中が、俺たちを危険視したせいだ」
エヴァンは少し下唇を噛んだ。
「って、これ、サイファーからの受け売りなんだ。だけど何もかも、上の奴らが自分たちの都合のいいようにやろうとしたせいで起きたことだ。俺は〈パンデミック〉のことを知らなかった。それが起きる前にコールドスリープにされて、目を覚ましたのはつい最近。十年眠らされてたんだ。おまけに昔の記憶がところどころ抜けてる。記憶喪失ってやつ」
重ね合わせた両手に、自然と力がこもる。
「俺は、俺を道具みたいにしか扱わなかった連中のことなんかどうだっていい。俺にとって何より大事なのは〝今〟なんだ。この街で、仲間と一緒に生きて、自分に出来ることを自分の意思でやる。〈SALUT〉にいたときには考えられなかったことが、当たり前みたいにできてる。これ、俺にはすごく大事なことなんだよ。それに今は君がいるし……」
そこまで言ったエヴァンだが、急に気恥ずかしくなって、言葉が尻すぼみになった。照れ臭いのを、軽い咳払いでごまかす。
「と、とにかくさ、もう事情は分かったし、これで君のボディガードになれるよな?」
「エヴァン……」
「ああ、金なんか取らないから。また美味いゴハン作ってくれればー、なんて思ってるけど」
おどけたように笑うと、アルフォンセもつられて笑った。その時また一筋、瞳から雫がこぼれた。
耐えきれずにはらはらと頬を伝う涙を、エヴァンは親指の腹で拭う。アルフォンセの頬は、ほのかに熱を帯びていた。彼女に触れる指先が、静電気にあてられたように痺れる。
深海の瞳に吸い寄せられ、少しずつ顔が近づいていく。互いの吐息が感じられるほど近くなったとき、アルフォンセが目を閉じた。
引力が強くなる。距離が縮まるのを止められない。エヴァンもまた目を閉じて――、
玄関のチャイムが鳴った。途端、夢から醒めた二人は、同時に我に返って目を開けた。慌てて離れ、誰も見ていないのに、身じろぎしてその場を取り繕う。
もう一度玄関チャイムが鳴った。アルフォンセは椅子から立ち、
「も、もしかしてマリーかもしれないわ。あなたのことをとても心配してたのよ」
あたふたと玄関ドアの方へ駆けて行った。
マリーが? と、首をひねる。そういえば夕べ、記憶が途切れる前に、マリーの姿を見たような気がする。
目の前で人が倒れれば、心配もするだろう。気にしてくれるのはありがたいが、出来ればあと数分待ってほしかった。あまりに惜しかったので、指を鳴らしたエヴァンである。
とはいえ、相手がマリーなら仕方がない。エヴァンは立ち上がり、様子を見に行くことにした。
アルフォンセが、玄関ドアの前で立ち尽くしている。
彼女が向き合う訪問者は、マリーではなかった。
相手は中肉中背の男で、彼の後ろに、あと二人の男が控えていた。手前の男には見覚えがある。そう思った瞬間、相手が何者なのか思い当たった。
「てめえら、何しに来た!」
エヴァンはアルフォンセの手を引いて、背後に隠した。中背の男は、エヴァンの怒声には動じなかった。
「俺のことなどどうでもいいだろうが、一応名乗っておこう。ディエゴだ」
ディエゴと名乗るこの男。サイファーがアルフォンセをさらったときに、ワゴン車を運転していた人物だ。
「二人とも、俺たちと一緒に来てもらおうか。サイファーがお呼びだ」
「なんでこっちから出向かなきゃならねえんだ。そっちが来いって伝えろよ。ぶっ飛ばしてやるってな」
「サイファーは、お前たちに『来い』と言っている。それ以外の用はない。従わないなら、アパートの住人を殺す」
アルフォンセが息を呑むのが、背中越しに聞こえた。エヴァンは安心させるように、彼女の手を握る。
「あんたらみたいなのは、だいたい同じ手を使うよな。言うこと聞かないと誰々を殺す。そんなのばっか。もうちょっとパターン増やしたらどうだよ」
エヴァンの挑発に、しかしディエゴは乗って来ず、冷静に応じた。
「確かに常套手段だ。しかしまあ、これが一番手っ取り早いうえに確実なんでね。こちらの要求に応じるつもりがあるのかないのか、答えてくれ」
「やなこった」
中指を立てて突きつけてやりたい気分だが、女の子の手前、自重するエヴァンである。
「とっとと帰れ。で、決着つけたけりゃそっちから来いって言え」
「なあ兄ちゃん。一つ聞くが、俺がはったりかましているとでも思ってないか?」
「ああ。お前らが本当のことを言うとは思えねえしな」
ディエゴと、後ろの二人は、どうやら武器を持っていない。サイファーの助言でもあったのだろう。こちらに細胞装置を使わせないために、武器を帯びずに来たらしい。
となれば、今この場で、ディエゴたちがアパートの住人を手にかけるのは困難だ。よしんば素手での殺害を試みたり、現場で殺傷能力のある道具を手に入れたとしても、彼らが殺人を行おうとするよりも、エヴァンがそれを阻止するために動く方が早い。細胞装置を封じられようが、この三人に遅れはとらない。
「そうか。まあ、そう思うならそれでもいいが」
エヴァンが動じていないのを見ても、ディエゴは余裕のある態度を崩さなかった。
「仲間が向かいのビルの屋上で、このアパートを狙っている。お前はサイファーと同じマキニアンとかいうやつだそうだが、弾丸より速くは動けないだろう。素直について来るか、でなければ、誰かの頭から脳味噌がぶちまけられるか、だ。そいつはもしかしたら、そこの部屋に住んでいるガキかもしれない。俺の言葉がはったりだと思うなら、いいさ、来なくてもかまわない。ただし、確実に死者が出る。そして俺は、被害者は一人だとは言っていない。はったりか事実か、判断するがいい。二分の一の確率で、お前たちのご近所さんの誰かが天に召される」
ディエゴの小賢しい物言いに、エヴァンは舌打ちする。こんな
自分の間違った選択のために、アパート住人たちの命を犠牲にすることはできない。悔しいが、従うしかなかった。
「わ、わかったよ。行けばいいんだろ。ついて行くから、みんなには手を出さないでくれ。あと、アルにはもうかまうな。俺だけ行く」
しかしディエゴは首を振り、エヴァンの要求を拒否した。
「いや、二人ともだ。お前だけでも、お嬢さんだけでも駄目だ」
「だったら、彼女には触れるなよ。指一本でも触ったらぶちのめす」
「いいだろう。交渉成立か? なら、ついて来い」
ディエゴが懐からスティック型通信機を取り出し、耳に当てる。
「撤収だ。お客さんを連れて行く」
短い通信を終えた無法者は、エヴァンたちについてくるよう、顎をしゃくった。
「〈スペル〉も渡してもらうぞ」
そう付け加えるのも忘れなかった。
背後のアルフォンセが、ぴったりとエヴァンの背に身を寄せてきた。
エヴァンは彼女を励ますために、振り返らないまま、握った手に少し力を込める。するとアルフォンセも、震えながらも握り返した。指を絡ませ、決して離れないように、強く。
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