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グリーンベイ市立図書館は、ネルスン運河沿いの市民公園敷地内にある。
館内は整然としていて美しく、かなり広かった。各コーナーのほとんどは、紙書籍の納められた棚で埋まっている。紙書籍が出版されなくなった今、既刊図書は大変貴重で、昔に比べて貸し出しの規制が厳しくなっているそうだ。が、それでも紙の本を求める人々は多い。
電子書籍のレンタルダウンロードコーナーは別の場所にあった。違反防止のため、来館しなければダウンロードが出来ないよう、特別な処置がなされている。
出版に関する歴史資料室も設けられていた。はるか昔の印刷機材や紙の種類など、出版や印刷技術が辿ってきた歴史が、分かりやすく展示されている。
退屈そうな場所だが、意外にも閲覧客は多かった。ちゃんと見ていけば、案外面白いのかもしれない。
しかし、今のエヴァンには必要のないものだ。
図書館内にいる人々は、職員から来館者、清掃員に至るまで皆、規律正しく静かに行動している。エヴァンのように、早足でせわしなく館内を歩き回る者はいない。整然とした秩序を乱しかねないエヴァンに、厳しい眼差しを向けてくる人もいる。だが、そんな視線にかまっている場合ではない。
文学とは縁遠いエヴァンが、わざわざ図書館まで足を運んだ理由は、ただ一つ。
その目的のために、ヴォルフを説得して店を抜けてきたのだ。本当なら午前のうちから行動したかったが、「やるべき務めを果たしてからにしろ」という、ヴォルフのもっともな言い分を跳ね除けることはできなかった。
ランチタイムの繁忙時を乗り切り、やっと外出の許可が下りて、エヴァンはこうして図書館にまでやって来られたのだ。
求める人物は、なかなか見つからなかった。入れる部屋は手当たり次第に捜した。職員や来館者合わせてかなりの人数がいる中、たった一人を捜し出すのは至難の業だった。
館内を一周し、エントランスホールに戻ってきたとき、ついに彼女の姿を発見した。図書館司書らしく、地味な黒のスカートと、白いシャツとカーディガンを身に着けた、ほっそりとした後ろ姿。
「アルフォンセ!」
エヴァンはここが、静かにしていなければいけない場所であることも忘れ、彼女の名を叫んだ。周辺の人々が一斉に振り返る。そしてアルフォンセも。
エヴァンに気づいたアルフォンセは、大きな瞳を更に見開き、くるりと
エヴァンは走って彼女の前に回り込む。
「待ってくれ、頼む」
アルフォンセは足を止めたものの、俯いて顔を上げない。
「話がしたいんだ。少しだけでいい」
人々が遠巻きに二人を眺め、何事か、と囁きあっている。
アルフォンセは目線を伏せたまま周りを見ると、
「場所を変えましょう」
呟くように、そう言った。
彼女に連れられて来たのは、図書館の裏手。フェンスを隔てた向こう側に、公園の緑地が広がる場所だった。人の気配はない。
歩みを止めたアルフォンセは、両手を組み合わせて俯く。エヴァンの顔を見ようとしない。
どう話を切り出せばいいのか。エヴァンは舌で軽く唇を湿らせた。
「ほんとは、今朝一番に会って話したかったんだけど、部屋を訪ねたときにはもういなかったから」
その先の言葉が続かず、一旦口を閉ざす。
(夕べ、俺の部屋に来ただろ?)
侵入者の正体はアルフォンセだ。か細い声と漂ってきた香りで、そう判断した。
そんなことありえない、あるはずがない。心は全力で否定したが、疑惑を払拭することができなかった。
何よりもアルフォンセの態度が、事実だと肯定しているようなものだ。エヴァンが図書館に来た目的を察しているに違いない。
諦めたかのように無抵抗な彼女は、なかなかエヴァンと目を合わせないが、逃げようともしなかった。
「ごめんなさい」
アルフォンセはそれだけを、やっと口に出した。
「アルフォンセ、俺は謝ってほしくて来たんじゃない。ただ、知りたいんだ。理由を」
頭を下げて許しを請うてほしいのではない。欲しいのは信頼だ。
彼女の目的は何なのか。なにか面倒事に巻き込まれているのではないのだろうか。もしそうなら、助けになりたい。
自分を頼ってほしい。それだけだ。
「教えてくれないか? オズモント先生のとこでも、なんか様子が変だったし。何か問題を抱えてるなら話してよ」
アルフォンセは黙ったまま、両手を固く握り合わせる。
「これが原因?」
エヴァンはジーンズのポケットからあるものを取り出し、彼女に差し出した。
途端、アルフォンセは表情をこわばらせ、エヴァンの手中にある銀のカプセルを一心に見つめた。
彼女が侵入者だと判断したとき、目的は金銭ではないだろう、とエヴァンは思った。アパートの前で落としたカプセルを見つけた際の様子と、侵入時にこれをしまいこんだパーカーを持っていたらしいことから、目的は銀のカプセルではないか、と、普段使わない脳の総力を上げて見当をつけたのだ。
「これって一体何なんだ? どうして君がこんなものを?」
アルフォンセは、やはり答えない。
「メメントと関係がある?」
細い肩が、びくっと震えた。
「知ってるんだね、メメントのこと」
アルフォンセがようやく顔をあげた。白い肌が青ざめている。
「これは、メメントの体内から出てきたんだ。オズモント先生に、こいつの正体を調べてもらってた。ひょっとしたら、メメント誕生の原因につながるんじゃないかって」
「あなたは、どうしてメメントのことを?」
アルフォンセが疑念を含んだ声色で、おそるおそる訊いた。エヴァンは一瞬迷ったが、彼女をまっすぐに見据えて答えた。
「俺とレジーニは、裏の仕事でメメントを退治してる。堅気じゃないんだ」
エヴァンは一歩、彼女に近づく。
「君がどんな事情を抱えてるのか、俺には分からない。でも、部屋に忍び込むくらい、君にとってこいつが重要なものなんだってのは理解できる。教えてくれアルフォンセ。これは何なんだ? どうして君が欲しがるんだよ」
「それは、言えない」
「俺が信用できない?」
「違うわ」
アルフォンセが眉根を寄せ、首を振る。
「誰も巻き込みたくないの」
「何があったってんだよ。なんで君が抱えこまなきゃならないんだ」
「言えないのよ、エヴァン」
「力になりたいんだ。君を助けたい。だから話してほしい」
「話せないの。お願い、これ以上聞かないで」
潤んだ深海色の双眸が、懇願するようにエヴァンを捉える。吸い込まれそうなその目に、エヴァンの心は揺れ動いた。だが、ここで引くつもりはない。
「これを使って、死骸をメメント化してる奴がいる。君じゃ手に負えない」
「それでも……それならなおさら、どうにかするのが私の務めだわ」
「相手は犯罪者なんだぞ」
「私がやるしかないの」
アルフォンセがためらいがちに、右手を伸ばした。白魚のような指で、エヴァンの掌にある銀のカプセルに触れる。
「これ、持っていくね」
二人の手が重なった瞬間、エヴァンはアルフォンセの手を握り締めた。柔らかくて、温かな手。細くしなやかで、とてもではないが、凶悪な連中を相手にできるとは思えない。
「俺を信じてくれ。俺はどんなことがあっても君を守る。絶対にだ。だから」
「どうして?」
アルフォンセは困惑の表情で、エヴァンを見つめる。
「どうしてそこまで気遣ってくれるの? まだ知り合って間もないし、事情も知らないのに」
「そ、それは……」
握った掌が熱くなる。掌だけでなく、頬も耳も熱を帯びている。
息を大きく吸い込み口を開くと、胸の中で抑えていた想いが、言葉と共に堰を切ってあふれ出た。
「君が好きだからだ。初めて会った日から」
言ってしまった。とうとう。声に出した途端、なにかとんでもないことをしでかしたような気がして、エヴァンひどくは動揺した。鼓動が早くなる。口の中が乾いてカラカラだ。
アルフォンセの顔色を伺うと、薄く桃色に頬を染め、ぼんやりとエヴァンを見つめていた。
「だ、だから、俺、その」
何か言わなければ。自分の告白に自分で動揺しているエヴァンは、この先どう言葉を続ければいいのか分からなくなった。一方で、アルフォンセは何も答えない。再び俯き、ゆっくりと、エヴァンの手から銀のカプセルを抜き取ろうとする。
慌てたエヴァンは、反射的に手を引いた。
「これを渡したら、話してくれる?」
アルフォンセの手が止まる。思わず口をついて出たとはいえ、卑怯な物言いだと自分でも思った。だが彼女を守れるのなら、卑怯でも何でもいい。
アルフォンセの手が離れる。銀のカプセルは――。
エヴァンの掌に残されていた。
「心配してくれてありがとう。でも」
「アル……」
「ごめんなさい」
アルフォンセが背を向け、スカートをひるがえして小走りでその場を離れていく。引きとめたかったのに、身体が動かなかった。
エヴァンは彫像よろしく突っ立ったまま、去っていくアルフォンセの後ろ姿を、じっと見送ることしかできなかった。
やがてエヴァンは、重たい足取りで歩き出す。胸の真ん中に穴が開いたような、空しさと寂しさが全身を包んでいた。
足取り重く、図書館敷地内から道路に出ようとしたそのときだ。
背後――図書館の方から、一台のワゴンタイプ電動車が、速度規制を完全に無視したスピードで、エヴァンを追い越していった。
追い越される瞬間、後部座席に乗っている人物が目に留まった。必死の表情で、窓を激しく叩いている。
ゆるいウェーブのショートボブ。一瞬だけ、深海色の瞳と視線が交わった。
「アルフォンセ!!」
彼女の姿を認めたエヴァンは、弾かれたように走り出した。
窓に張りつき、助けを求める声を上げていたアルフォンセは、エヴァンの姿を認めると、後方に遠ざかる彼の姿を目で追った。が、腕を掴まれて窓から引き剥がされた。
強引に振り向かされた目の前には、自分を車に押し込めた暴漢どものリーダーと思しき男がいる。不気味な赤いレンズのゴーグルを装着した、黒い縮れ髪の男だ。
「よう、お嬢さん。ちょっとドライブしようぜ」
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