TRACK‐4 ガムシャラ

 翌日の午前九時、エヴァンの携帯端末エレフォンにシーモア・オズモントからのメールがあった。預けた銀色の物体について、現時点で分かったことを教える、という内容だった。

 エヴァンはヴォルフの許可をもらい、店への出勤を遅らせ、レジーニとともにオズモント邸を訪ねた。



 オズモント邸の玄関扉が開くや否や、犬のジャービルが元気よく出迎え、尻尾を大きく振りながらエヴァンに飛びついてきた。

「おー。ジャービル元気だったか?」

 顔中を舐めるジャービルの歓迎に、エヴァンは頭や首筋を撫でてやった。

「よしよし、先生はどこにいるんだ?」

 いつもなら不機嫌そうな顔を、階段の手すり越しに見せるはずである。だがオズモントが現れる気配はない。インターホンでは本人の声で返事があったので、留守ということはないだろうが。

 ジャービルがエヴァンから離れ、廊下の奥へと駆けていく。途中で振り返り、黒い目でエヴァンとレジーニを見つめる。案内するつもりらしい。

 ジャービルのあとについて行った先は、応接室だった。オーク材の両開き扉が少し開いていて、そこから話し声が漏れ聞こえてくる。

 ジャービルが扉の隙間から応接室に入っていった。エヴァンは彼に続き、扉を押し開けた。

 室内には二人おり、扉が開く音でこちらに気づいた。一人はもちろんオズモント。一人用ソファに座っている老学者は、相変わらずの仏頂面である。ソファの足元では、ジャービルが行儀よく腹這いになっていた。

「やあ、ご足労だね」

「おはよう、先生」

 オズモントのぞんざいな手招きに応じ、レジーニが先に応接室に入る。そのあとに続くエヴァンは、室内にいたもう一人の人物に目を奪われた。

 もう一人の人物もまたエヴァンを見ると、驚いて深海色の目を丸くする。

「アルフォンセ? なんでこんなところに」

「エヴァン、あなたこそどうして?」

 オズモントの向かいのソファに座っていたのは、アルフォンセ・メイレインだったのだ。彼女はためらいがちにゆっくり立ち上がり、深海色の視線をエヴァンからレジーニへと移動させる。

 彼女の視線の動きを察したエヴァンは、親指でレジーニを示した。

「ああ、こっちはレジーニっていって、俺のあいぼぐふっ」

 最後まで言い切らないうちに、レジーニのパンチが脇腹にヒットした。どうあっても〝相棒〟と呼ばせたくないらしい。

「相棒……?」 

 アルフォンセはきょとんとしている。

「お嬢さん。野猿の世迷言は気にしないことです」

 レジーニはいつもより柔らかい表情で、諭すように言う。これはいかん、とエヴァンは慌てた。普段気難しそうな雰囲気のレジーニが、何かの拍子で刺々しい態度を和らげる。そのギャップに、これまで何人もの女性が落とされているのだ。アルフォンセだけは死守しなければならない。エヴァンは彼女の注意がこれ以上レジーニに向かないよう、やや声量を上げた。

「そ、それよりさあ! どうして君が先生のとこに? 知り合い?」

「知り合い、というか、その……エヴァン、あなたは?」

「俺は、ちょっと先生に世話になっててさ。えーっと」

 エヴァンはちらりとレジーニを横目で見た。レジーニは無言だが、目でこう言っている。「いつもみたいに馬鹿正直に話したら、あとで叩き殺す」

「まあ、なんつーか、たまに遊びに来るんだ」

「そう……」

「なんだ、君たち二人は知り合いだったのかね」

 と、オズモント。特に驚いている様子はない。

「俺の向かいの部屋に引っ越してきたんだ。先生、アルフォンセとどういう関係?」

「なに、彼女本人とはたいしたつながりはない」

 オズモントは、ひょいと肩をすくめた。

「昔、彼女のお父上と仕事で付き合いがあってね。私がここに住んでいると知り、わざわざ挨拶に来てくれたのだよ」

「へー、そうなんだ」

 エヴァンは納得して頷いたが、アルフォンセは居心地悪そうに身じろぎした。オズモント、エヴァン、レジーニの順に男性陣を見回すと、

「それじゃあ、私はこれで。オズモント先生、お邪魔しました」

 簡素な挨拶を残して、そそくさと退室した。

「あ、ちょっと」

 エヴァンは慌ててあとを追った。早足のアルフォンセは、もう玄関ホールまで進んでいた。

「待ってアルフォンセ」

 彼女は玄関扉のノブに手をかけていたが、呼び止めるのには間に合った。エヴァンは大股でアルフォンセに歩み寄る。

「先生と話があるんじゃないのか? 大事な話だったら、俺たちは待ってるけど」

 こっちの用事も大事には違いないが、エヴァンはアルフォンセを優先した。今の言葉をレジーニが聞いたら、即座に殴られただろう。

「私はいいの、もう済んだから」

 アルフォンセは身体を半分だけエヴァンに向け、伏し目がちに答えた。

「本当に?」

「ええ、本当。あの、私、これから図書館に行かなきゃ……仕事があるの」

「ああ、そっか。ごめん、引き止めて。えっと、それじゃあ、また」

「ええ、また」

 アルフォンセは、最後に少しだけエヴァンと目を合わせてから、扉の向こうに姿を消した。逃げるようなその様子に、一抹の不安を覚えたエヴァンは、彼女を追おうか迷い、足を踏み出しかけた。だが、自身の中に芽生えつつある裏稼業者としての自覚が、その衝動を押し殺した。自分にも、ここでやるべきことがある。


 アルフォンセが去った扉をしばし見つめたあと、エヴァンは応接室へと戻った。

 部屋に戻ったらオズモントに、アルフォンセとの関係についてもう少し詳しく聞くつもりだったのだが、レジーニが本題に入るようオズモントを促したため、チャンスを逃した。

 オズモントは、預けた銀色の物体を持ち出し、ソファの前のテーブルに乗せた。

「率直に言おう。私の力では、これが一体どういうものなのか、具体的なことは突き止められなかった。申し訳ない」

「具体的な……ということは、ある程度の見当はついている、と?」

 尋ねるレジーニに、オズモントが頷く。

「憶測なんだがね。これは、言うなれば容器だよ。特定の物質のみを収納するようにできているようだ」

「特定の物質って、なんだ?」

 今度はエヴァンが尋ねる。

「そこまでを解明するには、私は専門外なのだよ。物理科学者の知己なら何人かいるが、余分な人間は関わらせたくないだろう?」

「そうだね。あなたのように、裏社会とつながっている学者でもいれば、話は早いんだろうけど」

 レジーニの、やや皮肉めいた一言に対し、オズモントも皮肉っぽく口の端を歪める。

「そういう連中もどこかにはいるだろうが、あいにくと私の友人たちは、私と違って皆、真面目で清廉潔白なのでね」

 オズモントは小枝のような指で、銀の物体を示した。

「容器と言ったが、今は空っぽだ。何を入れるものか、考えつく限りの物質の収納を試みてみたが、どれも失敗した」

 オズモントが金属物体に触れると、双円錐形の頂点が四つに分かれ、口が開いた。内部は空洞である。

「このとおり。つまりはカプセルのようなものだろうと思われる。小さくはあるが、簡単なシステムも搭載されている。自動開閉時間を設定できるし、おそらく遠隔操作も可能だろう。そこで一つ仮説を立てたのだが」

 オズモントは両肘を、膝の上に乗せた。

「例えばこれが、あるものの内部に挿入することを前提として造られた容器だとしよう。この銀のカプセルが〝あるもの〟の内部に仕込まれた状態で、設定した時間に蓋が開く。あるいは遠隔操作で開かせる。すると、カプセルの中に収められた物質が〝あるもの〟の中に解き放たれ、浸透する。そうなると、何が起きるのか」

 オズモントは結論の前に言葉を切り、静かな眼差しでエヴァンとレジーニを見据えた。

 エヴァンには、老人の言っていることの意味が、よく分からなかった。しかし、レジーニは理解できたらしい。

「まさか」

 声色硬く、秀麗な眉をひそめる。

「あくまでも仮説だ、レジーニ。決定的な証拠はない。だがはっきりしたことはある」

 老人の瞳の奥で、探求者の光がきらめく。

「この容器を造った人物は、少なくともメメントが発生する原因を知っている、ということだ」



「さっきの先生の話、どういう意味なんだ?」

 オズモント邸を辞した後、エヴァンは電動車の中でレジーニに訊いた。

「お前が理解できなかったのは承知の上だよ」

「すいませんね、頭悪くて。それよりなんでこれが、メメントが湧く原因になるってんだよ」

 エヴァンの手中には、問題の銀の物体がある。オズモントに預けたままにしていても仕方がないので、回収したのだ。

「先生が言っていた〝あるもの〟というのは死骸のことだ。今の段階では仮説にすぎないが、その銀色のカプセルは生き物の死骸の内部に挿入されるよう造られたものだろう。カプセルに、メメント化する要因となる何かを注入し、死骸に埋め込む。設定時間になったら、あるいは遠隔操作でカプセルが開き、内容物が死骸中に浸透する。そしてメメントになる。これが正しいのなら、事件がつながる」

「つながるって?」

「脳味噌止まってるのか馬鹿猿。今僕らが追ってる、あの赤いゴーグルの男だよ。奴らが現れた場所に、高確率でメメントが出現しているのはなぜだ? まるでメメントを操っているかのように。実際に操っていたのはメメントそのものじゃない。メメント化する原因の方を操作しているんだ」

 エヴァンはしばし黙り、相棒の説明を頭の中で整頓した。そして合点がいくと、両目を見開いた。

「それじゃ、これを造ったのはあいつだってことか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。現時点では、あの男が意図的にメメントを生み出しているようだ、としか言えない。ジュール記念病院で倒したディプロフォームは、その容器に収められていた物質のせいで変化したものなんだろう。ということは、入り口扉を壊した〝先客〟とはゴーグル男のことで、僕たちが到着する前にあの廃病院に潜んでいた可能性がある。エヴァン」

「なんだよ」

「お前、あの男を見たことがあると言っただろう」

「ああ、まあ」

 赤いゴーグルを装着した男の姿が、あの声と共に脳裏に蘇る。


 ――坊主、お前、

 何かを訊かれて、不愉快な思いをしたような気がする。いつ、どこで? 何を訊かれた?


「何か思い出したか」

「いや、何も」

「そうか」

 レジーニはそこで黙り込んだ。いつもなら即座に「ボケ」だの「腐れ脳味噌」だのと罵るはずだが、相棒は何も言わなかった。

 二人の間に沈黙が流れる。レジーニは何やら考え込んでいる。エヴァンもまた、開けた窓から吹き込む風に当たりながら、物思いにふけった。

 頭に思い浮かぶのはアルフォンセのことだ。

 オズモント邸での様子が気になって仕方がない。逃げるように帰ったあの態度が、どうしても引っかかる。

 何か心配事でも抱えているのだろうか。そうならば、何か彼女の力になれないだろうか。

 メメントを生み出す銀色のカプセルも問題だが、エヴァンにとっては、初めて好きになった女性のことも、一大問題なのだった。

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