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何を言っているのか分からず、エヴァンの思考は一瞬止まってしまった。高ぶりつつあった気分が一気にしぼむ。理解が追いつかず、ぼけっとドラァグクイーンを見つめる。
「え、なに、どゆこと?」
困惑し、相棒に説明を求めようと視線をめぐらせた。レジーニは、そ知らぬ顔でカウンター席に座っていた。エヴァンを無視して、淡々と携帯端末を操作している。
「くつろいでんじゃねーよお前! これ一体どういう意味だよ!」
エヴァンの脳が動き出し、おおよその見当をつけ始めていた。十中八九、気分のいい展開にはならない。その不安を消したいがために、必要以上の大声を上げているのである。
レジーニは、まるっきり他人事のような態度でカウンターに片肘をつき、手に頭をもたせかけた。
「新人の通過儀礼だと思え。ストロベリーと今後も仕事していきたいなら、これを避けては通れない。大丈夫だ、触るだけだから」
「いやいやいやいやいや! 触るだけでもNGだろうが! なんで俺が! 絶対やだ!」
「つべこべ言わずに、ストロベリーにまかせておけばいいんだ。おとなしくしていれば、彼女の気が済むのも早い」
「そうよお。じっとしててくれたら、すぐに終わらせてあげるから」
背後からたくましい腕が伸び、エヴァンを抱きすくめた。思わず悲鳴を上げたエヴァンは、ストロベリーの拘束から逃れようともがく。しかし、ドラァグクイーンの腕力は、予想以上に強かった。
細胞装置を起動させようとしたものの、システムは働かなかった。動揺しつつも「やっぱり駄目か」と諦める。
マキニアンには、非武装の人間に対して、細胞装置の出力が一般人並みに制御されるオートストッパー機能が備わっている。相手がどんなに戦い慣れていようが、武器を持っていない以上、細胞装置を起動させることはできない仕組みだ。
一般人並みの出力というのは、「そのマキニアンが一般人だった場合に備わっているであろう平均的体力値」を元にしている。
ただし、体得した格闘技術までは制限されないので、間違っても民間人に倒されるようなことにはならないはずなのだが――。
「はーなーせえええええええ!」
「あらアナタ、見た目より結構体格いいんじゃなくて?
ドラァグクイーンは腕力だけでなく、体力そのものが優れていた。どんなにあがいても、ストロベリーの拘束力は一向に衰えない。エヴァンはひょいと抱えあげられ、軽々とお姫様だっこされてしまった。
「心配いらないわよ、ほんとに触るだけ。アタシだってそのくらいの分別はつけるわ。相手が未経験者ならなおさらね。じゃ、レジーニ、ちょっと借りていくわよ」
「ああどうぞ、好きなように」
さっさと行け、とでも言わんばかりに、レジーニはぞんざいに手を振った。
「わああああああ! 助けてレジーニさーーん! やだーーーーーー!」
エヴァンを抱えたストロベリーは、意気揚々と奥の部屋へ歩いていく。必死に、それこそメメントを相手にしたときでも見せたことのない抵抗を試み続けたのだが、結局エヴァンはそのまま、個室に押し込められたのだった。
悪夢のような濃密な時間は、どうにか過ぎ去ってくれた。
気力と体力と、その他いろいろの大切な何かを奪われたエヴァンは、精根尽き果て、ぐったりした足取りで個室から出た。
パーカーは、いつの間にか脱がされていた。Tシャツは半分めくれ上がり、割れた腹筋があらわになったままだ。服装を整える力さえ湧いてこない。身体中にバラの香りが着いてしまっている。ストロベリーの香水のせいだ。
淀んだ目をカウンターに向けると、眼鏡をかけた悪魔が、相変わらず他人事のようにそこに座っていた。
「十五分か。思ったより早かったな」
「このクソ野郎おおおおおお!」
エヴァンは泣き声とも怒号ともつかない声を発しながら、レジーニに殴りかかった。
顔面を狙ったエヴァンの拳を、レジーニは軽い動きで避け、逆にその腕を掴む。エヴァンの勢いを利用してそのまま腕をひねり上げ、カウンターテーブルにねじ伏せた。
「クソ野郎? 誰に向かってそんな口を叩く?」
真冬の風にも劣らぬ、レジーニの冷たい声色。エヴァンの首筋は肘で抑えられ、
「ぐえ」
圧迫された喉から、カエルが潰されたような声が漏れ出た。
「お前はまだ、自分の立場を分かってないようだな。ちょっとおさらいしようか」
抵抗しようにも、片腕をがっちりとホールドされていて、エヴァンは文字通り手も足も出ない。
「僕はお前の何だ?」
「……先輩です」
「先輩とはどういうものだ」
「絶対的存在です」
「お前は僕の何だ?」
「後輩です」
「後輩とは先輩の何だ」
「下僕です」
「従って、後輩は先輩に?」
「……絶対服従です」
「結構」
レジーニはようやく、エヴァンを解放した。
「よく躾けられてるわねえ」
ストロベリーが感心したように頷いている。エヴァンは反射的に身を起こし、レジーニを盾にして背後に隠れた。
「く、来るな!」
「もう、そんなに怖がらなくたっていいじゃないの、傷つくわね」
レジーニはストロベリーとエヴァンを、交互に見ながら言った。
「ストロベリー、やりすぎたんじゃないのか。ジャケット引っ張るな、馬鹿猿」
「そんなことないわよ。宣言どおり、触るだけだったわ」
エヴァンは即座に抗議する。
「耳たぶにキスしたじゃねーか嘘つくな!」
「だって、小刻みに震えてるのがかわいかったから、つい。思ったとおり、細いけどいい身体してるわ」
レジーニの肩越しに、こちらを覗こうとするストロベリーを、エヴァンは相棒の背中を最大限に活用してブロックした。
たしかにストロベリーは、耳たぶへのキスを除いて、触る以上のことはしなかった。だが、かなりきわどい部分にまで手を出そうとしてきたので、それらの攻撃から身を守るだけで精一杯だった。どこをどんな風に触られたのかなど、思い出したくもない。
「涙目にならないでよ。そんな顔見せられたら、本格的に襲いたくなっちゃうじゃない」
ストロベリーが何かを差し出す。パーカーだ。エヴァンはパーカーをひったくり、服の乱れを整えてから羽織った。
「レジーニ、かわいい子連れてきてくれてありがとね。すっごく満足したから、今回は奮発してあげるわよ」
「猿っぽい容姿が、こんなところで功を奏するとはな。よかったじゃないかエヴァン。その顔でも通用する世界があって」
「お前ら二人とも、いつか絶対シメてやる」
本当にシメてやる。エヴァンは固く心に誓った。
散々な「通過儀礼」は、とにもかくにもこれで終了した。エヴァンは情報屋ママ・ストロベリーの新しい取引相手として、正式に認められることになった。
幸いなことに「通過儀礼」は初回のみで、以後は代金支払いによる情報提供となるそうだ。これを聞いたエヴァンは、床に崩れんばかりに安堵した。
「この男を調べてほしい」
レジーニが、例の赤いゴーグルの男が映っている動画をストロベリーに見せる。するとストロベリーは、訳知り顔で頷いた。
「ああ、こいつね。最近になってアトランヴィルに現れた奴。護送者脱走事件の主犯格らしいけど、今のところ、こいつと囚人たちの関係性は見当たらないわ」
「さすがに耳が早いな。メメントについては?」
「こいつらの現れる所に、高確率で出現するっていうやつでしょ? そっちの方もすでに調査中。最初に目撃情報が上がったときから、ずっとマークしてるわ。でも、全然尻尾を掴ませないのよね。〈監視員〉を殺すくらいだから、おそらく玄人だと思うんだけど」
ストロベリーは唇に指をあて、とんとんと軽く叩く。
「囚人たちの方は、特に心配しなくていいでしょうね。ほんとにただの受刑者。全員の経歴はすぐに調べがついたわ。おそらくこの男は、何かの目的のために、こいつらを利用しようと脱走させたのよ。その目的さえ分かればね」
「頼めるかい」
「まかせておいて。充分な収穫があったら、すぐに連絡するわ」
ストロベリーは自信たっぷりに答え、エヴァンとレジーニにウィンクをした。
〈プレイヤーズ・ハイ〉を出たエヴァンは、自分の身に起きてしまった異次元の出来事に疲れきり、レジーニの車になだれ込んだ。
「ひでーよレジーニ。なんでこんなとこに連れてきたんだよ」
「裏社会の仕事を続けるコツの一つが、『有能な情報屋を一人は抱えておくこと』だ。ストロベリーの顧客になっていて損はない。僕と組んでいる以上、先々必ず彼女の世話になる時が来る。遅かれ早かれ、お前には『通過儀礼』が必要だったんだ」
レジーニの説明はあくまでも冷静で、理路整然としていた。その、あまりにも淡白な対応に、エヴァンは苛々を抑えられなかった。
「それでも前もって言ってくれれば、こっちもそれなりに心の準備ができたんだ。お前はどうだったんだよ。ストロベリーにあちこち触られて、嫌じゃなかったのか。自分がやられて嫌なことは、他人にもやっちゃいけないって、みんな子どもの頃に教わるはずだろーが」
「僕が? 何を言ってるんだ」
レジーニは、やれやれと首を振った。
「この僕が他人に身体を触らせるとでも? 鼻を掴んで引きずり回しながら罵声を浴びせ続けたら、それでストロベリーは満足したよ」
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