グレーのストライプのスーツで決めたレジーニが〈パープルヘイズ〉を訪れたのは午後三時過ぎ。ランチタイムが終わった、休店時間のことだ。

 店内を片付けている最中だったエヴァンは、相棒の姿を見るや、トレーを持ったまま彼の方に歩み寄った。

「おー、待ってたんだぜ。あのさあ、デートってどういうふうに誘へぶし!」

 語尾が奇怪に乱れたのは、近づいた瞬間、電光石火でトレーを奪ったレジーニによって、顔面を殴られたためである。

「ヴォルフ、コーヒーもらえるかな」

「あいよ」

 レジーニは何事もなかったかのように、定位置のカウンター席に座った。エヴァンから取り上げたトレーは、ゴミを捨てるかのごとくカウンターテーブルの離れた場所に押しやる。トレーは若干ひしゃげていた。

 鼻を強打したエヴァンは、患部をさすりながらレジーニに詰め寄った。

「なにすんだいきなり!」

「明らかに低俗な質問をしそうな阿呆面だったから、防衛本能が働いただけだが、何か?」

「鼻が潰れそうな勢いだったぞ!」

「その顔なら、潰れて腐っても問題ないだろう」

「そうなったら、お前も同じ目に遭わせるからな」

「僕の鼻に指一本でも触れたら、別の場所を潰してやる」

 レジーニが指先で下を指した。

「……サーセン」

 相棒の目が本気だったので、即座に折れるのが最善と判断した。

 熊の手が二本伸びてきて、エヴァンとレジーニ、それぞれの前にコーヒーカップを置いた。芳醇な豆の香りが辺りに漂う。

「じゃれ合いは済んだか? それならエヴァン、お前も座れ。今日はいつもと違う話があるぞ」

「メメント退治じゃないのか?」

 レジーニが片眉を上げた。ブラック派の彼は、何も加えずそのままコーヒーを口にした。

「まったく無関係、とも言えねえかもな」

「どういう話だ、それ」

 相棒の隣に座った加糖派のエヴァンは、キューブシュガーを四つカップに放り込み、ミルクを注いで、スプーンでぐるぐるかき混ぜた。

 ヴォルフは両腕を組み、太い眉毛を中心に寄せる。

「今、とある連中がアトランヴィルのあちこちを荒し回っているらしい。先月あたりから現れるようになったとかでな。殺しも盗みも掟を無視してやりやがる。裏稼業者バックワーカーじゃねえらしいが、どうにも手口が玄人じみてるってんで、〈監視員〉がしばらく張り込んで、動向報告を逐一上げていたんだ。そいつらがある日戻ってこなくなった」

「監視がばれたか」

 レジーニが思案顔でぽつりと漏らすと、ヴォルフは頷いた。

「遺体は見つかっていないが、おそらくはそうだろう。〈監視員〉は、掟に反する行動を取る可能性があるワーカーの見張りだ。その〈監視員〉を殺したとあっちゃあ」

「〈プレジデント〉に対する反乱、と見なされるね」


 

〈長〉とは、ひとつの裏社会に君臨する、いわゆる総元締めである。すべての裏稼業者は、所属領域ゾーンを治める〈長〉の支配下に置かれている。

〈長〉は滅多なことでは、裏稼業者たちの前に姿を現さない。その代わりに、間に立つ役職がいくつか設けられている。ヴォルフのような〈窓口〉や〈監視員〉が、その役職にあたる。

〈長〉の権力はゾーンの範囲に比例する。支配するゾーンが広ければ広いほど、〈長〉は強大な権力を握ることになる。つまり裏社会におけるゾーンとは、都市単位ではなく、〈長〉の支配圏を指すのである。

 ここ、アトランヴィル・シティ裏社会の〈長〉は、〝帝王〟の異名を冠するジェラルド・ブラッドリーである。支配圏はアトランヴィルを含む大陸東エリア四分の三、という圧倒的な権力を持つ人物だ。

 新米ワーカーのエヴァンは、当然〈長〉に会ったことなどない。レジーニも面識がないそうだ。〈窓口〉であるヴォルフは、年に何度か、顔を合わせることがあるらしい。


「それで、だ」

 ヴォルフの説明は続く。

「その連中には特徴があってな」

「特徴?」

「ああ。そいつらが現れた所には、必ずと言っていいほどメメントが湧いているんだそうだ」

「なるほど」

 コーヒーを半分ほど飲んだレジーニは、カップをソーサーに置いた。

「メメントはいつどこで、どういう条件下のもとで発生するか分からない。だのにそいつらがいた場所に、ほぼ確実に現れている。その無法者連中と、メメント発生の関連性を調べろ。そういうことだね?」

「話が早いな」

 エヴァンは空になったコーヒーカップを脇に押しやり、頬杖をついた。

「なんだ、調べもんかよ。そういうのは〈探偵〉の仕事なんじゃねえのか?」

 調査だのの外回りは性に合わない。地道な作業は、エヴァンには退屈極まりなかった。

 裏社会の〈探偵〉は、表社会の探偵業と大差ない。依頼主が裏稼業者である点を除けば。

「メメントが関係するだろうから、こりゃお前たち〈異法者ペイガン〉の担当だ。こういう地道な仕事もできるようにならなけりゃ、この先食っていけなくなるぞ」

「へーい」

 気は進まないが、そこまで言われては拒めない。エヴァンは了解し、渋々頷いた。

 ヴォルフは携帯端末エレフォンを取り出し、太い指で画面を操作し始めた。

「先週、市街監視カメラに映った、そいつらの映像を送る」

 まもなくエヴァンとレジーニの携帯端末が、動画ファイル付きメールが受信した。二人はそれぞれの端末で、問題の映像を確認した。

 

 画面右下、日付とともに表示されている時間は、深夜一時二十一分。どこかの通りに沿うクラブらしき建物の入り口を、左斜め上から捉えた映像だ。時刻は深夜だが、暗視モード撮影のおかげで、細部まではっきりと見える。

 動画が再生されてから二分後、トランクケースを持った二人の男が、周囲を警戒しながら店から出てきた。

 その二人のあとから、もう一人。長身の男が、悠々とした足取りで現れた。黒い長髪の男で、ロングコートと古いエンジニアブーツを身に着けている。特徴的なのは、顔の半分を覆う赤いゴーグルを装着している点だ。

 男たちの前に、一台の電動車が停まった。彼らはその電動車に乗り込み、どこかへと去っていった。

 男たちが去ってから、更に数分後。建物が大爆発を起こした。ドアや看板、窓が破壊されて吹き飛び、凄まじい勢いの炎がクラブを包み込む。そしてその炎の中から、いびつな形状の生き物が一体、這い出てきた。メメントだ。


 ヴォルフが口を開いた。

「キアラ・シティで撮られた映像だ。メメントは現地の〈異法者〉が片付けた。このクラブは、裏で武器の闇取引をやってる所でな。さっきの連中は、銃火器をいくつか持って行きやがったようだ」

 レジーニが鼻を鳴らして嗤った。

「正面から堂々と出て行くとはね。おそらく爆発させる前に、内部で殺しもしているだろう。まったく身を隠す気がないらしい」

「だろうな。最後に出てきた、赤ゴーグルの野郎が主犯格のようだ。どこのどいつだか、いまだに正体が掴めてねえ。だが、こいつが引き連れてる連中は、二ヶ月前にジェルゴ・シティで起きた護送者脱走事件で、行方をくらませた囚人たちだって話だ。顔の照合も済んでるから間違いねえだろう」

 ジェルゴの護送者脱走事件は、記憶に新しい出来事だ。受刑者十人を乗せた護送車から、その十人が姿を消した、という事件である。囚人を運んでいた警察官二人が殺害されたことや、護送車の扉が外からこじ開けられた痕跡があった点から、何者かが計画的に護送車を襲撃し、囚人たちを連れて行ったのではないか、と考えられている。

 事件発覚当時、どのチャンネルもこぞってこの事件を取り上げていたので、普段ニュースなどあまり見ないエヴァンでも覚えていた。

 エヴァンは動画を巻き戻し、赤いゴーグルの男が姿を見せた場面で静止させた。

 食い入るように、じっとその男を見る。奇妙な既視感がある。

「なんかこいつ、見たことある気がする」

 レジーニとヴォルフに向けて、あるいは自分自身に向けて、エヴァンは言った。

 どこで見たのか、なぜ知っているのか、詳しくは思い出せない。ただ男の姿を見た瞬間、何者かの声が脳裏を過ぎったのだ。

 

 ――坊主。

 

 男の声で、そう呼ばれた気がする。誰の声だろう。あの赤いゴーグルの男なのか。

 

 ――坊主。お前、

 

 何かを訊かれたのだ。どんなことを訊かれただろうか。あまり気分のいい質問ではなかったように思う。

 ヴォルフが訝しげな表情で、顎ひげをさすった。

「人違いじゃねえのか。本当にこの男か?」

「うーん、たぶん。どっかで見たんだよ。かなり前だと思うんだけど」

「お前の記憶力なんか当てにできない」

 ばっさりと切り捨てたのはレジーニだ。

「つまり、僕らが調べるべきは、この男ってわけだね。なら、さっさと取りかかろうか」

 常に冷静沈着な彼はすっと席を立ち、ジャケットの乱れを整える。

「情報屋がそろそろ何か掴んでいるかもしれん。レジーニ、いい機会だ、エヴァンを〈プレイヤーズ・ハイ〉に連れて行け」

 ヴォルフの言葉に、レジーニは一瞬動きを止めた。

「まだあいつに面通ししてねえんだろう。今のうちに済ませておいた方がいい」

 レジーニが感情の読み取れない顔つきで、エヴァンを一瞥した。事情が汲めないエヴァンは、レジーニとヴォルフを交互に見る。

「え、なに、何の話?」

 エヴァンの疑問には、二人とも答えなかった。答える代わりに、レジーニが小さく頷く。

「そうだな。そろそろ頃合いかもしれない」

「だから、何の話だって」

「行けば分かる。お前は外で待ってろ。僕はヴォルフに確認することがある」

「それって、俺も聞いとくべきことなんじゃねえの?」

「お前は知らなくていい。ほら、先に行け」

 レジーニは、まるで飼い犬に指示するかのような仕草で、外に出て行くようエヴァンを促す。

「なんだよ。大事そうな話は、いつも俺抜きかよ」

「お前が理解できる内容だったら話してやるさ。僕が行くまで、勝手に車に乗るんじゃないぞ」

「わかったよ! ケチ」

 この、いつまでも新人のようにあしらう態度は、まったくもって気に入らない。しかし、抗議でもしようものなら、ただちに〝アグレッシブな教育的指導〟が執行されるのも分かりきっている。不服ではあるが、相棒を怒らせるのはやはり怖いので、素直に従うエヴァンであった。


 

 不満たらたらのエヴァンが、ドアの向こうに姿を消す。レジーニはそれを見届けると、ヴォルフの方に向き直った。

「で?」

「なんだ」

 ヴォルフが片方の眉尻を上げる。

「この話の裏に何があるのか、と訊きたいんだけど」

「なぜそう思う」

「何もないのなら、あんたはこの仕事を僕たちに割り振らなかったはずだ」

 レジーニは碧の双眸で、ひたとヴォルフを見据えた。

「メメント関連だからといって、討伐するだけが仕事じゃない。同じ〈異法者〉であっても、ワーカーによって得意分野がある。僕やあの馬鹿は退治を専門とする、いわゆる〝現場組〟。反対に、リサーチを得意としたり、そちらを完全な専門とするチームも存在する。実際僕も、リサーチ特化の〈異法者〉チームを何組か知ってる。もし、この仕事に裏がないのなら、あんたはそういったリサーチ型のチームに話を持っていくはずだ。アトランヴィルの〈異法者〉は、僕らのような現場組が他のゾーンと比較しても少ない。なのに、わざわざ僕たちにリサーチの仕事を振るということは、それなりの理由があるからだ。僕らでなければならない理由がね」

 レジーニが持論を展開すると、ヴォルフは苦虫を噛み潰したような表情で鼻を鳴らした。

「お前の小賢しさにゃ、時々うんざりさせられる」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「確認事項はそれだけか?」

「あんたに、『この仕事を僕らにやらせろ』と指示したのは、おそらく〈長〉だ。違うかい」

 ヴォルフは答えず、荒く鼻息を吹いて、頭をがしがしと掻いた。レジーニは構わず続ける。

「なぜ〈長〉が僕らを指名したか。答えはひとつ。あいつがいるからだ」

 レジーニは目線でドアを示した。正確には、ドアの向こうでぼんやり待っているであろう青年を。

「あんたはあいつがマキニアンであることを〈長〉にも明かしている。それが〈窓口〉としての義務だからね。元軍部の戦闘員が自分の支配下にいると〈長〉が把握しているなら、これを利用しない手はない。今のあいつがどういう立場であれ、もともとは軍部の所属で、引いては〈政府サンクシオン〉の管理下にあった。〈政府〉は〈長〉がもっとも貸しを作りたい相手だ。微々たるものでも〈政府〉とのつながりを持つエヴァンをわざわざ指名するということは」

 レジーニは携帯端末のディスプレイを、ヴォルフの方に向けた。ディスプレイは、例の男の姿が映った画面で静止している。

「この男は軍部、もしくは〈政府〉関係者だろうね。〈長〉の狙いは、この男を利用して〈政府〉に対して貸しを作ることだ。エヴァン本人に〈政府〉に対する影響力はなくても、この男と絡ませることによって得られる何かがある」

 ヴォルフは頭を掻く手を止め、カウンターに置き、レジーニの方に身体を傾けた。

「小僧、俺たちワーカーはな、〈長〉の意向に触れちゃならねえんだ。本人の意思で事情を明かす以外で〈長〉の腹を探るような真似は命取りだ。よく回る脳味噌はそこまでにしておけ」

「そうするよ」

 ヴォルフの態度は、推測が概ね的中していることを意味している。今はそれだけで充分だ。レジーニは携帯端末のディスプレイをホーム画面に戻し、ジャケットの内ポケットにしまい込んだ。

「〈SALUTサルト〉にも関係が?」

「ジェラルドが何をどこまで掴んでいるのか、俺にも分からん。サスペンスドラマごっこは終わりだ。さっさと行かんと、待ちくたびれて猿が吠え出すぞ」

「じゃ、行ってくる」

 レジーニは軽く片手を上げ、ヴォルフに背を向けた。去り際、荒々しい鼻息が聞こえた。

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