荒れ果てた廃病院を、警戒しつつ進む。廊下に散ったガラスや瓦礫の欠片を踏むたびに、ジャリ、ジャリと音が響く。

 覆うもののなくなった窓からは、燦々と外光が射し込んでいる。それにも関わらず、内部はひんやりしていた。

 すえた臭いはカビのせいか。つんと鼻の奥をつく刺激臭の正体は、壁に染み込んだ薬品だろう。

 メメントは、確かにいる。エヴァンはその存在を感知している。しかし、一向に現れる気配がない。


「具体的な位置は分からないのか」

 前を歩くレジーニが、振り返らずに訊いた。

「俺、感知能力そんなに高く設定されてねーからな。さっきから俺たちを、遠巻きにして様子見してる感じだ。あと、ちっこいのがちらほら」

「本当にただの体力馬鹿だな」

 レジーニの毒舌にはだいぶ慣れたので、この程度の文句は受け流せるようになった。

「なあレジーニ。ちょっと大事なことを訊いてもいいか?」

「不毛な話だったら、頭撃ちぬいて窓から突き落とす」

「どうやったら女の子の信頼を勝ち取れるもんなんだ?」

「遺言があるなら聞いてやるよ」

 レジーニは無駄のない動作で振り返り、安全装置を外した銃をエヴァンの額に当てた。

「待て待て待て待て、急所を狙うな急所を! 真剣な話なんだって!」

 エヴァンは条件反射で両手を上げた。

「僕にとってはくだらないつまらないどうでもいい話だ。投身自殺に仕立てるから靴を脱げよ」

「さらっと恐ろしい計画を立てるな! お前女の子にモテるだろ。どうやって接してんのかなーって、ちょっと気になったってだけじゃん!」

「例の向かいの部屋の子か」

「うん」

 エヴァンが素直に頷くと、レジーニは呆れて大きなため息をつき、銃を下ろした。

 アルフォンセ・メイレインへの恋心について、エヴァンは何度となくレジーニに相談を持ちかけた。そのたびに面倒くさそうな嫌な顔をされるのだが、他に適切な相談相手がいないのだから仕方がない。

「どうしてこの僕が、猿の恋愛相談なんかに乗らなくちゃいけないんだ」

「お前しか訊ける相手いないし」

「ラジオの人生相談コーナーにでも投稿しろ」

「それも考えたけど、なんか恥ずかしいじゃん? 街中の人に聞かれるんだぜ?」

「お前の羞恥心のバロメーターはおかしい」

 レジーニは首を振りながら、再び歩き出す。エヴァンはまた、彼の後を追う形になった。

 レジーニは非常に迷惑そうだが、エヴァンにとっては重要な問題なのだ。訊けるときに訊いておかなければ、いつまでたっても悩みが解決しない。

「俺さ、〈SALUT〉の時から、同世代の女の子と話すようなこと、滅多になかったんだよな。だから正直なとこ、どう接すりゃいいのか分かんねーんだ」

「お前が女性に免疫がなかろうが何だろうが、僕にはなんの関係もない。自分で蒔いた種は自分でなんとかすることだ」

「だから、その種をどう収拾つけりゃいいんだよ」

「そんなこと自分で考えろ!」

 怒るレジーニが、くるりと踵を返した。直後、二人はほぼ同時にクロセスト銃を構えた。向き合う二人は、互いの肩越しにエネルギー弾を放つ。エヴァンの背後をレジーニが、レジーニの背後をエヴァンが。

 二人の放ったエネルギー弾が仕留めたのは、中型犬ほどの大きさの、ダンゴムシに似た物体だった。硬そうな甲殻と、まばらに生えた体毛を有している。ピルバグと呼ばれているメメントだ。

 二人はお互いの肩越しに、倒したメメントを見やる。

 エネルギー弾に撃ち抜かれたメメントは、臭気を含んだ蒸気を発生させつつ、消滅していった。

 レジーニがずれた眼鏡の位置を正す。

「あれが『ちっこいのちらほら』か」

「だな」

 エヴァンは頷き、銃をホルスターに戻した。

「でさ、話の続きなんだけど」

「もういい。こっちの頭が悪くなるような会話はしたくない」

 再び背を向けるレジーニ。追いかけっこが再開した。

「相棒が真面目に相談してんだぞ。ちゃんと目を見て、ちゃんと答えろよ」

「なにが相棒だ。お前の面倒なんか引き受けるんじゃなかったと、つくづく後悔してるよ。クビ宣告まで残り二週間切っていることを忘れるな」

 レジーニが一向に足を止めず、振り返りもしないので、エヴァンは走って先回りし、彼の前に立ち塞がった。

「答えてくれなきゃ、もっとしつこくウザくしてやる。あと、俺をクビにできると思ったら大間違いだからな」

「子どもかお前は。そういうしつこいところを自重しない限り、絶対に女性にモテることはない。そもそもお前は、その子の信頼を得て、それからどうしたいって言うんだ」

「え? そ、そりゃお前」

 頬が熱くなるのを感じた。頭に浮かんだ妄想に、思わず口元が緩むのを、エヴァンは手で抑える。

「ちゅ、ちゅう、とか?」

「踏むべき手順をことごとくすっ飛ばしてダイレクトアタックしようとするんじゃない。そんな調子じゃ、そのうち思い余って押し倒しそうだな」

「するかそんなこと!」

「そうかい。まあ、童貞にそんな度胸なんかないだろうね」

「どどどどど童貞って言うな!」

 そのとき二人は同時に反応し、銃を構えた。お互い越しの射撃を、今度は何十発と繰り返す。

 ダンゴムシ似のメメント、ピルバグが、建物内のあちこちからウジのように湧き出してきた。

 驚異的な跳躍力でジャンプしてくるピルバグを、エヴァンとレジーニの放つ弾は、狙いを外すことなく葬る。撃破したピルバグは、悪臭の湯気を放出しながら、次々と消えていった。

 正確に、何体倒したのかは分からない。ピルバグを倒し尽くした時点で、銃のエネルギー残量が半分ほどになっていたので、かなりの数を屠ったはずである。

「現れ始めたな。エヴァン、大きい反応はどうなっている」

「あー、そっちの方は……」

 エヴァンは周囲の気配を探った。ちらほらしていた〝ちっこいの〟であるピルバグは、さきほどの銃撃で滅ぼした。あとは、ずっと潜んでいる大きな一個体のみだ。

 急速な接近を感じ取れた。足元からだ。

「下だ!」

 エヴァンが警告を発すると同時に、二人は互いに反対方向へ飛んだ。直後、まるで火山噴火のように床の一部が吹き上がり、赤黒い柱が現れた。柱が打ち破った床の破片が、雨あられと降りそそぐ。


 赤黒い柱の正体は巨大なメメントだった。全長は明らかではないが、相当な大きさなのは間違いない。無数の足と硬い甲殻に覆われたヤスデのような形状から、ディプロフォームと名称の付いた種である。

 ディプロフォームは長い胴を折り曲げ、どちらの獲物に喰いつこうか思案している風に見えた。

 エヴァンは細胞装置を起動し、両前腕を〈イフリート〉に変形させる。メメント越しに、レジーニも〈ブリゼバルトゥ〉を構えるのが見えた。

「すんげえキモいのが出てきたな。油のってそうだし、ここは燃やすのが一番だろ!」

 エヴァンの意思に呼応した〈イフリート〉が、内部に搭載された属性具象化システム、フェノミネイターを発動させる。微量の機械音を発しながら動き出したフェノミネイターは、〈イフリート〉の拳先に炎属性エフェクトのエネルギーを充填する。〈イフリート〉の甲が、焔の輝きを放ち始めた。

 ボクサーのように両拳を打ち合わせたエヴァンは、勇ましく戦闘態勢をとる。

「来やがれヤスデ!」

「エヴァン、ディプロフォームはかなり大きいぞ」

「油断するなって言いたいんだろ? 分かってるよ、俺だってそんな無鉄砲じゃうごは!!」

 語尾が意味不明の悲鳴になったのは、ディプロフォームの残る半身が床下から出現し、エヴァンを薙ぎ払ったからである。

 強烈な一撃を受けたエヴァンは弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。衝撃のあまり、壁が円形に大きく窪む。

 ディプロフォームが胴体をひねり、頭部をもたげて、エヴァンを見下ろした。メメントの腹部があらわになる。無数の足が蠢くその様子は、形容しがたい気味悪さだった。

 頭部に近い部分に生える足の一ヶ所が、ガマ口のようにがばっと開いた。その口から粘液にまみれた触手が現れ、射出される。

 エヴァンは窪んだ壁から急いで我が身を引き剥がし、触手の捕獲から逃れた。獲物を逃した触手が、壁のコンクリートを喰い破る。

「こんにゃろ!」

 体勢を整えたエヴァンは、高熱を帯びた〈イフリート〉を、ディプロフォームの甲殻に叩き込む。炎のエフェクトが発生し、火花と熱波を撒き散らした。

 手ごたえはあった。しかし、ディプロフォームは炎上しなかった。一瞬燃え上がるのだが、たちまち鎮火してしまうのだ。

「なんだこいつ!」

「エヴァン、お前の〈イフリート〉じゃ、ディプロフォームは仕留められない。僕のフォローに回れ」

 〈ブリゼバルトゥ〉の蒼い光が一層強くなる。エネルギー出力を上げたようだ。

「甲殻は火を弾く上に、銃でも貫けない。腹部を狙うしかないんだ。それに」

「マジか!」

 そのとき、ディプロフォームが大きく動いた。胴がぶるっと震え、触手が二つに分かれたのだ。分裂した触手が、エヴァンとレジーニに同時に襲いかかる。

 レジーニは迫り来る触手を避けず、〈ブリゼバルトゥ〉に絡みつかせた。フェノミネイターが冷気を発し、触手を凍りつかせる。レジーニが剣を振り上げると、凍結した触手は木っ端微塵に砕けた。

 エヴァンは触手を片手で掴んだ。腕を通して、ディプロフォームの重量が感じられる。

「内側をやりゃあいいってんだろ!」

 〈イフリート〉の炎エフェクトが発動。真紅の籠手から生まれた炎は触手を這い上がり、ディプロフォームの開いた口を直撃した。炎を飲み込んだ口腔内で、凄まじい爆発が起こる。

「よっしゃ!」

 攻撃が決まり、ガッツポーズをとるエヴァン。しかし喜ぶのも束の間、ディプロフォームの腹部に新たな口が生まれた。

「げ! また!?」

 エヴァンは驚愕し、レジーニは舌打ちする。

「話を最後まで聞け! 本当の弱点は下腹部のある一ヶ所だ。そこから斬り入って心臓を貫くしかない!」

 ディプロフォームの半身が、レジーニを吹き飛ばそうと振り上がった。レジーニはその攻撃をかがんで避ける。

「下腹部を外側にさらせ!」

「おう、分かった!」

 レジーニが指示を出すと、エヴァンは勇んで応じた。

 ディプロフォームから、耳をつんざくような奇声が発せられた。直後メメントは、壁や天井を破壊し上階へと逃げる。

 レジーニはエヴァンに、〝二手に分かれる〟とジェスチャーを送った。

 エヴァンが頷くと、レジーニは奥の階段に走って向かった。エヴァンは反対側の階段を駆け上がる。

 ディプロフォームは天井を破壊しつつ、どんどん階上へと昇っているようだった。移動しながら建物を破壊する轟音が、止むことなく続いている。

 エヴァンが三階分昇ったとき、メメントの破壊音が唐突に止まった。


(隠れやがったな)


 エヴァンは足音を忍ばせ、メメントが身を潜めたであろう階を探索した。

 その階は入院棟だったらしく、かつて様々な病人や怪我人が過ごしたであろう痕跡が、生々しく残されていた。いつゾンビが出てきてもおかしくない、ホラーゲームでよく見る光景だ。

 ゾンビの方が面白いのにと思いつつ、決して高くはない感知能力を、神経を研ぎ澄ませて最大に活用し、メメントの気配を探った。間違いなくこの階にいる。

 病室を一部屋一部屋覗きながら、荒れ果てた廊下を進む。気配は近くまで迫っていた。が、見回しても敵の姿はまだ見えない。

 どこからか、キリキリキリ、という不可思議な音が聴こえてきた。メメントの気配も急接近している。

 上からだ。気配を追って天井を振り仰いだ。

 天井を這うメメントの触手がエヴァンに迫るのと、その頭部にエネルギー弾が炸裂するのは同時だった。エネルギー弾は、ディプロフォームを負傷させるには至らなかったが、怯ませるには充分な効果があった。 

 撃ったのはレジーニだ。相棒はエヴァンのいる廊下の反対側で、銃を構えていた。エヴァンはメメントが怯んだ隙に、後方に跳んで距離をとった。が、ディプロフォームの別の部位から出現した触手に片足を掴まれた。

 気づいた直後、エヴァンの身体はまたしても持ち上げられ、今度は窓に向けて勢いよく投げ飛ばされた。

 窓枠ごとガラスが破られ、エヴァンの身体は宙に放り出された。

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