3
サウンドベル南、隣の地区との境界線地域に、小さな林がある。ジュール記念病院跡は、その林の中にひっそりとたたずんでいた。
廃墟となって七年ほど経つらしい。風になぶられる木々が、葉を揺らしてざわめく中、廃病院は不気味な静けさを孕んでいた。くすんだ外壁は雑草とツタで覆われ、窓のガラスというガラスは割れて砕け散っている。訪れる者を拒絶しているのか、あるいは冥府へ引きずり込もうとしているか。どちらにせよ、漂う空気は異様である。
この廃墟にメメントが現れた、という情報がヴォルフのもとにもたらされたのが昨日のこと。さっそくエヴァンとレジーニが現場に遣わされた。
メメントは夜闇の中でしか活動しない、と言われていたのは、数年前までの話だ。年々メメントは活動時間帯と範囲を広げている。暗がりに好んで潜む習性は変わらないが、昼夜を問わず動き回るようになった。
レジーニの愛車――つややかな黒のスポーツタイプ――から降りたエヴァンは、朽ち果てた建物を見上げた。まだ陽は高いというのに、この一帯だけ肌寒い気がする。秋が深まるのを前に、廃墟周辺の地面は枯葉に覆われていた。
「おおお、なんかいかにもって感じにおどろおどろしいな。メメントよりも本物が出てくるんじゃねえか?」
「こんな廃墟で、しかも病院。そういう怪奇現象の噂が尽きないのは確かだ」
エヴァンに続いて車から降りたレジーニは、後部座席から円形状の機械を持ち出した。
円形機械の正体は、レジーニの武器である蒼いクロセスト〈ブリゼバルトゥ〉だ。本体に内蔵される
レジーニが円形機械のスイッチを押すと、たちまち剣の形へと姿を変えた。剣の状態を点検しながら、レジーニはエヴァンを一瞥する。
「でも、幽霊だのなんだのは関係ない。実在するのかどうかは知ったことじゃないし、いたとしても、そういう専門家にまかせればいい。僕らが相手をするのはメメントだけだ」
「たまにテレビでやってる心霊特集、あれって本当の話だと思うか?」
剣に続き、クロセスト銃の点検も始めたレジーニは、エヴァンの言葉を鼻で嗤った。
「僕に言わせれば、ヤラセもいいところだね。あんな稚拙で時代錯誤な合成映像を、本物だと思う方がどうかしている」
「なんだヤラセかよ。夢がねーなー」
エヴァンはがっかりして肩を落とした。幽霊やらお化けが実在するなら、ぜひお目にかかりたいと思っていたのだ。
失望するエヴァンを、暫定相棒が呆れた表情で睨む。
「ゴーストなんかに夢やロマンを求める奴があるか。実体のない死者より、確実に存在する〝元死骸〟に集中しろ」
武器の点検を終えたレジーニは、それらを携えて廃病院に足を向けた。エヴァンは慌てて後を追う。レジーニは一秒たりとも、エヴァンが追いつくのを待たなかった。
エヴァンは歩きながら、自分の銃の具合を確かめる。特に問題がなかったので、腰のホルスターに納めた。
クロセストはメメントに唯一対抗しうる、特別な武器だ。その稀少性の高さから、裏社会でもそうそう出回らない。使えそうなクロセストが流通したら、入手は早い者勝ちである。
マキニアンのエヴァンは、いわば全身がクロセストなのだが、〈ショット〉などの遠距離攻撃手段が備わっていない。近接打撃に特化したスペックのため、クロセスト銃が別途必要なのだ。
銃はヴォルフが用意してくれたものである。中古品だが性能はよく、癖がないのが利点だ。
銃に異常がなければ、あとは自分の体調次第である。
足が長く歩幅の大きいレジーニに追いついたときには、廃墟の入り口門前に到達していた。
エヴァンは朽ちた建物を見上げ、目を細める。
(いるな。一体、デカいのが)
重苦しい、厭な空気が漂ってくる。他にも小さな反応が、建物のあちこちから感じられる。付近に潜むメメントを感知する能力も、マキニアンにはあるのだ。
ただ、エヴァンのメメント感知能力は、他のマキニアンに比べて平均的だ。あまりに離れた場所にいる対象は察知できない。
「エヴァン、見ろ」
レジーニが鉄格子の門扉を指差し、エヴァンを呼んだ。
門には電子ロックが設置されているのだが、壊れてだらりと門にぶらさがっていた。長年風雨にさらされていたから、という原因での壊れ方ではない。明らかに人為的な破壊の痕跡が見られる。
「先客か」
レジーニは壊された電子ロックをつつき、廃墟を見上げた。エヴァンもつられて視線を上げる。
「俺たち以外の〈異法者〉が、もう中にいるってことか? そんなの聞いてねーけど」
「同業者だったら、ヴォルフが黙ってないだろうな。この仕事は僕らに任されたものだ。ヴォルフがダブルブッキングなんてするわけがない」
裏稼業者は必ず、ヴォルフのような〝窓口〟から仕事を請け負わなくてはならない。窓口は、誰かに一件仕事を斡旋したら、結果が出るまで、同じ内容の仕事を別の誰かに回してはならない。持ち場のワーカーを管理する窓口が、ダブルブッキングをするなどあってはならない不手際だ。
同時に、窓口の仲介なしに仕事をすることも、犯してはいけない禁忌である。裏社会は脛に傷を持つ無法者だらけだが、独自の掟が敷かれており、それなりの秩序を保つ義務があるのだ。これらに反する行動をとる者は、すみやかに何らかの処罰が下される。
「同業者じゃねえなら誰なんだよ。あ、〈墓荒らし〉じゃね?」
「〈墓荒らし〉にしたって、所属エリアの窓口に届出はする。窓口たちは同じ日同じ時間帯に、別のワーカー同士が鉢合わせしないよう、スケジュールを調整し合うんだよ。〈墓荒らし〉にせよ、他のワーカーにせよ、正式に仕事を請けた僕らがいる限り、そいつらは違反者だ。見つけたら報告する」
レジーニが鍵の壊れた鉄門扉を押すと、耳障りな音で啼きながら重々しく開いた。
エヴァンは、抑えきれない好奇心にまかせて、思いついたことを口に出す。
「ひょっとして、近所の子どもが肝だめしでもしてたりして」
「そんな馬鹿はお前だけで充分だ。行くぞ」
レジーニが先に廃墟敷地内に足を踏み入れた。エヴァンは相棒を追いつつも、聞き捨てならない言葉に、きっぱりと抗議の声を上げる。
「おいちょっと待て。俺はこんなとこで肝だめしなんかしねーから。するならもっと派手なとこ行くぞ。古くてでっかい城とかな!」
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