4
エヴァン・ファブレルの目覚めは唐突だった。
目を開けたものの、今、自分がいったいどこにいるのか、まったく見当がつかなかった。
すぐに理解できたことといえば、ベッドではなくソファに寝ていること。手触りのいい高級そうな毛布をかぶっていること。そして、なぜか裸であることくらいだ。下着すら履いていない。
(どうなってんだ。ここはどこだ。しかもなんで裸?)
混乱しながらもエヴァンは上体を起こし、周りを見回した。できる限りの状況確認をしたい。いかなるアクシデントに見舞われても、置かれた状況を冷静に確認すること。そういう訓練を厳しく受けてきたのだ。優秀かどうかはさておき。
古めかしい屋敷の一室のような部屋だ。〈施設〉内のどこかだろうが、なぜこんな場所に自分がいるのか、その理由は思いつかなかった。
(俺、何やってたんだっけ?)
こんな格好でこんな所に寝かされる前まで、自分はどこでどうしていたのか。思い出そうとしたが、頭の中は濃い霧に覆われたように不明瞭で、何ひとつ思い出せなかった。
分かっているのは自分自身のこと。軽い記憶障害が起きているようだが、自分が何者なのかという大事な情報まで忘れていなかったのは、幸いだったと言えるだろう。
もう一度周りを見てみた。はて、〈施設〉にこのような場所があるだろうか。エヴァンは首をひねって思案した。〈施設〉内の全てを把握していたわけではないのだから、知らない部屋が多数あって当然なのだが、この部屋は〈施設〉とは違う雰囲気がある。
(何かされたと思うんだけどな)
〈施設〉の研究員たちに連れて行かれて、何か妙な注射をされたような気がする。うっすらとだが、そんな記憶が脳裏をよぎった。
うーん、と唸って、懸命に思い出そうとするも、何もひらめかなかった。
ふと気配を感じたエヴァンは、反射的に身構えた。気配の元を探ろうと、意識を集中する。
視界の端に薄茶色の物体が現れ、エヴァンに迫ってきた。とっさにそちらへ身体を向ける。が、薄茶色の正体が大型の犬だと分かるや、ほっと肩を撫で下ろした。
「なんだよ、脅かすなよ」
垂れ耳の大型犬は、つぶらな黒い目でエヴァンをじっと見つめる。邪気のない、好奇心旺盛な眼差しに、エヴァンの口元は自然と綻んだ。
手を差し出すと、犬は鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、エヴァンの胸元にすり寄ってきた。頭を撫でてやると、嬉しそうに尻尾を振る。
犬の毛並みは柔らかく、艶やかだった。手入れが行き届いている証拠だ。大事に飼われているのだろう。
しかし、こんな犬を飼っている人物などいただろうか。そもそも〈施設〉は、動物の連れ込みは禁止ではなかったか。
体毛に埋もれた首輪を見つけたエヴァンは、ぶら下がっているネームタグを手に取り、刻まれた名前を見た。
「ジャービルっていうのか。よろしくな」
犬と挨拶を交わしたとき、部屋の扉が開いた。そちらの方に顔を向けると、熊のような大男と小柄な老人が、連れ立って部屋に入ってくるところだった。
「やあ、おはよう」
小柄な老人が、淡々とした口調で声を掛けてきた。不機嫌なのか、仏頂面だ。
一方の大男は、値踏みするような目つきで、じっとエヴァンを見ている。太くたくましい腕を、厚い胸板の前で組んでいた。
「気分はどうだね。吐き気や頭痛は? さきほど一度目を開けたのだが、すぐにまた眠ってしまったので、こちらに運ばせてもらったよ」
老人はエヴァンの向かいのソファに座った。犬のジャービルはエヴァンから離れ、老人の足元に伏せる。彼の犬のようだ。
エヴァンは警戒を解かずに、二人の来訪者を交互に見た。
「いや、別にどうとも。あんたら誰? 俺なんでこんなとこにいるんだ? ここどこ?」
〈施設〉関係者は好きではない。連中はエヴァンを人間扱いしないからだ。心を許せる相手は何人かいるが、ほとんどの研究者はエヴァンと仲間たちを、ただの道具としか見ていない。
目の前にいるこの二人も、そんな連中に含まれるのだろう、と思った。
「私はシーモア・オズモント。こちらの大男はヴォルフ・グラジオスという。ここは私の自宅だ」
「自宅?〈施設〉じゃねえのか?」
「うむ、違う」
オズモントは、こっくりと頷いた。ますますわけが分からない。ここが〈施設〉外であるなら、この二人は〈施設〉関係者ではないのだろうか。
「君の名を伺ってもいいかな」
「エヴァン・ファブレル。あのさ、まったく状況が理解できねえんだけど、俺今までどうしてた? なんで裸?」
「覚えていないのかね」
「ちょっと記憶が抜けてるみたいなんだ。ここで目が覚める前に、どこで何してたのか全然分かんねえ。自分のことは覚えてるけど」
「では、君自身の確認をしたい。君は、マキニアンだね?」
オズモントの目つきが、鋭いものに変わった。エヴァンの内側を見透かそうとするかのように。
彼の口から〈マキニアン〉の名が紡がれたことに、エヴァンは一瞬どきりとした。〈施設〉以外の人間が知っているとは思わなかったのだ。
オズモントはエヴァンを落ち着かせようと、片手を上げた。
「そう警戒しなくてもいい。ここには君をどうにかしようとする者はいないよ。いたとしても、君の敵ではなかろう?」
「そりゃ、そうかもしんねえけど……だけど、なんでマキニアンのことを?」
熊男が、その体躯にふさわしい大きな口を開けた。
「先生よ、そろそろマキニアンってやつについて説明してくれや」
言いながら熊男は、オズモントの隣に腰かける。ソファが深く沈み、ぎしりと痛々しい音を立てた。
オズモントはエヴァンに注意を向けたまま、熊男の質問に答えた。
「マキニアンは、対メメント専用の強化戦闘員だ。軍部所属の兵士から選出された者が、特殊な強化手術を施されてマキニアンになる。とはいえ彼らは、れっきとした人間だ」
「特殊な強化手術ってな、どういうもんだい」
熊男ヴォルフの問いは、オズモントだけでなく、自分に向けられたものであると、エヴァンは察した。
この二人に見せていいものかどうか、正直なところは分からない。だが、ただでさえ不可解な状況に置かれているのに、これ以上頭を悩ませると脳みそが溶けそうだ。
細かいことを考えるのが苦手なエヴァンは、迷ったら自分の心に従うようにしている。それでだいたい、うまくいく。
この二人からは敵意を感じない。なによりオズモントは、マキニアンをちゃんと〝人間〟だと言ってくれた。〈施設〉の連中と違って。
エヴァンは意を決し、オズモントとヴォルフによく見えるように右腕を伸ばした。
「こんな感じ」
エヴァンの意思に応じて、彼の全身を構成する〈
右前腕の身体組織が真紅の金属に変化した。金属化した腕の表面に装甲が出現し、前腕を覆う。ものの数秒足らずで、エヴァンの右腕は紅の
ヴォルフとオズモントの目が、エヴァンの腕の変身に釘付けになっている。
二人の率直な反応に、エヴァンはちょっとだけ気分が良くなった。
細胞装置の解除も、ほんの一瞬だ。真紅の籠手は、たちまち元の身体組織に戻った。
ヴォルフが感心しきりと頷いている。
「こりゃあいったい、どういう仕組みだ」
彼の疑問への回答は、オズモントが引き受けた。
「マキニアンの肉体を構成する細胞装置の能力だ。特殊手術による〈
オズモントがあまりにも流暢にマキニアンについて話すので、エヴァンはさすがに慌てた。
「待って待って! なあ、オズモントさんつったっけ? あんた、なんでそんなにマキニアンに詳しいんだ? 一応さ、極秘事項ってことになってんだよね、俺たちのことは」
「私が以前勤めていた国防研の知人から教わった話だ。その人物は、かつて〈イーデル〉の研究者だったのだよ」
〈イーデル〉……それこそが施設の名称だ。
「そろそろ本題に移ろう、エヴァン。君はコールドスリープ状態にあった。スリープを解いたのは私で、装置をここへ運んだのがヴォルフだ」
「は? コールドスリープ?」
予想外の答えだ。エヴァンは片眉を吊り上げた。
「そう。冬眠状態にあったと考えたまえ。君を保管していた装置は、先日〈パンデミック〉跡地で発掘された。〈パンデミック〉跡地というのが、どこのことだか分かるかね?」
まるで分からない。エヴァンは素直に首を振った。
「すなわち〈イーデル〉の跡地のことだ。君たちマキニアンで構成された戦闘部隊〈
〈SALUT〉。たしかにそれは、エヴァンが所属するマキニアン部隊だ。総員は五十名。任務はメメントを駆逐すること、これのみ。
〈SALUT〉は軍部に属する部隊だが、本拠地は軍基地ではなく、研究施設〈イーデル〉に設けられている。
「その〈パンデミック〉って何だ? 跡地って、どういうことだよ」
「〈イーデル〉内で起きた、大量メメント発生事件のことだ。詳しくは聞かされていないが、ともかく膨大な数のメメントが、〈イーデル〉内に発生した。それらの駆逐のために、〈SALUT〉に加えて陸軍も出動し、大規模な作戦が遂行された。施設内は戦場と化し、甚大な被害を受けた。戦いの中で、〈イーデル〉は崩壊。〈SALUT〉も壊滅状態になり、以後解散したと言われている」
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