それは、夏盛りの七月中旬のことである。

 

 その日は夕刻から、アトランヴィル・シティ上空に暗雲が立ちこめていた。雲は水蒸気を含んで徐々に重くなり、ぽつぽつと水滴が落ち始め、本格的な雨になったのは午後八時二十分の日没頃だった。

 雨の中、ヴォルフは愛用のワゴンタイプ電動車で、第九区の北、ホーンフィールドの閑静な高級住宅地区を移動していた。

 何度か角を曲がり、やがて見えてきた古風な二階建ての屋敷の前で、ヴォルフは車を停めた。

 降る雨に濡れることも厭わず、外に出て車の後部へ回りこみ、トランクを開ける。

 彼はトランクに、奇妙な金属の物体を積んでいた。

 それは人の身体の半分ほどにもなる大きさで、形状は卵に似ている。つるりとした表面の一部には、物体を操作するものであろう平たい装置が付属していた。

 ヴォルフは、いかにも重そうで取っかかりの何もない金属物体を、苦もなく抱え上げてトランクから降ろした。

 

 金属の卵を抱えたヴォルフは、屋敷の玄関前まで運び、いったん下に置いた。両開きの扉に付いた古風なノッカーを、どんどんと叩く。

 ノッカーの上に設置されたインターホンから、不機嫌な声が返ってきた。

『どなただね』

「俺だ、オズモント先生」

 答えてから間を置かずに、両開き扉の右側が自動で開く。ヴォルフは再び金属の卵を持ち上げ、屋敷の中に入った。

 玄関のすぐ脇に階段があり、踊り場で下を覗く初老の男シーモア・オズモントが、ヴォルフを無言で迎えた。

 オズモントは長い白髪を後ろで一つに束ねた、小柄な人物だ。しわの刻まれた顔はいつも険しく曇っているが、これが通常なのだと、ヴォルフは承知している。

 耳の垂れた大型犬が一匹、オズモントの脇をすり抜けて、ヴォルフのもとへやってきた。犬は太い尻尾を振り振りヴォルフの匂いを嗅ぎ、人懐こく挨拶する。それから、ヴォルフが抱え上げる金属の卵に興味を示した。

「おっとジャービル。こいつは食えるもんじゃねえぜ。すまんな先生。ちょいと床が濡れちまった」

 ヴォルフの身体から、雨の雫がぽとりぽとりと、床にしたたり落ちている。オズモントは仏頂面で、軽く肩をすくめた。

「そのくらいはかまわんよ。電話で話していた〝厄介なもの〟とは、それのことかね」

「ああ。どこに運んだらいい」

「こちらへ」

 ひょい、と人差し指を曲げて、「ついて来い」と合図するオズモント。ヴォルフは彼に従い、金属の卵とともに二階へ上がった。犬のジャービルは、軽快な足取りで階段を駆け上がり、老主人にぴたりと寄り添った。



 ヴォルフが通された部屋は、オズモントの書斎だった。オズモントが、几帳面に整理整頓された書斎の床を指差す。

「そのへんに置いてくれ」

 指示されたとおり、ヴォルフは金属物体を部屋の中央あたりに置いた。

 オズモントは、金属の卵にまとわりつく愛犬をやんわりと注意しつつ、

「ジャービル、離れなさい。ずいぶんと大きな卵だな。どこの養鶏所で採れたのだね」

 そばにしゃがみこんで、しげしげと観察した。ヴォルフは太い腕を組み、老人の所作を見守りながら答えた。

「〈墓荒らし〉どもが掘り起こしたもんだ。〈パンデミック〉跡地でな」

「〈パンデミック〉跡地だと?」

 両目を見開いて振り返るオズモントに、ヴォルフは頷く。

「〈墓荒らし〉ってのは、裏(こっち)の仕事の一つだ。連中は、立ち入り禁止指定区域に忍び込んで、金目のものをあさるのが生業なりわいなんだ。長い間誰も近づいてねえ場所には、案外掘り出し物が眠ってたりするもんなんだよ。で、なじみの〈墓荒らし〉グループが、先週〈パンデミック〉跡地に踏み込んでな。そこで、土ん中に埋もれていたこいつを見つけたんだと。持ち帰ったはいいが、正体が分からねえ、扱いに困る、金にもなりそうにねえってんで、俺に押しつけやがったのさ。中に何かが入ってたとして、開けることができりゃあ、その中身は好きにしてくれ、だとよ」

「それで私に、これを開けろ、というのだね、君は」

「こういうのに強くて信用のおける相手は、あんたしかいねえ」

 ヴォルフの言葉に、オズモントは皮肉な笑みを口の端に浮かべた。

「平凡な大学講師が高く買われたものだな。どれ、それなら試してみるとしよう」

 オズモントは窓際の重厚な机のもとへ移動した。机に置かれたコンピューターを起動させると、数本のケーブルを持ち出し、コンピューターと金属物体をつなぐ。

 オズモントとコンピューターとの睨み合いが始まった。その間ヴォルフは、ジャービルをかまってやりながら、作業が終了するのを辛抱強く待った。

 三十分ほど過ぎた頃、ヴォルフはオズモントに呼ばれた。

「待たせたね」

「どうだい。卵は孵せそうか?」

「どうにかうまくいくだろう。難しいプロテクトがかかっているものと思っていたのだが、少々コンピューターが扱える者なら、比較的簡単に解除できる程度のものだった。この卵を封印した人物は、あえてセキュリティレベルを低く設定したのかもしれない」

「よく分からんが、誰にでも解除できるようにしてあったってことか? なぜ?」

「理由は私も定かではないよ。それはともかく、中身の状態だが」

 オズモントは物体を顎で示した。

「物体内部は極度の低温状態にある。この卵は冷凍保存装置なのだよ。画面をごらん」

 オズモントに促され、ヴォルフはコンピューターディスプレイを覗き込んだ。ディスプレイには物体内部の解析結果が表示されている。その画像の中心に、黒い影が映っていた。

 その影の形状が見知ったもののように思えたので、ヴォルフは目を細めたり、画面に顔を近づけたり遠ざけたりして、よくよく確認した。

 やがて、影の形が何に似ているのか結論に達すると、ヴォルフは濃い眉毛を吊り上げた。

「なんだこりゃ、人間が入ってんのか?」

 解析画像の影の正体は、うずくまる人間だったのだ。オズモントが頷く。

凍結睡眠コールドスリープというわけだ。中の人間の正体は分からないが、どうするね? このまま続けるかね?」

「どうするもこうするも、開けてみなけりゃ話は進まねえだろう。やってくれ」

「〈パンデミック〉跡地で見つかったものだぞ? 厄介な相手だったら?」

「そんときはそんときだ」

 ここまできたら、後に退く気はないのがヴォルフ・グラジオスだ。もう少しで結果が判明するという状況でやめてしまうなど、彼の選択肢にはない。

 ヴォルフの意思を確認したオズモントは、再度頷いた。

「なら、万が一よからぬものが出てきた場合は、ぜひ私を守ってくれ」

 老人の細い指が、キーボードの上を滑る。決定キーを押した途端、卵型の冷凍保存装置から、空気の抜けるシュウウウ……という音が立ち始めた。

「解凍が始まった。この工程が完了すれば、開く」

 解凍はものの数分で終了した。

 ヴォルフとオズモントが見守る中、卵の表面に四角い亀裂が生じ、蓋らしき部位が外側に向けて開いた。

 蓋と本体の隙間から白く冷たい煙が溢れ、装置を包み込んだ。プシュッという排気音と共に、蓋が完全に開く。と同時に、内部で眠っていたものが、その姿を現した。

 

 床に転げ出てきたものは、まぎれもなく人の姿をしていた。

 

 一糸まとわぬ若い青年だった。年の頃は二十歳を過ぎて間もないくらいか。顔立ちには、まだ十代の幼さが残っている。髪は茶色混じりの金髪。湿った裸体は細身であるものの、たくましいしっかりとした筋肉がついていて、かなり鍛えられていることが窺えた。

 青年はピクリとも動かず、産まれたばかりの赤ん坊のような無防備な体勢で、硬く両目を閉ざしている。

 

 起きる気配のない青年の肌に、ジャービルが鼻先を近づけた。青年の匂いを嗅ぎ、しきりと首を傾げている。

 オズモントはジャービルを青年から引き離し、首筋を撫でてやった。

「ジャービルがまったく怖がっていないな。危険な人物ではなさそうだ」

 オズモントは青年のそばで片膝をついた。あちこちを観察し、腕や首、腰に触れる。

 首の後ろを確認した時、彼は「これは……」と驚愕の声を発した。

「どうした、先生」

「ヴォルフ。人は時として、思わぬ所で予期せぬ発見をしてしまうものだな」

「何?」

「ここを見てくれ」

 オズモントが指差すのは、青年のうなじ部分だ。よく見れば襟足の生え際に、小さな丸いものが確認できる。プラグなどを挿す穴に似ていると、ヴォルフは思った。

「私が大学に勤める前、国防研(国家防衛研究所)にいたことは話したね? そのとき、ある人物と知り合ったのだ。彼はかつて、〈政府サンクシオン〉の研究施設に属していて、最も重要な計画に関わっていたそうだ」

「なんだそりゃ」

「メメント討伐部隊の計画だ。メメントと戦わせるために、全身を特殊強化した戦闘員の開発。その戦闘員の名称は〈マキニアン〉」

 オズモントは、信じがたいというように小さく首を振りながら、横たわる青年を示した。

「彼がそうだ。首筋の接続孔が、何よりの証」

 そのとき、青年の指先がピクリと動いた。瞼がかすかに痙攣し、ゆっくりと持ち上がる。

 燃え盛る炎のような緋色の瞳が、瞼の下から覗いた。

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