スタートライン
祐介さんには苦い思い出があるそうだ。彼曰く『所謂黒歴史ってヤツですよ』と言いながら食事にがっつきつつ話を始めた。
「あれは……就職の内定が出なくて困っていた頃に始まるんですよ」
彼は人より遅く就活を始めたので当然苦戦していた。しかしなんとかなるだろうと思っていたのだが、社会というのは学校と名の付く機関と違い厳しいものだった。
きつい言葉こそ無いものの、ふんわりした不採用通知、所謂お祈りメールをいくつも抱えるほどになり、そろそろ心が折れそうだった。
その頃になるともう友人たちは内定を取っているのが当たり前という雰囲気が出た。自分だけが内定がなくて、友人たちが卒業旅行に行くのも見ている事しか出来なかった。
追い詰められてくると正常な判断が出来なくなるもので、多少怪しいような会社でも面接を受けるようになってしまった。そうなると平気で内定が出るようになり、そういった会社の中から少しでもまともなところを選ぶようになった。
結局、祐介さんが選んだのは不動産営業だった。とは言っても真っ当な会社とは言い難い、投資用物件を飛び込み営業するというなんとも辛い営業をする事になった。
電話をかければ罵声を浴びて切られ、訪問すれば塩対応どころか本当に塩を撒かれるような有様で、流石に徐々にメンタルが蝕まれていった。ただ、上司は成績さえ出せばどんなに態度が悪かろうとまともな給料をくれた。
そうなると多少グレーな方法でも契約を取ってくるのが正義になる。次第に法律に触れず、かと言って正直とも言い難い微妙なトークを覚え始めた。
テクニックを覚えていくと、次第に成績もついてくる。そしてお金もそれなりにもらえるとなると手段など選ばなくなってくる。詐欺にならないラインで契約を取っていき、次第に先輩にも追いつけそうになって来た。
そんな時、いつもの様に深夜まで働いてから、帰り道に『過労死ライン』という言葉が笑えてくるな、などと思いながら暗い道を歩いていた。
歩いているとき、ふと視線を感じた。周囲を見渡すと一つの家の庭に家族が立っていた。こんな時間に……と思ったが、何かをしているわけでもない。無視しようと思ったところで気が付いた。周囲は真っ暗なのにその家族だけが真っ昼間に見えるようにはっきり見えている。
これはよくないものだと直感が告げたので駆け足で自宅に帰った。着替えて寝ようとしたところで気がついた。あそこは自分が売った欠陥住宅だった。そのことを告げずにマイホームを探していた家族に売ったのだ。
もしかしてあの家族……と思いネットでニュースを検索したが、一家心中というようなニュースは出てこなかったので、ただ恨まれているだけなのだろう。もちろんそれはそれで嫌なのだが、何よりアレが生霊なのではないかという疑惑が浮かんで怖くなった。
酒の缶を三本ほど開けて強引に飲み、無理矢理その日は寝た。
翌日の事だ、僅かに朝礼後同僚と話す時間があるのだが、先輩になんとなく昨日見たものを話した。すると先輩は笑って言う。
「そうかそうか! お前も一人前だな!」
と愉快そうに言う。何がおかしいのかと尋ねると……
「この業界じゃ人に恨まれて一人前だよ。知らないのか? 死霊を見たらそこそこ出来る営業なんだぞ。ま、お前も生霊じゃなく死霊を見られるまで頑張れよ」
その発言に空恐ろしくなった。つまりそれだけ高額でまともではない物件を売ってこいといっているのだ。その言葉を聞いてなんだか憑き物が落ちたように心が冷え切りその日、営業に出て途中で喫茶店により退職届を書いた。
それはなんと言う事はなく上司が受け取りあっさり退職となった。この業界では人の入れ替わりが激しいので新人が一人やめるくらい一々引き留めない。きっと来年も自分のような人間を雇うのだろうと思いながら退職する事になった。
それから、給料は落ちたのだが、真っ当な会社に就職し、今では人並みの生活を送れているそうだ。
あの頃はメシが不味く感じたんですけどね、辞めちゃうとファストフードでも美味しく感じるようになりましたよ。
彼はそう笑いながら言うのだった。
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