廃屋の中で

 川口さんは心霊スポットをめぐるのを趣味にしているという。今回は幽霊を見たと言うわけではないが、どうしても不思議で仕方ないことがあったそうだ。


 その日、川口さんは会社でたまたまX県の奥の方に住んでいる同僚から話を聞いた。それによると、彼の町の外れ、買い物にも車を出さなければ何処にも行けないような便の悪い土地に一軒の家が建っているそうだ。


 その家は、なんでも以前はバブル期に土地が値上がりするからと言われ、買ってしまった家族が住んでいた。そもそもそこら一帯は住宅地としてまとめて買い上げられたものだが、ご存じの通りバブルが弾けたため、その周囲の開発計画は頓挫して不便なままになっていた。


 しかしそこに住んでいたのはバブル期真っ只中に家を買ったため資産価値も無いが、売るに売れずいた家族が残っていたそうだ。その家族はある日財産になりそうなものを一通り持って失踪した。様々な憶測があるが、ほとんどが経済的な困窮による夜逃げだと踏んでいる。


 しかし、何時からかその家に亡霊が出ると噂になった。はじめは夜逃げした家族の娘だと言われていたが、外国人だったり婆さんだったり、江戸時代の姫のような人だったりと、女性であること以外に一切一致する情報は無かった。


 そんないい加減な噂が好きな川口さんは、同僚にそれとなくその家の場所を聞き、一人そこに向かうことにした。残念だが同僚にオカルト好きはいなかったらしい。


 そして仕事が上がるとさっさと家に帰り、荷物をまとめその地区のビジネスホテルに向かった。同僚に見つかると面倒なので隣の市にあるホテルに予約を取っておき、急いでそこに行く。


 運転している最中はどんな幽霊が出るだろうかと浮ついた雰囲気で、とても悲劇があった家に入ろうという態度ではなかった。ただ、幽霊側もシケた態度で来られようが関係無いと思っているのでそんなものだと思う。


 ビジネスホテルに着いたので、近くのコンビニで弁当を買ったのだが、そのコンビニが大手のチェーンではなく、個人店であったことに『ああ……開発されなかったって話だもんな』と妙に納得した。


 その日は次の日、コソコソと忍び込むことを思うとワクワクしながら眠りについた。


 翌日は良い晴れの天気で、幽霊が出てきたら蒸発しそうな空気だった。『出るもんもでないなこりゃ』と本物は諦めつつも噂を検証するというのはそれなりに楽しいので気分よく話された場所に行く。


 本当に開発から取り残された地域らしく、駐車場も何も無く、おかげで目立たない場所に車を止めることが出来た。これは予想していたので、そこから見える廃屋に忍び込むべく近寄っていった。


 その切妻屋根の建物は、いかにも昔ながらの普通の日本の家という雰囲気で、建てられた時代を考えると珍しいものではなかった。


 しかし正面に回ってみるとボロボロであり、鍵を開ける手間も何も無く、玄関の扉はガラスが割れており、夜逃げした家らしくそもそも鍵がかかっていなかった。


 喜んで忍び込むと足下の埃が舞い上がる。一人の行動だし、人混みに入るわけでもないからと油断してマスクを持ってきていなかった。


 これはしまったなと反省しながら奥に入っていくと、ボロボロになった家具がうち捨てられており、珍しいことではないが、酷い有様だった。


 諦めも悪く奥まで入ったのだが、これといって珍しいものはなかった。台所を開けて何もないのを確認し、向かいの扉を開けた。途端にむせかえるような腐臭がたちこめ、開けた扉の向こうに髪の毛のようなものにおそらくハエだろうものがたかっているのを見た。あまりの臭いに台所に駆け戻ってシンクに胃の中身を吐いてから、口の中を水道でゆすいでその家から這々の体で逃げ帰った。


 それが川口さんの一連の体験なのだそうだ。ただ、女の子の幽霊は出てこなかったし、そこに何か遺体のようなものが見つかったという話も無い。ただグロテスクなものを見ただけだと言うことだ。


 しかし川口さんはそれに付け加えた。


「聞きたいんですが、俺はゲロを台所のシンクに吐いて口を水道でゆすいだんですよ……ねえ、どうしてあの家は水道が通っていたんでしょう? どう考えても誰も住んでいない廃屋ですよ? 水道が通っているはずが無いんです。だから俺が気持ち悪いのはあの得体の知れない腐臭を放つものではなく、自分の口に入った無味無臭の水なんですよ」


 それだけ語って彼は黙ってしまった。私は『黄泉戸喫』というものがあるとは知っているが、それを話したところで彼を悩ませるだけだろう事は明らかなので沈黙を決め込んだ。


 最後に謝礼を渡し、『深く気にしない方がいいですよ』と気休めを言ってその場を立ち去った。彼の話はファミレスで聞いたのだが、運ばれてきたお冷やには一切手を付けず、すぐに店員さんを呼んでドリンクバーを注文していたのが印象的だった。温かな中、彼にアイスを奢ったのだが、彼は一切水に手を付けてはいなかった。最初から最後までドリンクバーのものしか飲んでいなかったのが印象的で、彼は言わなかったが、水が飲めないのだろうなと思った。


 彼が飲んだ水が何だったのかは分からない、ただその廃屋はまだあるそうではある。ただし私は探そうとは思わなかった。

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