誰のために?

 仁史さんはある時まで一度たりとも墓参りをしたことが無かった。両親が盆と彼岸に実家の墓を手入れしているのは知っていたが、そんなことをする必要があるのかと思っていたころのこと。


 話をしてくれた彼によると、『ウチは先祖代々悪いことをしてないんだから死んだら成仏しているでしょう? そう思って墓に参る意味が分からなかったんですよ。』


 基本的に気にしていなかった。一々誰の魂も無い空っぽの石に手を合わせる意味を理解していなかった。


 結局、彼は社会人になるまで無視を決め込んでいたし、盆と彼岸は会社が休暇をくれる有り難い日、くらいに思っていた。


 その夏、彼は夜中に汗びっしょりになった状態で目が覚めた。パジャマがぐっしょり濡れている。どこからこんな量の汗が出たのかと思うほどだった。とりあえずそのままでは気持ち悪いのでシャワーを浴びて再び寝た。しかし翌日朝にはやはり汗だくで目が覚めた。


 それが数日続いた夜、夢の中に教科書でしか見たことの無い、戦中の服を着た老人たちが出てきた。皆一様に怒りの表情をしている。流石にこれには参ってしまい、一番身近な寺であるせんぞから世話になっている寺に行った。


 しかし切羽詰まって頼った割には住職の対応はあまり良いものではなかった。


「あなたは○○さんのところの息子さんですな? ご両親が墓に参れなくなったのは知っているでしょう」


 もちろん知っている。年には勝てず、足腰を悪くしたときに墓参りは出来なくなっていた。それでも墓に参ってはいなかった。


「少し付いてきなさい」


 そう言って玄関を出ていく住職の後を追って墓地を歩いていく。すると一つの茂みの前で足が止まった。


「ここがあなたの家のお墓です」


 どこか怒気さえ感じる住職の声音に怖くなった。


「確かに墓には常にご先祖がいるわけではありません。それでもお盆などはあるんですよ。せっかく帰ってきたのにこうなっていたらどう思うでしょうか、私はあなたの家のご先祖様が読経の最中に来たことがありましたよ」


 そこまでとは思わなかった。ただの石という認識しか無かった。


「もちろん供養することは可能です。ですがあなたがこのままにしておくならまた同じ事が起きますよ」


「ここを綺麗にすれば先祖の怒りもおさまるんですか?」


「ご先祖はあなたに頼み事に行っただけで、恨んでいたりはしませんよ。ご両親はマメに手入れをされていましたから、急に手入れが無くなって驚いているのでしょう」


 それから彼はホームセンターでエンジンオイルを買い、ガソリンを少量調達して、実家にあった草刈り機を動かした。久しぶりに動かすが、きちんと動いたのでそれを持っていった。


 バサバサと背の高い雑草を切っていき、太いものははさみで切ってから雑草の山を作り上げた。見たところもっと大きくなるかと思ったのだが、切ってみると案外大したことはなかった。


 雑草をゴミ袋に詰め、残った雑草に除草剤をかけた。ここまでやっておけば大抵の草は枯れてくれる。


 汗だくになりながらその作業をして、片付いた墓を綺麗にした。きちんと墓石を磨いて線香を供え、手を合わせた。


 住職に墓を綺麗にした旨を告げると、残りの枯れた雑草は片付けておくと言い『頑張りましたね』と労いながら一本の麦茶を手渡された。


 それを飲むと心地よい水分が染み入るようだった。それから住職に『これであの人達はいなくなるんですか?』と問うと、『それはご先祖様次第ですが、そこまで冷酷な方ではないでしょう』と言っていた。


 少し心地よい気分になって自宅に帰った。シャワーで汗を流すと眠気が来たので、久しぶりに安眠できるかとベッドに倒れ込んだ。


 その晩、今度は普段の日ではない先祖らしき人が勢揃いの夢を見た。思わず身構えたのだが、全員スッキリしたような顔をしてお辞儀をして去って行った。その顔に怒りや恨みの色は無く、笑顔で全員が去って行ったのを見送ったところで目が覚めた。


 翌朝は気分よく目が覚めたので、ああ、今度はきちんと帰っていってくれたのかと思い、それから墓参りを欠かさないようにしようと思った。


「これが一連の話です。悪霊も何も出てきませんが、今年も墓にはきちんと参ろうと思っています。その方が手入れも簡単ですしね」


 彼はそう言って笑った。その事があってから彼は墓参りを欠かしたことは無いそうだ。おかげかどうかは知らないが、いい年の彼も健康診断で問題があるとは言われなかったそうだ。そのため、墓参りって言うのは自分のためでもあるんでしょうかね? と言っていたのが印象に残った。

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