第6話 世話役の務め
「ん……? くさっ……」
妙な臭いに目が覚める。ギシリときしむ音が身体を動かした際に鳴り、馬車の荷台で寝てたのを思い出す。
部屋に降りる、という新鮮な経験をして前に回ると馬と目が合った。ロープなどは外れた状態だが一晩中、鼻息が聞こえていた。いつ寝るのか生態が謎だ。
「あー……」
床に敷かれた藁にウンコが落ちている。臭いの原因はこれか。迷った末、汚れた藁と一緒に横へ片す。同じ部屋で夜を明かした仲だ。軽く掃除を済ませて部屋を後にする。少し緊張しながらフロントで鍵を返すと、特に問題なく退店できた。
太陽が朝を知らせる時間帯でも人通りは多い。ラブホテルから出るだけで悪いことをした気分になった。
今すぐ離れたいものの、クルエが見当たらずに立ち尽くす。金もなければ土地勘もなし。ベンチに座って待つしかなかった。
「……」
手持ち無沙汰に広場を眺める。鎧を着て腰に剣を下げたり、ローブを身にまとって杖を持ったり。いわゆる冒険者を生業にする人たちの姿があれか。
自分が戦うイメージはまるで湧かない。しかし、身分の証明をできずに働ける先は限られる気がした。フォローは期待薄だし。たぶん、命の危険があるような仕事が本命になる。
「いや、待てよ……」
勇者召喚の練習を終えた今、俺はお払い箱の可能性も? 事故で死んでしまえ、みたいな。直接手を下せるタイミングはいくらでもあった。何かしらの理由で禁じられてるんだろうけど、前回の勇者は処分されている。
絶対的な命の保証がないのなら隠居暮らしをしたいが、稼ぐことを考えると難しい。ラブホテルの代金を立て替えておくと言われたのは怖かった。
むしろ、嵌められたまであるな。行動を縛るため借金漬けにする作戦だったら、すでに手遅れだ。
「……」
どこかで屋台を開いているのか、串を持ち肉っぽい何かを食べる様子が見られる。普通に腹が減ってきた。
スマホの時計は午前九時を示す。一体、どちらの世界に合わせてあるんだか。時間の経過が分かるだけでも助かりはした。
そして、一時間、二時間とベンチに座りながら腹を鳴らす。見捨てられた説が出てきたな。
「はぁ……」
放置プレイにも限界があるというか。鎖が外れたと思って、早くも独り立ちすべきかもしれない。どうにか働き先、それも住み込みオーケーな場所を探さなければ。都合よく見つかるかは運次第だ。
聞き込みにベンチを立つが、厳つい顔の半裸マッチョが前を通り過ぎて座り直す。え、怖すぎなんですけど。
改めて観察に戻る。そりゃあ、温厚そうな人もたくさん通って行く。話しかけやすいとは思うものの、次は国民性が気になった。
住み込みの働き場所を聞くなど、私は困っていますと宣言しているのと同じ。鴨が葱を背負ってきたぜ、と騙される展開も考えられた。
牢屋より劣悪な環境に閉じ込められるのは勘弁だ。善意か悪意か、まずは世間話で向こうの性格を調べて……。
「……」
ただ、その一歩を踏み出せずに三時間が経過した。そもそも、常識どころか文字通りに住む世界が違うのだ。話が合うはずないわけで、軽快なトークが苦手な俺にはハードルが高かった。
「明るい時間なのに冴えない顔ね」
「クルエ!」
目の前に現れたクルエが後光を差して見え、思わず名前を叫んで立ち上がる。俺のテンションに不審を抱いたのか、怪訝な表情で睨まれた。
「お馬さんとのお泊まりが、そんなに良かった?」
「ウンコが滅茶苦茶臭かった」
「……ドン引きよ」
理不尽な状況を作った元凶の一味なのはともかく、話が通じる相手のありがたみを痛感する。来るのが遅いとの文句は飲み込み握手を求めると、グーで叩き落とされた。
「俺に仕事を紹介してくれ!」
「一晩で随分と殊勝な態度を取るようになったわね。だったら、冒険者になってもらおうかしら」
「飲食店とか雑貨屋みたいなとこで頼む」
「冒険者になるのは決定事項よ」
拒否権がないだと。やはり、事故で殺すつもりか。そっちがその気なら、とことん生き延びて吠え面をかかせてやる。
「とりあえず、飯を食わせてくれ」
「代金を私が支払うこと、ちゃんと覚えておいてね」
「はいはい」
払って当然の立場と突っ込みたいが、どうせ刺し返される。適当に流すしか今はできなかった。
「こっちよ」
移動を始めたクルエの背中を追うと、すぐにある建物の前で立ち止まる。
「冒険者ギルドだよな、ここ」
木造の外観は汚れでさえ味があった。かがり火と盾のシンボルにアルファベットのBが刻まれ、黄昏の文字が看板に引っ付く。旅行気分も日本語で素に戻ってしまう。
朝から昼に近づいたせいか出入りする数が増えた。邪魔にならないよう疑問のまま、重い木の扉を開けて中に入る。
外よりもいくらか騒がしい。正面にカウンターの受付があり五人の職員が対応に追われていた。左の壁に大きな掲示板が備え付けられ、何枚もの紙を張り出している。この光景には惹かれるものを感じた。
上に続く階段は置いといて、右側に空間が広がる。丸テーブルと椅子が並び多くの人が食事を楽しむ。
「なるほど。食事の提供スペースが併設されてるんだな」
「よくある趣向ね」
緊張に踏み出せないでいると、クルエが物怖じせず行ってくれたので後をついて席に座った。テーブルのメニュー表は日本語で分かりやすい。サンドイッチなどの軽食に、がっつりなステーキ肉までが揃う。ドリンク類はアルコールが豊富だった。
「ステーキとビールを大ジョッキでお願い」
「……飲むのかよ」
「何か言った?」
「いえ、何も」
クルエが給仕を呼んでいかつめの注文をしだす。サンドイッチでお腹いっぱいです、みたいな雰囲気なのに。俺も負けじとステーキを頼むが、値段に五千ルクスと書かれてもピンとはこなかった。
「ところでラブホテルの代金って、いくらだったんだ?」
「さあ?」
「……」
そんな素知らぬ顔でとぼけることかと。俺が確認にすら行けないと思ってるのか。まったく、見くびられたものだ。
「ひとつ言っておきたい。世話役の務めは果たしてくれ」
「町の案内をしたうえ、お金を払ってあなたの要望に従ったでしょ」
「ラブホテルに置き去りは犯罪だ。本来は一緒にだな……」
「世話役に任命されたけど性的な行為に同意した覚えはないわよ」
「いやいや……え?」
クルエは運ばれてきたジョッキを豪快に口元で傾ける。
「ふぅ……」
いい飲みっぷりで話は終わりの空気を作られても。この詐欺はどこに訴えかければ裁いてもらえるんだ。
●REC『異世界ラブホテル探訪シリーズ』 ――我々はラブホテルを撮影すべく、異世界の奥地へ向かった―― 七渕ハチ @hasegawa_helm
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