塔の王女は悪魔と孤独を分かち合う

紫陽花

第1話

 北の小国ヴィンタールスト。

 この国の王族には、呪いが掛かっていた。


 欲をかいて悪魔を呼び出した国王が、逆に手玉に取られて掛けられた呪い。


 孤独を呼ぶというその呪いのせいで、国王は身体中の皮膚がただれ、人前に出ることができなくなった。


 王妃は自慢の美声が枯れ、大好きだった社交の場から姿を消し、日がな部屋に引き篭もるようになった。


 そして二人の唯一の子供だった十五歳の王女は──。



  ◇ ◆◇



 王城から離れた場所にそびえる古びた塔。

 至るところに蔦が絡まったその塔に、一人のメイドがやって来た。メイドは両手に食事を載せた盆を抱えている。

 

「エヴァ様、食事をお持ちいたしました」


 メイドが塔の上に向かって声を上げると、中から朗らかな声が返ってきた。


「そろそろだと思っていたわ。どうもありがとう!」


 返事を聞いたメイドは、食事の盆を塔の入り口に据えられた台に置き、そそくさと帰っていく。


 メイドの姿が見えなくなると、塔の階段から一人の少女が降りてきた。

 

 淡い色合いの金髪が背中でサラサラと揺れ、透き通った水色の瞳がガラス玉のように煌めいている。この妖精のように可憐な少女こそ、エヴァ・ヴィンタールスト──この国の王女だった。


 塔の入り口まで出てきたエヴァは、台に置かれた食事を見ると大きな目を嬉しそうに細めた。


「まあ美味しそう! 今日のメインはバルべ鳥のローストなのね。私これ大好きなの!」


 周りには自分のほか誰もいないのに、まるで家族とでも会話しているかのように、はしゃいだ声を上げる。


 誰もエヴァの言うことなど聞いていないし、返事だって返ってこないのだから、無駄なお喋りだ。けれど、これはエヴァなりの孤独の紛らわし方だった。


 そうして、あと二言三言ひとりでお喋りをしたあと、食事の盆を持って部屋に戻ろうとしたとき。


 大きな木の向こうから、ひとりの見知らぬ少年が姿を現した。遠くからでも目立つ鮮やかな赤い瞳でエヴァを……いや、豪華な食事の盆を見つめている。


「…………食べ、物……」


 食べ物を目指してふらふらと近づいてくる少年に、エヴァは焦った様子で大声を出した。


「だ、だめっ! 早く向こうへ行って!」


 思いきり拒絶された少年が光のない瞳をエヴァに向ける。エヴァはますます狼狽えて、塔の壁に身を隠した。


「ち……違うの、あなたに食べ物を分けてあげたくないとかではなくて……」


 壁の向こうで、エヴァが悲しげに俯く。


「私には悪魔の呪いが掛かっているから近づいてはだめなの。この食べ物はあげるわ。だから、私が塔の上に行くまで離れて待ってて……!」


 少年にそう告げると、エヴァは慌てて階段を駆け上がっていった。


 あとに残された少年はしばらく呆然としていたが、やがてよろよろと塔の入り口に歩み寄り、盆に載った料理を貪るように食べ始めた。



  ◇ ◆◇



 翌日。


 いつものように昼食を持ってきたことを伝えるメイドの声が聞こえたあと、エヴァは軽やかな足取りで階段を降りた。


 孤独なエヴァにとって、食事は毎日の楽しみのひとつだ。料理長もそのことを分かっているからか、いつも食べきれないほどの量を作ってくれるのだ。


 今日はどんな料理が食べられるだろうと心を弾ませながら入り口に到着すると、隅のほうで昨日の少年が床に座り込んでいるのが目に入った。


「……どうしてここに?」


 昨日、自分には近づかないよう伝えたはずなのに、なぜまたここにいるのだろう。ああ、もしかしたら今日も食事が欲しいのかもしれない。いや、それよりも。


「その食事はまたあげるから、もう私に近づいてはだめ……!」


 エヴァが、降りてきた階段を急いで再び登り始める。しかし、追いかけてきた少年に腕を掴まれてしまった。


「離して! こんな風に近づいてはあなたが危険なの! だから──」


「平気だよ。悪魔の呪いは僕に効かないから」


「え……?」


 呪いが効かない?

 そんなことあり得るのだろうか。でも、たしかに少年は呪いを受けているようには見えなかった。


 エヴァが受けた呪いは、近くにいる者の正気を失わせる呪いだ。エヴァのそばにいると、急に物を振り上げて襲いかかってきたり、時には自傷に走る者もいたりした。


 エヴァに手を触れたりすれば他の人は皆すぐに「おかしく」なってしまっていたのに……少年は正気を失っている様子はない。

 

 初めての事態にエヴァが戸惑っていると、少年が「そんなことより」と話し始めた。


「しばらくこの塔にいさせてほしいんだけど。行く当てがなくて」


「行く当てがないって……どういうこと?」


「……」


 理由を尋ねても少年は何も答えてくれない。もしかすると訳ありなのかもしれない。彼の頼みを聞いては良くないのかもしれない。でも、そうだとしても……。


 エヴァは少年に向かって微笑んだ。


「いいわよ。使ってない部屋があるの。こっちに来て」





 ──その日の夜。エヴァは初めて夜の読書をせずに床についた。


 新しくこの塔の住人となった少年、カミルとのお喋りに夢中になって疲れてしまったからだ。お喋りといっても、話していたのはエヴァばかりだったけれど。


 それでも、エヴァにとっては充実した時間だった。


 あんな風に誰かと顔を合わせて食事して、他愛ない会話をして笑い合って。他の人たちのような普通の日常を過ごすことができたなんて……。


 エヴァは、この塔で暮らしてきた三年間で一番幸せそうな顔をして瞳を閉じた。



  ◇ ◆◇



 カミルとの出会いから半年後。

 塔での二人暮らしはとても順調だった。


 最初は遠慮がちだったカミルも、一緒に暮らすうちにだんだんと打ち解けてくれ、いろいろ話してくれるようになった。中でも一番驚いたのが……。


「あら、カミルだわ」


 カミルが帰ってきたことに気づいたエヴァが部屋の窓を開ける。すると一羽の鴉が入ってきて、床に敷かれた絨毯の上に優雅に着地し──次の瞬間、鴉の身体がカミルの姿へと変わった。


「おかえりなさい、カミル」


「ただいま、エヴァ」


 カミルが柔らかく微笑む。


 今では彼が鴉になっても猫になっても驚かないが、三か月前に初めて打ち明けられたときは本当に驚いた。


 まさか、カミルが人と悪魔の間に生まれた子だったなんて。


 その生い立ちのせいで、彼はずいぶんと酷い目にあったらしい。どこに逃げても、なぜかカミルのことが噂になり、人間の母親は魔女狩りにあって殺されてしまったのだという。カミルも危うく同じ目に遭いそうだったのをなんとか逃れ、この塔にたどり着いたのだそうだ。


「カミル、外はどうだった? 街の様子は?」


「大勢で祭りの準備をしてたよ」


「ああ、収穫祭の準備ね。いいな、楽しそう」


「気になるの? 連れていってあげようか? 空から見れば君の呪いも届かないと思うよ」


 カミルの提案にエヴァが苦笑して首を横に振る。


「たしかに行ってみたいけど……そういうことじゃないのよ」


 祭りを空から見るのも面白そうではあるけれど、かえって孤独を感じてしまいそうな気もする。


「私も街の人たちに混じって、お祭りに参加したいってこと。林檎パイを買って食べたり、知らない人たちと輪になって踊れたら楽しそうだなって」


 エヴァの説明に、カミルは不思議そうな顔をして首をひねった。


「そうなんだ。……でも僕にはちょっと分からないな」


 そう言うだろうなと思っていたエヴァは、予想どおりの返事にくすりと笑う。


 カミルは悪魔の血が混ざっているからか、普通の人とは少し感性が違っているようだった。もしかすると、生まれた時から敵視されて心を閉ざしていたせいもあるかもしれない。


 そう思うと、エヴァの胸は誰かに握りつぶされたかのように、ぎゅっと痛くなる。


 今、自分が心から楽しく過ごせているのは、全部カミルのおかげだ。彼のおかげで、エヴァは果てしない孤独から解放された。


 悪魔の血が流れていたって、カミル自身はとても優しくて善良な人なのに。彼がこの先も理不尽な扱いをされてしまうのかと思うと、悔しくてたまらない。


「……ねえ、カミル。いつか呪いが解けたら、あなたをいじめた人たちを探して懲らしめてあげる。カミルに酷い扱いをした人には罰を与えるわ」


 今は彼を手放す気はないけれど、いつか恩返しができれば。


 しかしエヴァの宣言に、カミルはなぜか物憂げな表情で首を横に振った。


「エヴァはそんなこと考えないで」


「でも、カミルへの仕打ちが許せないんだもの」


「ありがとう、エヴァは優しいね」


「優しいのはカミルのほうよ」


 エヴァとカミルは互いに顔を見合わせて、幸せそうに笑った。



  ◇ ◆◇



 三年後。ある秋の日。

 カミルは塔の傍にある草むらにいた。


 エヴァの昼寝中、暇つぶしに鴉に化けて外へ出かけていたのだが、帰ってきたら草むらに一本の白百合の花が咲いていることに気づいたのだ。


 その姿がなんとなく気になり、こうして降り立って眺めていた。じっと見つめていると、孤高に咲き誇る美しい姿がまるでエヴァのようだと感じる。


 エヴァとの出会いは偶然だった。

 最初は空腹を満たすことしか考えていなかったし、人が寄りつかないうえに毎度食事が運ばれてくる都合のいい塔を見つけられた喜びしか感じていなかった。エヴァのお喋りに付き合うだけで寝床と食べ物と安全が保証される、なんて幸運なのだと。


 しかし彼女とともに暮らすうちに、本当に幸運だったのは彼女と出会えたことだったのだと気がついた。


 エヴァはカミルに対していつも優しく親切で、カミルを大切な存在だと言ってくれた。


 悪魔の子だからと、生まれてずっと誰からも蔑まれていたカミルのことを。


 エヴァが可憐な笑顔で「ありがとう」「大好き」と言ってくれるたびに、これまで知らなかった感情が湧き上がってくるのを感じた。


 そうだ、この気持ちは──。



「王女様! 王女様はいらっしゃいますか!?」


 

 突然、エヴァを呼ぶ大声が聞こえ、カミルは怪訝な面持ちで振り返った。


 その先では紫色のローブを羽織った中年の男が興奮した様子で塔に向かって呼びかけている。エヴァに一体何の用だというのだろうか。


「お前は誰だ?」


 カミルが問いかけると、ローブの男は守衛だと思ったのか、いそいそと早足でやって来た。


「私は魔術師のヤンと申します。王女様の呪いの件で参りました。ぜひ謁見させていただきたいのですが」


 ヤンと名乗った男の紅潮した顔がやけに癪に障る。


「謁見? 呪いのことを知っているなら、彼女には近づけないと分かるだろう」


 素っ気なく切り捨てると、ヤンはどこか得意げな表情でカミルを見上げた。


「問題ございません。なぜなら私は王女様の呪いを解く方法を見つけたからです」


「……エヴァの、呪いを解く?」


 ヤンの言葉を聞いた瞬間、目の前にエヴァの姿が浮かんだ。


 太陽のように暖かで朗らかな笑顔。

 汚らわしい自分にも、嫌な顔せず手を差し伸べてくれる清らかな人。

 こんな狭くてちっぽけな塔ではなく、もっと広くて煌びやかな世界が似合う女の子。


 ──ああ、エヴァ。

 君のおかげで僕は変われた。

 人を愛する心を知ったんだ。


 だから──




 ザシュッ……!




 突如、ヤンの首から血が噴き出した。

 

 カミルが満足そうに微笑む。


「だから、この魔術師は殺すね、エヴァ」


 どさりと音を立ててくずおれるヤンを、カミルが冷たい目で見下ろす。


「お前が呪いを解くなんて言うからだ」


 呪いが解けたら、エヴァが塔から出て行ってしまうではないか。


 エヴァが、カミルだけの王女エヴァではなくなってしまうではないか。


 せっかく、自分が悪魔の子でよかったと思えたのに。




「カミル、外にいるの……きゃああっ!!」




 塔の上から顔を覗かせたエヴァが、血溜まりで倒れるヤンを見つけて悲鳴をあげる。


「ど、どうしたの、その人……?」


 すっかり怯えて可哀想に、と思いながら、カミルもエヴァと同じように怯えた眼差しで見つめ返す。


「それが……いきなり自分で首を斬って……」


 カミルの説明を聞いたエヴァが、心痛そうに顔を俯かせる。


「きっと私の呪いのせいだわ……」


「そんな、君のせいじゃないよ」


「ありがとう……でも、前にもこんなことがあったの」


 エヴァは辛そうな様子のまま顔を上げると、カミルの真っ赤な瞳を見つめた。


「あなたは大丈夫? びっくりしたでしょう。今そっちに行くから──」


 相当なショックを受けているのに、それでも自分を気遣ってくれるエヴァに、カミルはひどく嬉しそうに微笑んだ。


「ううん、僕は大丈夫。だから君は塔の中にいて」


 軽い足取りで塔の中へと駆けていくカミルの後ろで、血に染まった白百合がゆらゆらと揺れていた。

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