30 データセンター

 データセンターはテロ以降も機能していた。武装勢力によって破壊されたクジラの尾の先端にはシートが張られ、周囲に落ちていた残骸はすでに撤去されている。けが人が出なかったことは幸いか、メンタルケアを受けている職員もたくさんいるが施設は通常通り運営されていた。


 データセンターは上層階にあり、1階から4階までが資料館で膨大な紙のデータ、研究資料、書籍が収蔵されている。その一階のフロントで声が響いていた。


「いいです? 一回しかいいませんよ。アダマス・ヒュランデルのノートを見せてください」


 ケインがすごい剣幕で職員に詰め寄っている。職員はパソコンで再度ベータベースを確認するといった。


「先ほどお答えした通りそのようなものは所蔵されていません」

「みんないってるんですよ、ここで見たって」

「困ります。ないものはないんですから」

「こっちも切羽詰まってるんです」

「警備員を呼びますよ」

「どうぞ、ボクはプランティアの研究者ですから」

「止めよ、ケインくん」


 サイカはケインの肩を叩くとカウンターに前のめりだった体を引き戻した。ケインがちぇっという顔をしている。危うく本当に警備を呼ばれるところだった。

 二人で本棚を見て回っているリリンのところにいくと左手に冊子を三冊抱えてていた。何かを見つけたらしい。


「これ、たぶん関連性はあるんだと思う」

「ありがとう。こっちは収穫なしだった」


 リリンは二人を近くの木の机まで招いた。冊子を離して並べる。いずれもプランティアで行われた学会の議事録だ。五十六号、八十九号、百三号とナンバーが全部飛んでいる。現行のものが二百号を超えているのでずいぶん古いことがうかがえる。

 イスに腰かけて一つ手に取ると目を落とした。リリンが付箋をつけているところをパラパラとめくって読んでいく。

 書かれていたのはアダマス・ヒュランデルの晩年の研究に焦点を当てた推論だった。


――アダマス・ヒュランデルはおそらく緑化手術を受けた患者の細胞のうち、特異な挙動を見せる細胞に着目し、データ収集をしていた。彼らは間もなく統合失調症のような症状を見せ始めたため、ドーパミン受容体に働きかける薬を処方され、一時的に患者は改善の傾向がみられたがすぐに症状が悪化し対抗手段がなくなった。


――統合失調症の治療薬が適切でなかったとする意見が多く、そもそもが統合失調症ではなかったのではないかという結論に至る。


――個々の細胞内の葉緑体が多すぎるという意見もあるが、アダマス・ヒュランデルの時代にはこれを消化する方法がなかった。今現在でもその解決方法はない。


 これを読んでサイカは中表紙を確認した。やっぱりサイカたちが緑化抑制剤を開発するより前のことだ。


「ねえ、コレ面白いよ」


 リリンが冊子を机の真ん中に広げた。年代的には後のもの。端的にこう書かれている。


――クロロフィル濃度があまりに高すぎる個体には酸素中毒が起きる。特に意識混濁を解消するためには人口呼吸器での酸素の除去と生命活動を維持するために緑化に対して何らかの抑制が働かねばならない。


「……抑制」

「きっと過去の科学者たちは予測してたんだよ。わたしたちみたいな研究者が緑化抑制剤を開発することを」

「呼吸器のって、じゃあやっぱり病理医学のやってることは合ってるんだ」


 病理医学はおそらく過去からの経験に基づいて処置を行っている。イツキには緑化抑制剤がすでに点滴されている。サイカたちの開発した薬が。呼吸は人工呼吸器で二十四時間管理されていて、きわめて適切な処置だった。


「でもさ」

「うん?」

「それで目覚めなきゃどうなるの。脳波があって、でも体は動かせなくって」

「そんな患者いたかな」


 思い返しても病理医学部の病棟にそのような患者ははほぼいない。離れの病室に稀に一人見かけるくらいだ。


「亡くなったのかな……」

「ごめん、リリン寒くなってきた」


 サイカはたくさんの点滴を受けながら呼吸していた患者のことを思い出した。でも今はいない。どうして、あの老人はどうなったのだろうか。


「まあ、病理医学のやってることは適切です。たぶん。今はこれしか治療法がないのも事実でしょう。安心したらお腹が空きました。続きはカフェで」

「そだね、マフィアス何やってるのかな」

「オレにはやることがあるとかいうから」


 肝心のところだけコピーして戻ろうと話し合って、著作権ノートに書きこむと必要箇所をコピーした。三人で仮の実験室に戻るとマフィアスはすでに戻っていて、イスに腰かけて机の上に足を組みながら難しい顔をしていた。


「戻ってたんだ」

「ああ」

「成果あった?」

「ああ」

「わたしたちもとりあえずのところは情報が得られて。病理医学に任せようって結論に。あとは植物くんの体力に任せるしかないんだけれど」

「それは止めた方がいい」


 マフィアスがどんとコピーの束を机の上に置いた。三人が一瞬動きを止める。


「何これ?」


 サイカは冊子を手に取った。何らかの手描きのコピーらしい。二センチ以上の厚さの紙束をクリップで止めている。マフィアスが不機嫌な声でいった。


「アダマス・ヒュランデルのノートのコピーだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る