29 イツキの白昼夢

 瞼を開ける力がなくて、静かな音だけを聴いていた。頭はすごく冴えているのに活動する力もない。


――あ、植物か。これが。


 人間の脳の機能を携えながら体が植物化していく。心臓の鼓動は消えそうなくらいに力ない。アダマス・ヒュランデルもこの道をたどったのかと思案した。


 頭はきっと賢くなっている、色んな可能性を思いついてしまうくらい。サイカたちが必死にやっている研究も一定の理解が出来てしまった。以前の自分なら到底無理なことだった。 

 これ全能性じゃないのか。サイカたちは違うといっていたがきっとそうだ。ユーリのように自分も生を終えていくのではないだろうかと思うと沈んだ気持ちになった。全能性の大きな定義は植物としての兆候が現れるということ、液胞も細胞壁も無いがそういう意味では含まれるのではないだろうか。


 口にはおそらく人工呼吸器がついていて、そばでシュウっと音がしている。医師の診断はおそらく正しい。自分は酸素中毒なのだと想像がついていた。ずっと苦しかった意識がクリアになっていく。どうして自分はここにいるのだろうとこれまでの経緯を思い出した。


 プランティアが何者かによって占拠されて、実験棟へ避難した。激しい映像が繰り広げられる。テロの最中で治療を始めようとしてGMDのなかに入ったまでは覚えている。でもその先の記憶がない。

 プランティアを占拠したのはどんな勢力だ。テロはすでに鎮圧されたのか、だったら……と考えかけて止めた。難しいことを追求しようとすると頭が混乱する。

 

 遠くから人の足音が近づいてきた。優しく手首を持ち上げられて指先をなにかでぎゅっとはさまれる。感触を探る、人差し指だろうか。そばで男の声がした。


「103か、まだ下がらないな」

「脳波から意識は覚醒しているのだと思いますけどね。聞こえていますか、ウラガさん。聞こえていたら指を動かしてください」


 イツキは女性の声に従って懸命に指を動かそうとしたがまるで力が入らない。


「少し反応があるな」

「わたし、先生に連絡入れます」


 何かをタップする音がしてしばらくすると二人の気配が消えた。どこへいったのだろう。

 ぽつねんとした意識のなかで何かが響いていた。人の気配が消えたはずなのに、小さな誰かが囁いている。


「……する世界へ…………」


 世界? 意識のなかで呼びかけた。


――あんた、誰。


「聞こて……だろ……か……のメッセージ…………」


――聞こえない。誰の声なんだ。


「……わたし……デル……」


――え?


「ル……」


 耳をそばだてて聞こうとしたが集中すると額が熱くなる。誰かが何かをいっているのにつかみ取れない。言葉は流水のように落ちていく。それ以降はぷつりと途絶えてしまった。


 しばらく考え込んで、ようやくサイカたちの会話を思い出した。こうした患者には神の声が聞こえるとマフィアスはいっていた。これが、あの症状。スルホン酸じゃないなと思った。


 自分はこれからどうなるのだろう。意識が覚醒しながら植物としての機能を携えた人間になる。これが植物人間? 言葉ってよく出来ているなと思った。


 緑化手術を受けるのではなかった。そうすれば普通の人生があったかもしれない。イヤな大学でも出て社会でこじんまりと生きて。自分はこんな遠路はるばるブラジルまで来て、病院のベッドに動けず横たわっている。体の自由が利かなくなって死の間際でこんなことを考えている。


――死の間際?


 そうなのか、自分はやはりそうなのか。予感が溢れ体が冷たくなっていく。誰か助けて欲しい、救って欲しい。救われたい。キュウっと絞られた恐怖があった。

 サイカ、リリン、ケイン、マフィアス。彼らの顔が走馬灯のように浮かんだ。スッと頬を冷たい液体が撫でる。涙が滑り落ちた。そうか自分は泣いているのかと悟った。


――とくん。


 心臓が静かに揺れた。一拍打たれたのだ。意識してみると定期的にちゃんと体が揺れていた。


――とくん……とくん……とくん……とくん……


 安堵した。自分はまだ生きている。呼吸してまた涙をこぼした。堪えきれない。生きたい、助けて欲しい。誰か、誰か……

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