24 前夜

 さんざん仕事を終えて戻るともう夜だった。夕食は冷凍食品のパスタをレンジで温める。毎日味を変えているがさすがに飽きて、拉麺にしてみるかと考えたところで「怠惰」と自分にいい聞かせて笑う。疲れてスマホを見る気にさえならなかった。

 サイカは毎日、脳内エネルギーを研究のためだけに使って生活している。それこそATPが過剰に生産されるのならば緑化手術をわたしも受けてみようかと苦笑した。


 ソファにもたれてぼうっとしていたがビールのことを思い出した。飲まねば飲まねばといいながら冷蔵庫を開けて一本取り出す。ネットで今日は流星群が流れるといっていた。ベランダに出て見るとずいぶん涼しくなった。手すりに肘を当てながらビールを飲んでいると。


「あんた寒いのにビールなんか飲んでんの?」


 と、聞こえた。お隣さんにイツキがいる。


「植物くんも出てたんだ。見たいよね、流星群」

「別に」


 顔をくいっと曲げてやる。素知らぬ顔で植物くんらしく夜を満喫しているようだった。

 

「ん~、もう!」

 

 ちょっと待って、といってサイカは室内に小走りした。冷蔵庫に入っていたビールを持ち出してイツキに投げ渡す。イツキはたどたどしく受け取った。


「アルコール飲んじゃいけないって聞いてたんだけど」

「特別」


 そういって缶を傾けた。ぐっと流しこむ。プルタブを引き上げる音がする。よしよしなんてうなづいて。上空を眺めていると光の筋が走り、すうっと下方に流れてゆく。


「キミ、来てから半年か、楽しいかなプランティアは」

「そんなに。あんたたちみたいに何かに夢中になっているわけじゃないし」

「そか、夢中か」


 サイカは今年イギリスに帰らなかったことを思い出した。帰ったのは直近だと去年の夏だ。疎遠というわけではなかったが、プランティアには色んな誘惑の対象があるから。夢中だっただけかと笑う。故郷の友人たちは元気だろうか。


「でも、オレ。日本には居場所がなかったから」


 ふっとこぼしたようなぼやきにサイカはそか、とまた相槌を打った。


「緑化手術を受けるときに食事は摂りすぎない方がいいとか、強い陽を浴びすぎると葉緑体が壊れるからとか、ビタミン剤は医師の許可なしに摂っちゃダメとか。ああ、あとアレ」

「「植物人間だって名乗らないこと」」


 二人言葉が重なってぷっと笑った。イツキは面倒くさそうにしている。


「まあ、そうだよね。実際、植物刈りなんてあるからさ。でも日本じゃないんでしょう」

「無いと思うけど知らない」


 ビールを飲みながらサイカはふうん、といった。イツキが顔を向けている。


「まっ、この場所じゃ少ないよ。心配しなくても。同じような考えの人間が集まっているからさ」


 今度は逆にイツキがふうんという顔をしていた。


「ご馳走さま、缶返す」


 そういって隣のベランダから空き缶を投げ渡してきた。


「えっ、ちょっともう! 自分で分別!」


 彼の姿はすでにベランダになかった。その態度にずいぶん気安くなったんだなと安堵した。来たころはハリネズミでも相手しているような気持ちになったけれど、今はもっとまし。ガラパゴスオオトカゲくらい? ごめん酔ってるから適当だ。


 シャワーを浴びて髪をドライヤーで乾かすと、羽根布団に包まって枕のそばに携帯電話を置いた。今日はもういい気分だから大人しく寝よう。枕に顔を埋めてシャンプーの匂いをかぐ。安らぐベルガモットの香りだ。微睡みながら意識は落ちていく。プランティアに来られてよかったね、って自分を褒めながら。


 久しぶりにイギリスの学生時代のことを夢に見た。研究室の学部生は九人、女子はサイカだけだった。年齢が下の小生意気な学部生をみんな仲間外れにせずによくしてくれた。きっと仲間、連絡を取らないし、会わなくなった今でもそう思う。

 いつだかみんなでクリスマスにパーティーしたことを思い出した。サイカはノンアルコールだったけれど、吐くほど飲んで、空に向かって叫ぶ学部生がいて。青かったな、でも楽しかった。みんなどうしているだろうか。

 先生は退官間近のいい先生だった。愛読書は星の王子様。子供のような好奇心で研究に向き合う根っからの科学者。先生との出会いがあったからわたしは……

 突然の地響きで目を覚ました。

 本棚が崩れ落ちる。窓がガタガタと揺れた気配があった。


「えっ、地震? 待ってここブラジル!」


 サイカはベランダに走り出た。燻った臭いがしていた。

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