23 世の中の動き
秋にブラジルの国会襲撃事件が世を震わせた。緑化保護法の是非が議論されているときの出来事で国内でも大変なニュースとなり、プランティアの警備体制はいっそう増強された。検問所には軍が常駐して流入する人々を制限している。プランティア外の研究者との共同研究の体制は取りづらく、こまめな交流はネット環境をもって。多少神経質な空気はあったが過敏になるほどではなかった。
サイカたちのチームでは塗布薬の臨床試験が始まって三か月が経ち、病理医学と連携を取りながら様々なことを検証している段階だった。
「植物くん白くなったよね」
「これだけ薬塗ってれば当たり前。腕の緑が薄れてきているのは植物人間として正解なの?」
「正確にいうと緑化手術を受けた人間です、植物人間ではなく。それとボクたちはこだわりで植物くんと呼んでますから、ウラガさんもそのつもりで」
ケインの真っ当なツッコミにイツキは目をすがめた。
「その植物くん、っていうのは差別にならないのか。あんたたちのこだわりっていうの」
「イヤならウラガさんにするわ」
サイカは答えた。イツキが不服そうにしたので言葉を付け足す。
「緑化手術は人間であることを止める手術ではないから。要するに緑化手術を受けた人間は人間という括りで他の名称で呼称することは差別に値する。ってどこだったかなそういう裁判あったよね」
「フランスです」
ケインが答えた。やっぱり差別なんじゃんとイツキがいう。
「GMD測定の結果を見ても状態が落ち着いていることは分かる。心拍数も若干だけど改善されたし、緑化抑制剤が効いてるわ」
「そうですよね、ちょっと異常だから心配してたんです」
ケインがイツキの対面の丸椅子に腰かけて聴診器を取った。それをイツキの胸に押し当てていく。目線を少し外して心音を聞いている。
「心拍数が少ないのは酸素中毒が原因です。酸素中毒の原因は葉緑体の多さ。ちなみにクロロフィル濃度が異常に濃いというのは光合成量が盛んな生体にみられる特徴で。ああ、うずうずしてきた」
ケインがもどかしそうにしたのでイツキは「何が?」と問いかけた。
「アダマス・ヒュランデルの最期の実験は知っていますか。彼は自らに緑化手術を施したんです」
「自分に?」
「まあ、罪の意識とか探究心とか色々あったっていわれてますけど。手術を受けて間もなく彼の体は特異な兆候を示し始めます。異常に濃い葉緑体、にも関わらず全能性を示さない特異体質で」
「それってさ」
「そうキミと一緒です」
イツキはケインの真剣な顔に思わず息を飲んだ。隣で鉄道雑誌を読んでいたマフィアスが続きをしゃべった。
「彼は緑化手術を受けたあと高熱が続いて、ある日突然老眼が治った。聴力は回復して良く聴こえるようになった。脳の情報処理速度が速くなり、理解力が増して、ある日突然脳科学に目覚める。自分は天才になったんじゃないかと」
「……嘘みたい」
「嘘かもな」
「アダマス・ヒュランダルの最期の実験はあまり知られていません。プランティアに秘密保管されているものですし、彼も記録だけで論文は残していないですから」
「七十歳過ぎたじいさんが突然、神の声が聞こえるようになったつってみろ」
「神の声?」
イツキが訝し気に問うたのでマフィアスがへらへら笑った。
「スルホン酸が。って聞こえるらしいぞ」
みんな笑っていたがイツキには当然その面白さが伝わらない。
「特異体質の人のなかで統合失調症に罹患したって人が結構な割合でいるんですよ」
ケインは聴診器を下ろすとイツキの首筋に手を当てて触診した。
「晩年、彼は自身と同じ条件の患者を集めてデータ収集をしていたんです。その条件が……」
「クロロフィル」
「ご名答」
「クロロフィルがっていうよりはたぶんATPの生産量なんだろうね。ヒュランデル博士の時代にはATPの計測器なんてなかったから」
サイカがパソコンを見てみろといったのでイツキはモニターをのぞきこんだ。
「ATP、つまり体内エネルギー通貨のことだけど。キミのATPは他の植物くんたちに比べて格段に高い。光合成で過剰生産されたATPが脳に回って普段活動しない分野を刺激しているからそういうことが起きたんだってみんな話してるけど」
「何しろ被験者が少なすぎるんですよね」
ケインが残念そうにしたのでイツキがちょっと身を引いた。緑化抑制剤のおかげで少し具合がいいらしく、これ以上は協力したくないというのが本音だろう。
「全能性の患者にはそれが無いのか。クロロフィルが濃いっていうのなら彼らだって」
「不思議とそれがね。全能性になると細胞が固くなって死んじゃうからか、あんまり因果関係が分かっていないんですけど」
ずっと話を聞いていたリリンがぽつりといった。
「頭のなかの出来事ってどうやってこう瞬時に繋がるのかなって。閃いたっていうのは既存の知識と既存の知識が繋がる瞬間で」
「シナプスを刺激しているんじゃないか。知らんけど」
マフィアスが笑っていた。知らんけどってすぐいうよね、とリリンが口を尖らせた。
「想定マウスでも先天的に緑化が濃い個体っているのかな。あんまり気にしなかったよね」
「それです! リリン。ボクは今からデータバンクに飛んでマウスのデータを閲覧します」
何万匹いると思っているんだよ、とマフィアスがけらけらと笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます