22 緑化手術を受けた日

 環境ウツかもしれないといった学生は元気そうだった。環境問題なんてないような顔をして過ごしている。もしかしたら根底の部分にはあるのかもしれないがイツキには感じられなかった。


 説明会のことは頭の片隅にあったが当面いく気にはならなかった。緑化手術への興味はあっても自分がとかいう話じゃない。どこかの誰かが世界に貢献している傍らで自身は自身の罪の意識を抱えて生きていく。素直に受ければという考えが過らなかったわけではないが、踏み出してしまえば自分が得体の知れない何かになるような気がしていた。


 寮で講義のレポートを提出するためにパソコンを叩いていた時だったと思う。文字に飽きて動画を閲覧していると毒舌で有名なインフルエンサーが画面のなかで堂々としゃべっていた。


『あれは困った人たちがやってるだけで、緑化手術自体率先してやるものではないんですよ』


 こいつは好きじゃない、イツキは一瞬動画を消そうと思ったが続きを観た。


『大体バカでしょ、死んだら環境問題なんてどうでもよくなるんだから』

『世界に起きていることを身に受け止めて、自分も何かしなきゃって思い立った人たちが間違った選択をするんですね』

『賢い人はちゃんと稼いで光合成の恩恵を受けて、みなさんありがとうっていいながら心の中で馬鹿なヤツらって思ってるんですよ』

『日本でこれまで承認されなかったのは結局他人事だってみんなが思ってたからで……』


 気持ちがだんだん苛立っていく。凪いでいた決意が波打つように揺れて感情の振幅が激しくなり、瞬間的に怒鳴っていた。


「日本人はやらなくていいなんてルールはないんだ!」


 声が冷たいフローリングに響いて消えた。衝動的に感情を逆立てていた。自分にも愕然とした。こんなことをいってしまうなんて。肩を震わせ荒い呼吸を繰り返す。泣きそうになっていた。相手はこちらの言葉を受け取らずに、動画のなかで好きに語り続けていた。




 樹は説明会を受けた一年の春に緑化手術を受ける決断をした。止めるものは誰もいなかったし、行き場のない気持ちを解消するにはそれしかないと思っていた。地球に貢献するかしないか、その二極しか選択肢がないような気持ちになってひどく追い詰められていたことを思えば冷静な判断ではなかったと思う。


 病院の手術ベッドに横たわって天井の無影灯がかっと明るくなるのを見た。腕をきつく固定されながら涙が出そうになっていた。これから手術を受ける、緑化手術を受ける。悲しいのではなく嬉しいのではなく。処理し切れない感情を持て余して唇を引き結んだ。


 大げさな恰好をした看護師が腕を消毒液でふいた。医師が培養した細胞を注射器のなかにこめている。冷たい感触の後で針が奥まで侵入してきた。痛い、冷たい液体が腕に注射される。流れこんでくる感触に不思議な心地がしていた。肌を撫でるようなどろりとした液体が心地いい。静かに目を閉じ念じていた。緑化手術を受けて役立つ人間になりたい、出来ることを出来ないという人間になりたくない。誰かのために生きられる人間になりたい。



——ああ、植物人間になってゆく。



 泣きそうな心の奥底で声が聞こえた気がした。ヒト、これがヒトと。




 樹は顔を除いたほぼ全身に処置をした。でも緑化手術を受けても樹の世界は変わらなかった。毎日、講義に通って苛立って。ハリネズミにでもなったような気持ちで世界を見つめている。関わるものもなければ救うものもない、緑化手術とは人々の意識を変えるものではなく、ただの技術革新でしかなかったのだ。


「あのセンセ、紹介してマージン貰ってたらしいぜ」

「だから辞めらされたのか」


 何気ない会話が聞こえて目を細めた。緑化手術を進めてきた講師はとうにキャンパスを去っていた。気持ちが閑散とする。悪意だったんだな、それすら気づけなかった自分がバカらしい。


 しばらくすると大学に通うのもイヤになって、寮で転がり動画だけを見る日々を過ごした。手術の影響だろうか、体がふわふわするし、でも病院にかかる気にもなれない。こんなものを見せれば、と濃すぎる自身の腕を見た。ネットで検索すると異常という文言とともにいくつかの画像が出てきた。


 課題も出来ない、朝は起きるのも辛い。日常生活に支障がないなんて嘘だ。

 夜は気持ちがかき混ぜられて眠れずに、起きたら光合成しなくてはいけないという強迫観念にさらされて。どうせみんな真剣じゃないんだ。ふてくされたような気持ちだけが増幅されてゆく。無関心な日本はイヤだった、何か出来ると思った自分はもっとイヤだった。




 授業にも出ずに繰っていたページでブラジルのプランティアの被験者募集を見つけた。海の向こうの国の事情だ、今の自分とは結びつかないことくらい知っていた。でもなぜだろう、求めるものがあるような気がして記事についていた動画を再生した。


 語っていたのは白髪の老人だった。五十年代の古い動画でアダマス・ヒュランデルと紹介されてあった。この人が、と思った。世界に名前を知らない人はいないというくらいの有名人だ。ヒュランデルは明晰な言葉で語っている。


「人は科学の強さと優しさを受け入れながら、時代を作り上げてきたのです。時に悲しいような発明もありました。ですが、今この時代を生きる人々に必要なのは思いやりです。世界は人だけのものではない、多くの生物種が共存し合っていけるように環境を継続させることが科学に課せられた大きな課題であって、そのためにプランティアは歩み続けていくのです。

 大切な命を懸けてこの世界を変えたいと思ってくれた人たちへわたしはただありがとうとメッセージを残します」


 我慢してきた涙がつうっとこぼれた。肌の奥が疼いている。心臓が震える。目元を何度もぬぐって体を丸めこむと嗚咽した。言葉が脳に反響してやまない。ありがとう、ありがとう、ありがとうと……



       ◇



「植物くん」


 ふり向くとサイカがいた。サイカはアーモンドのような形のいい瞳でのぞきこんでる。


「何?」

「帰らないのかと思って」

「今帰ってるとこ」

「ずっと立ちどまってたじゃない」


 ああ、もう。色んなことを回顧していたけれど、そういうこと指摘されるとどうでもよくなる。苛立ち交じりに問いかけた。


「あんた何のために研究やってるの」


 サイカは一瞬「ん?」と怪訝そうにしたが明るい調子で胸を張り答えた。


「決まってる、人類を救うためよ」


 サイカの笑顔に迷いはない。こんがらがった気持ちがほぐれていくような気がした。あっけらかんとしていう様子にこいつが? と思ったがその気持ちはしまい込んだ。あのアダマス・ヒュランデルと同じとは思えないけど。でも近からずも遠からずかもしれない。


「……うん、そう」

「あっそっていわないんだ」

「いって欲しいの? あっそ」


 わざとらしくいうとサイカが笑って腕を組んできた。止めろよ、といったが聞かないのでそのままにして歩いた。歩きながら思っていた、世界で起きていることに真剣な人たちがいて、植物人間を認める人たちがいて。

 己の人生は前よりほんの少しだけ充実しているのではないか。それをこのプランティアの地なら感じられると思った。

 

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