21 世界の課題

 樹は大学図書館で今度の授業の発表のための原稿を作成していた。授業の目的はプレゼンテーションを上手く出来るようにという、大学入学したての学生に向けてのものだったが、原稿くらいは作成しておいた方がいい。すらすら暗唱している学生なんていないし、ほとんど原稿を読みながらやっている。

 やっつけ授業のような気もしているがどうだろうなと考えていた。


 いつくかの学科を併設する大学の図書館には様々な本がある。外国の民話や童謡、環境白書、人口増加に関するデータ集、絶対に用のない数学の理論、哲学書、有機化学理論……

 与えられたテーマは『世界の課題』、ずいぶん大きなテーマを与えられたものだと思っていた。教師は自分の心理状況を知っているのではないかと疑うほどだ。今日の社会課題を思えば、書くことなんて明白でそれを議論したいというのだろうか。教師の思った通りのことを書けばいい評価を貰える。でもそれじゃ癪だ。相手の要求に着実に答えることに何の意味がある。


 離れた席の学生が立った。次の授業が始まる時間だ、でも樹は次は取っていないからと視線をパソコンに戻した。ひっきりなしに授業を受けているとろくにレポートも作成できない。履修を考えなければならないなと思っていた。




「それでは浦賀くんだね、発表をお願いします」


 講師が促す。樹はスクリーンの前に立ち、映し出されたプレゼンテーションを見てレーザーポインターで示しながら説明を始めた。


「そもそもこの世界がどう救われたのか。それはアダマス・ヒュランダルの功績が大きいと思います。地球環境の温暖化が深刻だった地球環境のゼロ期に開発されたのは緑化手術という極めて画期的な発想でした。一般的に緑化手術は人体の植物化をして、呼吸中の二酸化炭素の割合を減らし酸素の分量が増えたから地球温暖化の抑制に寄与したと理解されています。

 しかし、実質はもっと違います。ヒュランダルは温室効果ガスではなく、そもそもの原因となる赤外線に着目したのです。地球が暖かいのは赤外のおかげなのですが」


 喋りながらスライドショーを初めて見上げた。ずっと原稿を見たままだった。


「これが地球温暖化の要因ともなっていた。この赤外線を吸収して光合成を行うナンキョクカワノリという南極に自生する植物に着目したのです。通常の植物は可視光を使って光合成を行いますが、ナンキョクカワノリは違います。

 ナンキョクカワノリの光合成システムを人体に組み込むことで赤外線の吸収を可能にし、さらには光合成で二酸化炭素が減ったことの相乗効果でそれが地球温暖化の解消へと繋がったのです」


 レーザーポインターを当てながら講師を見たが難しい顔をしているようだった。生徒たちも奇妙な顔をしながら聞いている。これでいい。


「彼の開発に当たり一番問題となったのが研究にあたっての連携でした。ナンキョクカワノリは日本の研究チームの発見でしたが、日本は緑化手術に否定的。協力を得られないままアダマス・ヒュランダルは独自にスウェーデンで研究を続けました。結局スウェーデンでも承認は得られず彼はブラジルへ渡ります。環境保全を目指していたブラジル政府は彼の研究を絶賛して、多額の研究費用を与え承認します。環境科学分野のスペシャリストを寄せ集め緑化手術を成功させ、末はプランティアという最先端科学都市を実現させるに至るのです。

 世界の課題は優れた科学者を育成する仕組みが必要なのです。そのためにプランティアという先端科学都市が必需とされ、その機構があってこそ我々は進化していけるのだと知らせてくれています」


 発表を終えると少しの沈黙があって、講師が話し出した。


「キミはこれまでの授業をちゃんと聞いていたのかな」


 樹は少し首を傾げて、はいと答えた。


「すごく攻撃的というか、わたしが社会分野におけるアプローチをしてほしいといっていたことは理解してたかな」

「はい」

「内容が科学的である上に取ってつけたような社会課題を提示されてもそこはすごく受け入れにくい問題だと思った」

「はい」

「プランティアの構想について論じるなら、その費用だとか建設費、倫理的問題も扱えると思う。社会循環学部生だということを意識した方がよかったんじゃないかと思う」

「はい」


 座って、と促されたので静かに席に戻った。頭はすごくすっきりとしていて、いいたいことがいえたという感覚だった。講師の求めるものではなかったのかもしれない。でもそれでいい、理屈はない。心の澱が少しだけ軽くなったような気がしていた。


 講義が終わると講師に呼び止められた。次の講義に急いでいたがどうしてもと話したそうにしていたので立ちどまった。

 講師が差し出したのは一枚のリーフレットだった。一瞬目を疑う。緑化手術説明会と記されていた。


「浦賀くん、キミ興味があるのじゃないかと思って」

「オレが、ですか」


 言葉を止めた。寝耳に水の出来事で、教授には自身の興味さえ話していなかった。ああ、いやまあ。というと講師は先ほどまでの剣幕が嘘のように朗らかに話した。


「あの発表を聞いてそうだと思ったんだよ、やっぱり。ボクも受けてるけど悪くない。補助金が出るから収入も安定するし、社会に出て働きながらでも上手くやっていける。ボクの大学時代の知り合いが今手術を受けたい人を探していてね」


 何こいつ、と思ったがそれは隠して説明を聞いた。


「説明会があるからそのお誘いだよ。無理にとはいわないけど聞くだけでも参加してもらいたいんだ」

「……はい」


 次の授業もあったので、簡素に断りを入れて教室を出た。リーフレットはカバンに粗雑につっこんだ。


 キャンパスの片隅で昼食を取りながらリーフレットを眺めていた。細かくは書いておらず緑化手術説明会とだけ書かれている。開催元は厚生省となっていて国が推奨している説明会らしかった。日本で緑化手術が承認されたのは先だってのこと。都会ならいざ知らずこんな田舎で。受けている人間なんてほとんどいないのだと思っていた。


「あるんだ、こういうこと」


 そういってリーフレットを折りたたむ。でももう一度広げた。


——来週あたりブラジルへ行こうと思う。


 脳裏に先日の自分の言葉が蘇った。軽く首を振る。あり得ない、バカだろ普通に。カバンにゴミを片づけると次の教室へと向かった。

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