19 緑化社会の仕組み
「緑化手術が社会にもたらした影響は様々です。たとえば、温室効果ガスの削減は各国で軒並み達成されてそれにより年間平均気温が二度低下しました。これは生存にひっ迫した生物種を救いその多様性に貢献しています。
例を挙げると中南米のカエルにツボカビが蔓延していくつかの固有種は絶滅に瀕していましたが、それが解消されたことにより個体数が元に戻ったとの報告がされています。また海水温の低下によってエルニーニョ現象が少なくなったこと、海面上昇が収まったことを思えば様々な評価が出来ると思います」
まるで感情の無い他人の言葉だった。真剣味のないことくらい顔を見れば分かる。講師が難しい顔をしていた。
「発表の内容はネットで調べたかな」
「……はい」
「ネット辞典は参考文献じゃない。論文を引用するか、図書館にいって書籍を学んで欲しかったんだけれど」
「はい」
小さい返事が聞こえる。想定以上のものではなかったのだろう、講師も苦言を呈した。
「それとキミらにしてほしかったのは科学的アプローチではなく、社会的なアプローチだった。緑化手術が温室効果ガスの削減に貢献したことはいうまでもないが、それから人間の生活はどう変わったか。好循環と指定したのが難しかったのかもしれないね。
たとえば環境問題がもっとも深刻だったゼロ期以降、経済的に潤ったのはブラジルだ。プランティアを建設したことにより科学的に進んだ国の一つとなった。緑化手術を受けた人間には補助を出す。国で予算をつけて優れた科学者と被験者をどんどん呼び入れている。進んだ医療体制で新薬を開発して特許を取得し、がぱがぱ儲けている」
熱心な学生はメモをしながら、その一方で聞き流しているような学生もいた。樹はそのどちらでもなく、まっすぐに受け止めていた。
「想定マウスについては知っているかな。これもプランティアの貢献だ。世界で動物実験で失われていた命は年間1億頭以上。それを十分の一にまで減らした。もとは化粧品開発などの分野で使われていた技術だが、プランティアが緑化関連の医療事業で積極的に利用したことで世界に広まった。今では想定マウスを用いることが当たり前となっているが費用対効果が乏しいと当時は認識されていた技術だよ」
周囲の人間が書きこみしている音が聞こえる。樹は頭に焼き付けるように聞いていた。
「あと間接的ではあるが、環境問題に対する人々の意識改革を生んだ。ハーバー法からの脱却の遠因にもなっている。人類はものすごくコストをかけて下水を浄水施設で脱窒し、一方で莫大なコストとエネルギーをかけて化学肥料を生産してその土で育てた作物を高値で売っていた。
それではダメだと、一念発起してオランダの政府主導のもと、新しい窒素固定の仕組みを導入し、それを農業プラントで行うことによりエネルギーコストの少ない農業が実現出来た。末は野菜の価格の低下につながって人々の生活を助けた。農業、畜産、わたしはそういうことも調べて欲しかったな」
講師はありがとう、といって学生を座らせた。発表した学生はけだるそうにイスに着く。面倒だったのにという表情だった。
次の学生は日本国内で製品に対して設けられた環境評価基準についての発表を行った。こちらは講師も満悦の調べられた知識らしくうなづきながら聞けるものだった。
「環境評価基準を設けられる過程では様々な議論が起こりました。製品にランク付けすること自体、買い控え、経済の停滞に繋がらないか、企業が被る不利益のほうが大きいのではないかという議論が交わされたのです。そこですべての製品にではなく、生産過程、処分過程において環境負荷の少ない優れた商品にのみS~Bランクを設けることによってポジティブな消費を促したのです。ヒントとなったのは女性用の靴下です」
学生はそういってベージュの二つの靴下の写真を提示した。パンプス用の短い靴下だった。
「同じ形状でもナイロン製品と綿製品がありますが、消費者は綿が環境に優しいという固定観念がありました。ですが、綿製品が一様に負荷が低いという事実はなく、場合によっては綿製品のほうが環境負荷が大きい場合もあり得るのです。製品にそういった指標が設けられたことで、商品を購入するときに消費者が地球環境を考慮した消費を選択できるようになったのです」
発表を終えると講師が拍手をした。静かな教室でそれだけが響いていた。
「環境評価基準というものは自動車何かでは導入されていたけれども日常的に購入する衣類などにはなかったね。日本が先んじて導入したことにより十年後には世界に広まった。買うときにどっちでもいい、ということがあるだろう。どっちでもいいのなら、環境にいい方を選択したい。そういうことがよくある。わたしの購入したスーツも生分解性プラスティックを使用して値段はそんなにだが気分は快適だよ」
講師はネクタイをこれも、とひらつかせた。
「来週も同じようにするから発表者はぜひ調べて望んで欲しい。今日の講義のまとめと自分で調べたことを書いてレポートボックスに提出すること。寝ていた学生も出したら評価するから」
講師はそういって教室をあとにした。
だれもいなくなった教室で樹は静かになった机を見ていた。真剣に聞いていた、聞いていたのにすでにみんなの頭にはないことのようだった。環境問題がとか、真剣に取り組んでいる風をして真実はどうでもいいんじゃないか、あの講師も。寝ていた生徒にさえ評価をやるというようなヤツだ。
真剣に考えていたことがどうでもいいことに変わっていく。心から抜け落ちていく。その違和を覚えながら机にうつぶせになった。
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