14 ユーリ
サイカはユーリと面識があるらしく、ベッドに座らせると懇切丁寧に話を聞いていた。マフィアスは内心は何でこんなことするんだよ、と苦り切っていたがそれでも無視できないような素直さが少年にはあった。
「サイカ先生、いつも来てくれるでしょう。あのね、コレあげたいと思って」
「何かな」
ユーリがそばのチェストから取り出したのは電車のミニチュアだった。可愛らしい赤の車体、五年ほど前まで走っていた高速鉄道のCA105系だ。しかも裏に金字で製造ナンバーが打刻してある。
「珍しいぞ、それ手に入らないんだ。どうしたコレ」
マフィアスは身を乗り出していた。
「誰なんですか、サイカ先生」
「マフィアスだよ、一緒にお仕事することになったからユーリくんに会いに来たの」
「よろしくお願いします、マフィアスさん」
「……え、あ。ああ」
「マフィアスさんは電車がお好きなんですか」
「まあ、そうだな。嫌いではないけれど詳しいほどでもない。雑誌で読んだんだ、偶然」
偶然といいながら内心は浮き立っている。高速鉄道は引退車両が出るたびに乗りに行くほど好きなんだ、とはいわないけれど。小さい子供に何照れているんだオレは、と思いながら。
「ボクはジョージアから飛行機で南米に渡ってBT400系に乗ってきたんです」
「いいもんに乗ったな、オレもない」
へへ、とユーリは嬉しそうにした。その後、目を遠くに伸ばすようにして吐息し疲れたようにした。
「心拍数が少し下がってるのかもしれないわ、少し横になって」
看護師に寝かされるとユーリは横になったまま笑顔を浮かべた。
「あのね、昨日母さんとお友達と電話で話したんだ。大丈夫、ユーリ大丈夫って。今度会いに来てくれるっていうから」
サイカは何かを堪えるように口を引き結んでいた。マフィアスはこの時本当の意味を知らないでいたのだが、少なくともユーリは母親に見捨てられた子供だった。母親の友達とは恋人のことでそれを勘繰らないぐらいに無垢、でも本当は口にしなくても分かっていたんだと思う。
「良くなるかな、サイカ先生」
サイカは子供口調ででもしっかりと意志を伝えるようにいった。
「お薬をね、これからわたしたちが作るから。そしたらきっと良くなる」
サイカはユーリの両手を握りしめて伝えた。立ち会っていた医師が腕時計を見て声かけてきた。
「パラレル博士、そろそろ」
「分かりました」
病室を出るなり、サイカたちは医師に苦言を呈された。とても不満に思っていたのだろう。
「困ります。勝手な約束をされては」
「希望は必要でしょう」
「与えただけになる」
マフィアスはカチンときて感情を高鳴らせた。
「おい、ちょっと待て。今のは聞き捨てならない。いいか、お前。オレたちのチームが全能性の特効薬を作る。誰が何といおうと最初に作るのはオレたちだ」
指差しながら、覚えてろとまくし立てるようにいうとエレベーターに向かって大足で歩いた。静かなエレベーターでは誰も話さない。しばらく下っているとサイカが急に笑い出した。
「あなたいいとこあるね。誰をかばってんのかと思った」
「かばったんじゃない。あんたとはこれから議論する」
笑いたきゃ笑えと告げてマフィアスは黙りこくった。後の二人はまるで空気のように何も話さなかった。
「今、違う人がいるけど」
イツキのつっこみにマフィアスがけらけらと笑った。
「オレたちが有機化学の理論でドンパチやってたから、あとの二人は空気に耐え切れずすぐに辞めたんだよ」
「あ、……そう」
「しばらくわたしとマフィアスの状態が続いて、他のメンバーは入れ替わり立ち代わり。二人で相変わらず議論してばっかりだった。わたしの方針にことごとく反対する変なおじさんがいて、だから結束するために時々病理医学に会いにいって患者さんたちの顔をちゃんと診て。わたしは彼に会いにいくまで全能性の患者さんのことをまったく知らなかったから」
「そうする必要性があったかどうかは議論の余地があるが。サイカの理論に関しては気に入らなかったんだ、仕方ない」
マフィアスの言葉にサイカが笑っていた。
「わたしの頭には大学時代に恩師に教わった基底細胞の細胞分裂を促すという考え方があったけれど、マフィアスには別の理論があったのね」
「別の理論?」
「植物ホルモンの受容体を体内に投与するとかミセルで植物ホルモン包んじまうとか」
「ごめん、分かんない」
「まあ、当時だとそれが時代の潮流だったわけよ。オレたちのチームがまったく別の理論で抑制剤を開発するまではな」
「ふううん」
ふと何かに気づいたようにイツキがあのさ、と口を開いた。
「その子、病理医学に入院してたってことは」
「そう、ユーリくんは全能性に侵された患者だった」
「患者っていっても初期で、あたしも割と元気かなって思ってたんだけど」
「想定外ってのはあるからな」
「ちょっと何か色々悲しかったですよね」
マフィアスは涙出るよと目元をぬぐって続けた。
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