13 チーム発足

「ユーリくん?」

「前に会ってた植物くん」


 前に、といってイツキは黙してしまった。


「やめよリリン。今話すべきことじゃない」

「イヤ。ちゃんと話しておかないとユーリくんの存在が無かったことになっちゃう」

「リリン」

「わたし途中からだけど参加して、初めての仕事で。みんなで必死で緑化抑制剤の開発にこぎつけてなのに、なのにユーリくんは……」

「リリンさん。ボクもです。ボクもちゃんと彼のことは話しておきたい」


 ケインが静かにいった。マフィアスがビールジョッキを置いていった。


「チームが発足したのは八年前。サイカがわずか十九歳で大学院を卒業してプランティアにやってきて次の年のことだった。全部知ってるのはサイカとオレだけだから」


 マフィアスはゆるやかに記憶を起こし始めた。



       ◇



 マフィアスが新しいプロジェクトチームに選ばれたのは乾季も終わりの八月のことだった。新チームの噂は聞いていた。若干二十歳の女性がチームリーダーを任されたと。彼女の研究していたビタミンWで想定マウスにある一定の効果が認められ、限定的に効かせるようにその誘導体を作る。上層部が望みをかけて彼女にチームを任せたことは知っていた。しかし、である。勤続十五年目にして新参者のボスにつく。自身が体よくチームを追い払われたことくらい想像がついていた。

 アウトローの目線で有機化学をこねくり回しているだけで幸福でなくとも平和なんだ。段ボールを片手に通路をのうのうと歩いてすれ違う科学者たちにはあいさつもせずに練り歩く。


「つまんねえボスならいじめてやるか」


 頭中には前チームでの鬱憤があった。自分の理論とまるで違うことをされると腹が立つ。まくし立てると自分がますます変人じゃないかという気になる。結局抗うことを止めて、上司に証拠論文を送り付けるという暴挙に出た。オレのいってることは正論なんだぞと。


「ここ、ここ」


 カードキーを認証させて自動ドアを開くと伽藍洞の研究室に入った。設備もなにもないがガラスの壁があって机が五台向かい合わせに並んでいた。



——コツン。



 隣の実験室から誰かの気配を感じた。よく見るとデスクの椅子に荷物が隠れるようにあって先客がいるらしかった。女性もののバッグだ。


「おい、誰かいるのか」


 ドアを開くと窓際に光を帯びて立っていたのは肩までの金髪のフルレングスの女性だった。見たことがある。こいつだ。この間のセミナーで小生意気に質問しているのを聞いた。彼女はさっと手を差し出した。


「サイカ・パラレルです。よろしく、エルード・マフィアスさん」

「よろしかない」


 サイカは「は?」という顔をした。マフィアスは反逆をした。


「オレはオレのやり方でやるからな。実験台は一番手前のやつをもらう」


 そういって真新しいフラスコや純水を入れておく洗瓶を品定めした。まだ出来立ての研究チームには器具が少ないがこんなものだろう。


「器具はあんたの意向で揃えてもらって構わないが、オレが要るといったやつは注文してもらう。安心しろ、アルドリッチのカタログに載ってるお高い試薬ばかりだ」

「ああ、そういうこと」

「……何がだ?」

「あなた要らないってチームを追い払われたんでしょう。可笑しいと思ったの、十五年目のベテランがわたしの下につくなんて」


 マフィアスの頭のなかで何かがふりほどけた。とたん有機化学の理論が洪水のように流れてくる。誰かの頭のなかにはいつも難解なことが渦まいていて、それを他人に共有させたがる。オレにはオレの正義がある。それは何人にも侵害させぬ領域だ。持論を感情のままに羅列し切った。


「いいか、オレのボスはオレだ。たとえお前が優秀だろうと、いや認めないがあんた以上にオレは化学に詳しい。当面は受容体の設計をする。ちっぽけな頭で理解できないなら論文を読め。馬鹿でも理解できるように書いてある」

「植物ホルモンをターゲットにする何て正気かな。人体にいくら似た構造物があるか知ってる? 似たホルモンまで巻き込みかねないし。やるのならば基底細胞から変えないと」

「黙れ」

「あのね、ここはわたしの理論を進めるためのチームで」

「つまらない理論なら一人でやってくれ」


 吐き捨てるとマフィアスは実験室を去ろうとした。サイカはドアをパタンと閉めた。


「名乗ってない」

「必要もない。知ってるだろう」

「必要だから聞いてるの」

「エルード・マフィアス。四十一歳。あのな、お前の何倍も生きているって理解できるか」

「有機化学者でしょう、わたしと同じ。あと二人くるから」


 口論していると扉が開いて男の研究者が二人入ってきた。生化学系と物理系だったか。名前は誰だったかな、すっかり忘れたけど。まあ、覚えてないくらいだから二人ともあくまで凡庸だった。

 サイカとマフィアスのやり取りが聞こえていたらしく二人は遠慮気味だった。


「ここで合ってます?」

「今日から配属だっていわれて来たんですけど」

「うん、合ってる」


 サイカはすでに二人の履歴書を暗唱していたらしく返事をした。


「さてと。じゃあ、これからみんなで病理医学に向かうから」

「はあ?」


 マフィアスは納得できずに声を上げた。化学系の実験室が病理医学部に見舞いにいくなんて聞いたことがない。理論と実証は別業だ。それがプランティアの暗黙の了解だったから。


「情を持ち込むっていうんじゃないだろうな」

「会ったことのない人のための薬、あなたなら作れるの」


 サイカの指摘はもっともなことだった。マフィアスはついていく間中もずっとぶー垂れて狭いエレベーターのなかですら文句を言い続けていたがサイカはそれに応じなかった。


 七階の病理医学のフロアに着くと独特の病院臭がした。廊下には医師と看護師がいき交っている。同じプランティア内だと信じられないくらいに異質な空間だった。

 ナースステーションでサイカがアポイントメントを取り付けてあった医師と会って、病室に案内してもらった。

 静かな部屋には患者が六人いた。カーテンで仕切られた向こうに三人いて、あとは解放してあった。手前のベッドの一人がいない。

 サイカが前に進もうとしたら押されて体が傾いだ。


「あ、ごめんなさい」

「いいよ、ユーリくん」

「サイカ先生!」


 声変わりもしていない若い声がする。サイカの腰にぶつかって首を下げたのはブリュネットヘアの大人しそうな男の子だった。

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