9 知能指数の上昇

「葉緑体は分子量が大きいから脳へは入らないんじゃないか」

「そういう問題じゃない!」


 ケインはマフィアスに大声でいった。


「どうしてそう思ったんですか」

「……あのさ」

「やっぱり!」


 イツキが話し切らないうちに、ケインはがっと目を剥いてイツキの肩をつかんだ。


「思い付きっていったでしょう?」

「……いった…………かも」

「思った通りだ! 彼、ヒュランデル博士の実験ケースととても似ているんですよ」


 ケインは興奮したように白衣を振り乱して、マウスを素早くクリックするとあらかじめ測定していた数値や画像にかじりついた。


「やっぱり異常だ、クロロフィルが特段高くてATPが過剰生産されて、それにこの腕の色。基底細胞も見てみよう。どれどれ。ほら、やっぱり、全能性じゃないのにほとんどが異常な数値を示してる!」


 イツキは置いてけぼりでぽかんとしていた。


「オレ異常なの?」

「細胞も奥まで覗いたから。数値は体質によるもので……」

「アダマス・ヒュランデルは晩年、全能性を示さなかった先天的にクロロフィル濃度の濃い人間に興味を示していたのですよ。そういった人間に脳の機能の変異が確認されていて。ああ、どうしよう。すごいぞ、どうしよう」


 ケインが部屋をうろつき始めたのでサイカが落ち着き払って説明した。


「緑化手術の副作用でね、原因は解明されてないんだけど脳の働きがよくなることがあるの」

「ふうん」

「たとえば低下していた視力が回復したり、突発性難聴が改善されたり、方向音痴が治ったり。知能指数が上がったなんて報告もされている」

「それってみんな? オレは視力も元からいいし、難聴でもないし、方向音痴じゃない」

「事例があるってだけでみんながみんなじゃない」

「理解力が増したって思うことはないかな」


 医学博士であるケインが立ち止まり詳しく聞きたそうにしていた。


「まあ、多少」

「どんなふうに」

「説明できない」

「例えば脳のこの部位がとか」


 頭を指してぐるぐると回す。ここ前頭葉ねとつけ加えた。


「回路が多少早くなったくらいだよ。この部位がとか意味わかんないし」

「もっとしつこく聞いてもいい?」


 イヤだといったけれどケインはもがった。


「天才になるってどんな気分?」

「あのさ、あんたたちのチームって製剤開発部じゃないの」

「そう」


 これにはサイカが答えた。


「キミが頭よくなろうが、悪かろうが、そのこと自体はわたしたちの研究にまったく関係がない」

「ボクちょっと脳科学の企画書立ち上げます」

「性急じゃないか?」


 マフィアスがけらけらと笑っていた。


「オレ薬は塗らなくてもいいの? 脳科学がとかいうし」

「そうね、塗布薬の説明。ついでだから、もうしとこうか」


 サイカはちょっと難しいけど聞いてねといって三枚つづりのコピーを渡した。


「わたしたちのチームは塗布タイプの緑化抑制剤を開発している。キミに参加してもらうのはその臨床試験ね。世に経口タイプの緑化抑制剤はあるけれど、塗布タイプの緑化抑制剤はまだない。塗布薬で直接患部に塗れば効果をピンポイントで得ることが出来るし、効き目が穏やかだからゆっくりと葉緑体数についてコントロールが出来る。

 今回、塗ってもらうのはクロロフィル分解酵素とヒト幹細胞にビタミンを足したもので、すでにマウスでの試験を終えている。期間は三年でその間政府による一定の補助金が出るから。止めたいときにはいつ止めてもらってもいい」


 効能について知りたいかなと聞くとまあ、とうなづいたのでつけ加えた。


「クロロフィル分解酵素っていうのは葉緑体を分解するために配合していて、ヒト幹細胞とビタミンは基底細胞の分裂を促すため。これを塗ることにより肌のターンオーバーを促進する」

「ひょっとするとキミのその濃すぎる肌ももしかすると普通に戻るかもしれないね」


 イツキはリリンの言葉にちょっと考えこんだような顔をした。それは困る、大事な実験体だ! とケインが大げさに声を上げた。何を今さらとサイカは呆れる。


「それって、植物人間じゃなくなるってこと?」

「そこまでは期待してない。緑化が緩和されるだけだから」

「まあ、塗布薬の発想自体はあちこちでやってる研究ではあるよな」


 そういってマフィアスは背もたれにぐんと体重を預けてつま先まで伸ばした。


「完治じゃなくて寛解目指してるってのが悲しいけれど事実よ」

「寛解?」

「病状が抑えられてる状態のこと。完治ってのはなかなか難しくて。なぜなら出現しだした細胞壁を取り去るのは困難だから。それを目指して想定マウスにセルロース分解酵素塗ったけどダメだった」

「まあ、細胞がどうなるかってことですよね」


 ケインの冷静な指摘はサイカも薄々感じていたことだった。


「一度できた細胞壁を壊すとかえって病気に罹患しやすくなる。細胞壁が損傷したから血液にまで葉緑体が流れ出したんでしょうね」


 耳の痛い指摘ではあるがおよそ事実だろう。サイカの頭のなかにはすでに別の理論があって、でもまだ提示できる段階じゃない。しっかり調べて推測して。知識は醸成されることで意味を成す。


「説明聞いてイヤなら今からでも中止できるけど。本人の意志でいつでも止めていいって規約があるから」

「大学辞めてブラジルに渡ってきたんだぞ」

「そうだね」


 サイカはこれには多少の理解を示した。被験者には様々な事情がある。全能性に苦しんでいる、苦しんでいないに関わらず。


「まあ、期間は長いから気が変わったならいつでもいって欲しい。協力してくれるともちろん有難いんだけどね」


 そういって会話はお開きとなった。

 みんなで議論を交わしている最中も、イツキは一人窓の外の景色を眺めていた。被験者としての今日の仕事は終わりで、時折ケインが脳について聞きたそうにしていたがそれを流していた。彼は緑に染まった前腕を服の上からそっと撫でて外は雨だなとつぶやいた。

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