8 仲間たちの帰還

 イツキが実験室にやってきてから数日が経過した。サイカとリリンはその間様々な検査を実施し、まずは健康状態であることを確認。実験に必要なDNA情報は解析室に検体を送って解析してもらい、特殊な高解像度顕微鏡で細胞レベルまで覗いて基底細胞に植物化が起きていないことを確認した。


「いいよ、終わった」


 サイカの言葉でイツキは起き上がる。髪を手ぐしで直してGMD測定スペースから出てきた。


「被験者っていう割に何もしないんだ」

「投薬は来週からだから。その他大勢の被験者と一緒のタイミングで始める。詳しい説明もその前にちゃんともう一度するから」

「そう」


 その時、自動ドアがすっと横滑りして二人の男が入ってきた。


「アロハ~オエ」

「オエェ~」


 実験室に明るい声が響く。ここしばらく静かだったが同僚が休暇を明けてようやく帰ってきた。二人の首には派手なブルーのレイがこんもりかかっている。


「ハワイはどうだった」

「素晴らしかったですよ。あの青い海、サンゴ礁。あの鮮やかなウミヘビ!」

「ウミヘビ!」


 リリンがげんなりとした顔をした。金髪坊やがカメラの画像を見せる。本当にウミヘビが写っていた。


「見ろよ、このフィンチ! 古本屋で見つけてきた創刊三十周年記念号だ。世界で初めて世界的権威ウジロ・スズキ氏がイルカと超音波対談、心躍るだろう!」

「ウェブ版にバックナンバーがあるんじゃないかな」


 リリンの素気無い声におおう、そうかと白髪交じりの中年男が声を遠慮気味にした。


「ときにビューティフルサイカ、キミはアメリカ本土でケンカしてきたんだってな」

「なんで知ってるのよ」

「学会で噂だったぞ、メデューサが古参のじじいにかみついたってな」


 美女といってほしいといって中年男の頭をはたいた。あ、痛っと大げさなリアクションを取った。

 しばらく会話に置いてけぼりとなっていたイツキが声を出した。


「ねえ、この変な人たちなんなの」


 そっかごめん、といってサイカが二人を紹介した。


「そっちの金髪の若い子がケイン・ウンベラート、いってたドクターで医学博士。で隣の白髪交じりがエルード・マフィアス。わたしと同じ有機化学の専門家」

「あ、ちなみにわたしはリリン・エス生物科学者だから」


 リリンが茶髪のポニーテールを揺らして挙手しながらつけ加えた。


「これでチームは全員そろったわね」

「二人ともこちらイツキ・ウラガさん。こちらが所望して先週からお世話になっている被験者さん」

「噂通りのイケメンだな」

「ハシブトダーウィンフィンチに似てますね」


 イツキは言葉を無くしてぽかんとしていた。


「それでさ、ケインくんさっそく相談があるんだけれど」


 といってリリンがケインを横に引っ張った。ケインは荷物をデスクに散らかして内容を聞き始める。少し聞こえているがリリンの相談事とはどうやら想定マウスの件らしい。この頃、マウスの七匹はすでに死亡して元気な一匹を除くすべてに感冒症状が確認されていた。


「便に葉緑体が混じってるんですか」

「フンまで崩壊させるとはマッドサイエンティストだな、リリン」


 リリンがマフィアスの冗句にサムズアップを決める。


「ストレスで皮膚をかじってるのかと思ったんだけど」


 サイカが腕を組んでいった。ケインが何かを検討しながらパソコンに取りつく。


「採血してみます」


 ケインは元気なマウスの静脈から採血を始めた。ここまで来るとさすがに、ネット上のことだよね? とイツキがこぼした。ケインがもちろんと答える。その間、サイカはマフィアスと論文のコピーを持ち出してアレコレと会話を始めた。


「植物くんはここ座っててね、お菓子出してあげる」


 リリンが丸椅子を勧めた。イツキが黙って座るとリリンはシャーレに載ったクッキーを出した。何だこれとつぶやいて呆れ交じりに外を見ているとケインがしかめっ面をした。


「これ、皮膚の残骸じゃありません」

「どういうこと?」


 サイカが論文のコピーから目を離して問いかけた。


「血液中に生きた葉緑体がいるんですよ」


 これ見てと指でさした。本当だ、とリリンがつぶやく。


「なんらかの要因で血液中に侵入した葉緑体が増殖して、心臓の機能を助けているんです」

「だから元気なんだ」

「えっとどこだったかな論文論文」


 ケインが思い立ってパソコン検索を始めたが、即座に見つからなかったらしく身振り手振りで説明を始めた。


「人間の血管内に藻を入れると酸素が発生して、心臓が弱った患者の心肺機能を助けたという論文があるんですよ。どっかで。どこだったかな、スイスか日本……」

「じゃあ、塗布薬が効いたってことじゃないんだ」

「塗布薬を塗ったことによってむしろ免疫は弱ってます。この子も他の子みたくそうなると思いますよ」

「なんだあ、がっかり」


 そっか、とサイカは簡素に頷いてまた論文に目を戻した。特に気落ちしたというわけでない。理論がまたふり出しに戻っただけのことだ。


「そのさ、思ったんだけど」


 イツキが何かをいおうとした。それにみんなで注目した。


「血液中に葉緑体がいるってことは、それが脳に届いて様々な影響を及ぼしているってことにはなんないの」

「え?」


 変な間が空く。イツキは説明不足だと感じたらしく言葉を繰り返した。


「だから過剰に生産された酸素が脳の各分野の活動量を上げて、そもそもの運動機能が低下しないからマウスは」


 みんな作業中の手を止めて視線を向けた。


「……それネットで見た?」


 サイカは疑って問いかけた。


「いや、今思っただけで」


 ケインが丸椅子のまま滑って胸元に入っていたペンライトをイツキの目に当てた。右目と左目を交互に確認する。


「大学で生理科学は」

「してるわけないでしょ。文系でしかも中退したし」


 ケインはみんなに目くばせした。うん、とうなづく。


「彼、頭がよくなってる」


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