6 植物の全能性

「ここのマウスたちは全能性に罹患しているの」

「全能性……」


 口にするのも気鬱なことだった。植物には全能性と呼ばれる性質があり、小さな細胞一つでも培養すると植物の全形を取り戻す性質がある。根から全形が再生したり、茎から花まで戻ったり。体に取り入れられた葉緑体もまたそのような兆候を示す可能性が指摘されていた

 黙しているとリリンが顕微鏡を見ながら説明を始めた。


「サイカが違法薬物を使うなっていったのにはちゃんとした理由があってね。違法薬物、すなわち違法の促進剤を使うと植物の全能性が発現しやすくなる。全能性を発現した動物は以降、動物細胞のなかに細胞壁が出来たり液胞が出来たりして、まあ怖い話だけど最後は植物化が始まる」


 人体の植物化。世のなかですでに問題となっていること、サイカたちが常に戦い続けてきたことでもあった。


「ありふれた言葉だから緑化促進剤が怖いなんて意識もないでしょう。でも本当はそういうことなの」


 サイカはイヤなものを消すようにパソコンの画面を切り替えた。


「わたしたちが何してるか理解してくれてるかな」

「クロロフィル分解酵素を用いた緑化抑制剤をとか。説明会も出たし、契約書も読んだけどあの説明文ややこしくて」


 うん、そうね。とサイカは呟いて窓のブラインドを上げた。研究室内に光が射しこむ。


「ここは世界に広まった緑化抑制剤を初めて開発した研究チームなのよ」




「それってすごいの?」

「チームリーダーのサイカ・パラレルです」


 サイカは上品に胸に手を当てた。


「知らないし」

「抑制剤は聞いたことあるでしょう」


 サイカは手間のデスクに立てかけてあった科学誌を手渡した。表紙にはくちばしの大きな中南米の鳥、オニオオハシの写真が載っている。


「……フィンチ?」


 イツキは知らなかったらしく怪訝そうな顔で雑誌を受け取った。フィンチという雑誌名はガラパゴス諸島に生息する、かのダーウィンフィンチから。多様性という意味がこめられているそうだ。


「めくって」


 イツキがぱらぱらとめくると最初の方にインタビューページがあってそこにサイカの見開きインタビューが載っていた。イツキがぽかんと口を開けた。


「加工されてない?」

「文章を読む!」


 イツキはしぶしぶ目を落とした。


「緑化抑制剤の若き開発リーダー、サイカ・パラレルに問う。全能性との戦い最前線! って……あんた有名人なんだ」

「はい」


 サイカはわざと強調して返事をした。


「ふうん」


 サイカの研究は四ページにかけて特集されている。書店に並ぶこともあるが一般に科学専門誌という扱いで、読んだところで内容も把握できないものが多い。興味ない、というのが彼の本音だろう。発行元は海の向こうのイギリスだ。


「不思議ねえ」


 リリンが会話を割るように呟いたのでサイカは顕微鏡のそばに寄った。


「これっだけ葉緑体が濃いのに、全能性の兆候もなし。詳しく基底細胞も調べたほうがいいと思うけど緑化促進剤使ったことないってほんとかな」


 サイカも覗いて確認したが細胞内はきれいなものだった。


「植物化してるのかと思ってた」


 きっと不安だったのだろう、安堵したような表情だったのでつけ加えた。


「今はね、ってこと」

「どういう意味」

「全能性ってのは緑化手術を受けた人間ならば薬物摂取しなくても、隕石に当たるくらいの確率で起こるって可能性が指摘されているから」


 イツキが吐息するのを見てサイカは腕を組んで考えた。彼には説明すべきことが山のようにあると感じていた。

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