4 GMD測定
次の木曜からイツキのデータ取得が始まった。ガラスで間仕切りした部屋でGMDのベッドに横になってもらって測定する。
「これから測定するのは時間当たりの酸素と二酸化炭素の発生量、血中酸素飽和度、葉緑体の活動量、ATPっていう体内エネルギー通貨の生産量。それから時々血液検査をして基礎健康診断を、上皮細胞を採取して細胞内の状態を顕微鏡で確認する」
一気に説明するとガラスの向こうでベッドに横たわっていたイツキ・ウラガ、通称植物くんの声が響いた。
『なんで説明が棒読みなんですか』
「何ででしょう」
「二人って早速ケンカでもしたの?」
隣の丸椅子に座ったリリンが疑るような目でこちらを見ている。その視線に気づいてはいたけれど、構うのさえ癪だった。
「アレをケンカっていうならわたしは三百六十五日毎日誰かとケンカしてる。きっと性質が合わないだけよ」
「冗談でしょ、これから何日一緒にいると思ってるの」
『オレの命が続く限り。ねえ、あんたたちうるさいんだけど。マイク、オンにして堂々と悪口いう癖なんとかなんないの。やるんならとっとと始めてくんない?』
「始める」
サイカはタンっと苛立たしく装置の測定開始ボタンを押した。ベッドに覆いかぶさるように取り付けられた測定器のクリアな上部が作動してスキャニングが始まる。頭部から脛骨を経て胸部、腹部、下腹部へ。ゆっくりゆっくりと装置は移動していく。イツキは動揺もなくまっすぐに天井を見つめている。
「ねえ、これ」
リリンがモニターに表示された数値を指摘した。サイカがマイクで呼びかける。
「心拍数が低いけど、苦しくはない?」
『特には』
「まあ、感じ方は個人差もあるから」
サイカはカルテに入力しながら別の数値に目を向けた。
「酸素と二酸化炭素濃度の排出量は問題ない。細胞内の葉緑体もちゃんと基底部で増殖してるし光合成も出来ている」
うん、と呟いてサイカはイツキに視線を向けた。
「深呼吸して」
イツキからなんで、と不機嫌に返ってくる。いいから、というとイツキは深く息を吸った。
「もう一回」
胸が大きく上下している。
「もう一回」
『ねえ、これ意味あんの?』
「意味ない、落ち着いたでしょう。あとは問診」
お疲れさまと声かけて装置の電源を切った。
サイカはイツキを対面の椅子に座らせると、瞼をめくってライトを当てた。リリンが検体撮影した画像と数値を凝視している。
「時々気持ち悪くなることない?」
「貧血?」
「酸素中毒」
「貧血だと思ってた」
「緑化手術受けた一年以内の人によくあるのよ。手術前の体質から急激に血中酸素濃度が移行するからその濃度差で気持ち悪くなる。けど」
サイカは少し考えて言葉を注いだ。
「キミの場合は体質もある。今日は医者がいないから、あんまり耐えられないようなら病理医学のところにいって緑化抑制剤も出してもらえるけど」
「いい」
そう、じゃ。といってサイカはデスクの引き出しから紙コップを取り出してイツキに渡した。
「はい、コレ」
「何?」
「検尿するから出してきて」
トイレから帰ってきたイツキは不機嫌そうにすると検尿カップをデスクにとんっと置いた。
「健康診断ってこういうこと。あんた科学者じゃなくて医者もやるの」
「医者の免許はないけれど、研究に必要な知識くらいはある。今日は初見だから。普段はケインくんっていう資格持ってるドクターが担当するけれど、今日は休みだからわたしが担当している」
そういってサイカはパソコンを凝視した。
「クロロフィル色素二十一パーセント、高いけどこれはさっきもいっていたように体質によるもの。葉緑体の個体数は保てているから光合成もちゃんと出来ている。ATPが人より高いのは当たり前で、酸素も光補償点を超えている」
「用語並べられても分かんないけど、光補償点って」
ああ、とサイカはそばにあった紙を取ってさらさらとグラフを書いた。
「植物というのは日中、呼吸もして光合成もしている。だから常に光合成によって二酸化炭素を吸収する一方で、呼吸によって二酸化炭素を排出していて。で、その二つの割合が同一で二酸化炭素の増減がゼロである地点を光補償点という」
キミの場合、とグラフに線を引いた。
「見かけ上の二酸化炭素の発生量はここ。二酸化炭素の吸収量が排出量を上回っていて、すなわち効率よく光合成ができていることを示す。だから要するにキミは光合成生物として機能しているってこと」
「ふううん、それがあの機械で分かんの?」
「密閉されていたでしょう。あのガラスのカバーのなかでは光を当てながら酸素と二酸化炭素の増減の割合を計測して機械が瞬時にそれをグラフ化してくれるの」
サイカはパソコンのモニターを少し動かして表示されたグラフを見せた。エメラルドのグラフ曲線が黒いモニターに三つ描かれていた。細かい数値が右端に表示されて、説明したものよりずっと詳しい。
「睡眠はちゃんととれてる? 排便は。気分は安定しているかしら」
「普通だよ」
サイカはパソコンのカルテに睡眠不足と入力した。
「緑化手術をして一年だって聞いたけれど、その間変わったことはなかった?」
「別に、気になるのはちょっとくらくらするくらいで」
「酸素中毒?」
「まあ、そう」
サイカは目をイツキの目をじっと見てペンを回した。じっと慎重に見極める。
「自分で調べて知ってたんでしょう」
「……ネットで少しだけ」
イツキは急に小声になった。手を世話しなくしている、問われたくないことを問われて緊張しているのだと取れた。
「腕見せて欲しいな」
サイカの要望に応えるようにイツキが長袖をまくり上げた。
「うわ、濃い」
リリンが声を上げた。イツキの腕は通常の緑化手術を受けた人々より濃い緑色をしていた。
「クロロフィルの濃度を見ても分かってたけど、キミのはちょっと異常。ケインくんの見立ては間違っていなかったね」
赤いペンをペン立てに戻して書き散らかした紙をイツキに渡すとサイカは立ち上がった。リリンもパソコンのマウスを置いた。戻していいよ、と伝えるとわざとらしい吐息が聞こえた。
「病気かな」
「それが心配だったら病院に行くべきだった」
サイカはそれだけいい切ると白衣を羽織って立ち上がった。
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