2 イツキ・ウラガ

 プランティアのエントランスには多くの人間がいき交っていた。スーツを着こんで商談に来た外国人や研究者の姿、受付から出て老人に案内をする男性職員の姿もある。でもなぜだろう、サイカは彼が特別な待ち人だと直感した。相手が視線が合った瞬間にふっと目を反らした。そこで文化が違うのだと気付いた。


「イツキ・ウラガさん」

「そうです」


 青年がリリンの問いかけに応じた。夏場だというのにグレーの長袖を着込んでブリュネットのくせ毛でうっとうしい格好をしている。瞳はきれいな形をしているけれど虚ろだ。サイカは渋面を作った。


「それじゃ光合成できない」


 青年がサイカの言葉にぼそりとすみません、といった。まあ、グレーの衣服は正確には紫外線を通すからまったく光合成できないってわけじゃないんだけれどね、微量だものとつけ加えるのを止めた。彼は生きているだけで地球環境に貢献している。わたしなんかよりよっぽどだ。


「ねえ、サイカ」


 リリンが上りのエスカレーターでささやき声で話しかけてきた。


(ちょっと暗いよ)

(分かってる)


 彼は陰鬱な表情で一番後ろに立っている。テンション低く、こんなに革新的なプランティアのテクノロジーに見向きもしない。たいてい世界中の科学者はこの設備を見れば子供のようにはしゃぐというのに。


 最上階まで届くシースルーエレベーターに乗って四階を押す。四階にあるのは主に製剤開発部とそれに使用する測定機器だけ。病理医学だとか遺伝子関連、特許対策室などは別の階に設けてある。


「見て分かったと思うけどここはとても広いから、迷子にならないでくださいね」


 四階を歩きながら彼に声掛けしたのだが反応がどうにも悪い。まあ、当然か。気鬱になるのも仕方なし、これからモルモットになるんだもんね。


「ねえ、大丈夫。変なことしないから」


 振り返って腰に手を当てて告げると青年が沈黙を破った。


「変なことってどんなこと?」


 サイカは考えた。


「そうね、たとえば試験中の遺伝子薬をいきなり注射したり、過剰に紫外線当てたり、緑化促進剤も打たないわ約束する。あとは毛も刈らない。マウスじゃないもんね」


 青年は不審そうな顔をしていたが、リリンが慌てて間に入った。


「ああ、えっと。じゃあ、ここがわたしたちの研究部屋」


 彼女が慌てて彩光認証するとドアロックが解除されて開いた。


「入って」


 部屋には人がおらず夕暮れが射しこんで薬剤の臭いがしていた。病院程度だけれど気になる人は気になる。慣れればどうってことはないんだけれども。

 入ってもいい、と聞かれたのでどうぞと招き入れた。


「いつもは四人在中しているけど今は交代で夏休みとってるから」


 サイカはそういって研究部屋を案内した。端にはガラス張りの設備があって、その中にGMD(Greening index measuring device:緑化指数測定器)のベッドがある。一台数百万ドルはするディオラ社製の測定機器だ。


「あのベッドに寝てもらってキミの光合成量とか血中酸素飽和度とか、あとはエネルギー生産。健康診断もかねて研究に大事なものを調べていく」

「今日もするんですか?」

「今日は案内だけ。これから毎週月曜と木曜の朝、忘れずに来て頂戴。キミの安全を保障するためでもあるのよ。GMDで基本的な測定をして、投薬前の状態をまずはきっちり観測する。薬の説明は臨床試験が始まる前にまたするから」

「分かりました」


 サイカは実験室を簡素に案内し終えると、ネット上で退勤報告をすませて研究部屋をあとにした。




 いつもならプランティア内の自室へ直帰するのだが、食堂の案内のためにイツキを伴って三階の渡り廊下を歩いていた。ガラスの外に膨大な景色が映りこむ、気に入りの場所だった。


 夕日に照らされた大西洋がまっすぐ見える。遠くには汽船の姿があって、ここはナツメヤシの産地だからどこかに運んでいるのかもしれなかった。


「プランティアってどうかな」

「南米に初めてきました」

「そう、日本でも緑化手術は受けられたんだ」

「承認されたばかりだったんですけど。でも色々と大変で」


 そうとサイカは視線を落とした。世界ではいまだに紛争が起きている。人間が光合成を行うのは神の意志にもとる愚かな行為だとする反発が。日本は平和な国だろうがそれでも意見の食い違いはある。


「わたしはイギリスで生まれた。今年で九年目。十九歳で大学院を卒業してそれで研究職についたんだけれど」

「自慢かな」

「ちょっとね」


 サイカはガラスに降れて指で水平線をなぞった。汽船がもうじき見えなくなる。


「この場所にいるといろんなものが見えてくる。いろんなものが見えなくなる反面、見えてくることがある」

「それって何ですか」


 サイカは頭をひねって考えた。


「細胞かな」


 学問という括りでは見えなかったことがここでは実感を持って感じ取られる。マウスの皮膚に移植された葉緑体が光合成で酸素を発生させるところを初めて見た。病気に侵された細胞が懸命に生きようと戦っていることも。すべては小さな細胞の戦い。理論じゃなくて現実に起きていることなんだとその知覚を得た。


「プランティアがどうかってさっきの質問なんですけど」


 サイカは横をふり向いた。黒い瞳はなにかを溜めこんでいるようだった。


「大したことないですね、みんなでくだらないことに熱中している」


 イツキは静かに吐き捨てて廊下を歩いていった。




 居住区に移って七階の自室の前に立つ。虹彩認証を登録させてしっかり伝えた。


「ここがキミの部屋で、わたしが隣。隣な理由はキミの体調が悪かったり緊急事態に対応するためね。安心して監視してるわけじゃないので」


 じゃあ、といって去ろうとするとイツキに袖を引き留められた。


「ほんとに家賃払わなくていいんですか」

「払いたいなら払ってもいいけど、いくらか知らないから」


 怪訝そうにするとイツキは「あ、そうか」と理解した。


「オレは家賃を払わなくていいし、給料も支給される。光熱費も使い放題で病気のときはビップ待遇。忘れてました、オレがいないとあなたたちが実験できないんだ」


 サイカはずいぶん挑戦的ね、と片目を釣り上げた。


「そんな風にいわなくていいのよ。ちゃんと期間が過ぎたら元居た場所へ帰れるから」

「どのくらいの確率で」

「二の階乗」


 適当にごまかしてじゃあお休みと扉を閉めた。冷たい扉を背にほっとする。何だかすごく疲れた気がする。科学誌と論文の散らばった部屋には休暇前の残り香があって、片づけもしないで出掛けたんだと思い出した。学会の準備で自分のことに構っている余裕がなかったから。

 電気もつけないで歩いて冷蔵庫を開けると缶ビールを一気飲みした。今度の植物くんは手ごわい、感情的に。


「どうしてそんなに尖ってるのよ。まるでフェロモン注射されたマウスみたい」


 サイカはスニーカーを脱ぎ捨てると茶色いベッドにダイブした。

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