第12話 舞台裏の惨劇

 時は従者たちが姫たちと邂逅している頃――天音たちが祝詞を捧げ、神具を預けられたほづみが里を発った後まで遡る。

「………………」

 雪の降り積もる、人里離れた地。神の一族が住まうその里の中心部で、少年は一人空を見上げていた。

 歳の頃は十四、五歳ほど。吹き荒ぶ風雪をものともせずぼんやりと立ち尽くすその姿は、作り物と見紛うほど端正な面立ちも合わさって等身大の人形に見える。吐き出す息が白く染まっていなければ、時折その双眸が瞬かなければ、彼が生きた人間だと断じられる者はいなかっただろう。

「………………な、ぜ」

 不意にかそけき声が響いた。風雪に攫われてしまうかと思われたそれに、少年が視線を落とす。

 降り積もる雪の合間に、腕が見えた。それから布切れ。頭と思しき部位。僅かにそれが動いて、顔が露わになる。血の気を失った瞼が震えた。重たそうに睫毛が震え、双眸が開く。野生味溢れる美に相応しい、されど衰弱した眼球がぐるりと回って少年を見上げた。人だ。人が埋まっている。注意して辺りを見渡せば、無数の崩れた家屋と人の一部が雪の中に咲き乱れ、化粧を施している。

 少年がその場にしゃがみこんだ。一番近くに見える人の腕に触れ、その冷たさと今にも途切れそうな命の灯火に唇を微かに開く。

「なぜ?」

 温度と色を失った声だった。虚無と言っても差し支えがない。到底生きている人間が紡ぎ出したとは思えない声に、しかし触れられた腕の主は特に疑問を抱かなかったらしい。

「なぜ………………よげ……ん」

「ああ、それ」

 得心したように少年が無機質に相槌を打つ。

「………………は?」

「味方も敵も少ない方がいいと思いました。だから、雪崩で半分ぐらい消えたらいいな、とふと思いついたことを実行しました。成功しました。あなた方の生存率は五割です」

 少年の雪に塗れた髪が風に煽られる。されるがまま無表情に全てを受け入れるその様は、科学技術が発達した世の中では機械よりも機械らしい。

 腕の主が呻いた。雪の中から這い出ようとして失敗する。地を掴んだ指先に朱が飛び散った。ころん、と。貝殻の如き何かが落ちる。爪だ。爪が剥がれて、雪が鮮血に染め上げられる。

「なぜ……っ」

 再三繰り返されるその言葉の違いを、少年は正確に読み取った。触れていた腕から手を離して、少しだけ考え込む。

「未来で会った姫は言いました。可哀想だと憐れみました。籠の鳥はダメだと僕を逃して、死にました。それはダメだと思いました。里に彼女が来るのは、死の予兆だと知りました。だから、こんな里、滅んだ方がいいんです」

 一音一音、はっきりと。最後は強調するように。

 抑揚乏しく淡々と説明を連ねた少年の表情がほんの僅かに動いた。見咎めた腕の主が目を凝らして見定めようとするが、実体を掴ませる事なく煙の如く掻き消える。

「たった一人僕のために泣いてくれた人がいました。負けてごめんなさいと笑ってくれた人がいました。それはもうありえない未来になりました。それでも僕は、いいと思いました」

「何、を」

「理由を問われたので説明しています。僕は利用されていました。力を搾取されていました。同じ道を辿るなら、自分で選びたいと思いました」

 道具は使い主を選べません。

 澱みなく理由を列挙して、少年は再び空を見上げた。曇天が霞むほどの雪が、倒壊した家屋を、倒れ伏す人々を埋めていく。炎の神の血を引く一族や氷雪の神の血を引く一族が這いずり出て事の対処に当たろうとしているが、雪崩の衝撃で負傷しているのだろう。思うように力を振るえていない。

 自然の災害を前に、神ではなくなった子たちは無力だった。天候そのものを操る力を持った《天の姫》でなければ全てを救えそうにないほどに、甚大な被害を被っていた。

 それを看過した少年だけが、無傷で立っていた。

「僕は神の子――心ある者です。道具ではないと悟りました。それを教えてくれた《地の姫》様の勝利の礎になりたいと思いました」

「会って、いな……だろ……っ!」

「はい。もう訪れることのない未来で会いました」

 風雪が咆哮する。突如、意志をもって吹き付けたそれを、少年は見ることなく数歩横にずれることで回避した。避けることもできず余波を浴びた腕の主の咳き込む音が風切音に撒かれて消える。

「大丈夫です。あなたは死にません」

 少年が空から視線を逸らし、風雪の発生源を見る。

「彼らも死にません」

 それから、雪景色となった近くて遠い場所を見る。

「彼らは死にます」

「………………っ」

「時雨様と天音様は、間に合いません。ほづみさんは気付きません。だから、五割しか生き残りません。残念です」

 少年の言葉は止まらない。壊れた玩具のように喋り続け、ふつりと急に途切らせる。

 嫌な沈黙が流れた。腕の主の周りを風が渦巻き出す。徐ろに少年が二歩後退した。同時、先ほどまで彼が立っていた場所に見えない刃が突き立った。ざくりと雪原が大きく抉れ、雪の合間から地表が顔を出す。

 腕の主が踠く。怨嗟を込めた憤怒の眼差しが少年を射抜いた。

「しん………………く、もっ……まさ……か」

「はい、嘘です。。その未来で《地の姫》様は死にました。《天の姫》様が再び勝利を手にしました。神託を賜った直後のナオ様に、その未来を教えました。嘘をつくことを快諾してくださりました」

「…………!?」

「サイト様にも教えました。怒られました。だから、伝えました。そうまでしても、勝ち筋は《天の姫》様にあると真実を答えました」

 腕の主の顔を動揺が走った。大きく揺らいだ目が少年を見上げ、気力を失ったように閉じていく。踠くことをやめた手が、しんしんと降り注ぐ雪に覆われていく。

 二人から離れた場所で炎があがった。風雪の動きが不自然に捻じ曲げられる場所ができてきた。

「潮時だと感じました」

 少年はただそれを見ていた。生きようと懸命に足掻く里の者たちを眺め、そうしてまた空を見上げた。

「僕は、小鳥遊砂霧たかなしさぎりは、里を出ようと思います」

 誰にともなく宣言を残して、少年――砂霧はふらりと歩き出した。自らが死ぬと告げた者たちが埋まる雪の上を、まっすぐに。

 彼を見送る者はいない。彼が去ったことに気付ける者は、誰一人として存在しない。

 そうして五分も経たないうちに、止むことのない雪が、風が、彼の足跡を消してしまった。

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