②
微かな通知音が鳴り、チカチカと暗闇の中を人工的な灯りが点滅する。目を閉じていても邪魔をしてくるその光に寝返りを打った千尋はスマートフォンを手に取った。ディスプレイの画面上部に表示されたメッセージを一読して唇を噛む。
「………………模擬戦、ねぇ」
寝返りをもう一度。その拍子に手元から離れたスマートフォンが新しいメッセージを受信したことを知らせたが、気づかなかったふりをする。
模擬戦を行うのはいい。誰の発案にせよ、本番の前に練習の機会を用意するのは賢明な判断だ。そうでなくとも実際に聖戦とはどのようなものか、従者たちがどの程度戦えるのか、《天の姫》と彼らに戴かれる以上、その命を預けられる立場として知っておくべきだ。
それに、神代とは違い今世の聖戦は日常の延長線で行われる。どういう状況下なら戦闘に繋がる可能性が生じるのか予め知っておけば、日常と非日常のスイッチの切り替えがしやすくなる。
ただ、問題があった。従者の誰も気づいていない上に千尋ですらそういうものかと状況に流されて今の今まで気にもとめていなかった問題が一つだけあった。
「千尋が《天の姫》と同じ力を使える根拠って何……?」
神の血を引く双子の姉妹。予言に該当する唯一の二人。そこまではいい。姉を《天の姫》、妹を《地の姫》とするのも御伽噺もとい伝承に沿った結果だろうから構わない。甘んじてその称号を賜わろう。
何かしら力を持っている、と断じられるのも、そうだろうなと二つ返事で受け入れられる現実だ。強弱に差はあっても神の血を引く以上、純血の人間と違う点があるのは当然のこと。薄れに薄れた父ですら持っていると言われては、疑う余地も残されていない。
しかし、なぜ有する能力がかつての姫たちと同じだと言い切れるのだろう、と。そこだけ疑問が残る。いや、周囲の盲目ぶりに気づいてしまえば、言葉にできない不安感が身を包む。
夜翅は至極当然の顔をして、あなたには最も尊い力があると言った。他の二人も訂正しなかった。
おかしな話だ。双子の姉妹であったが故に立場を受け継いだのだとしたら、それ以外は神代の彼女たちと違うと考えるのが妥当だろうに、何故皆揃いも揃って千尋たちの能力が初代の姫たちと同じであると信じているのだろう。その根拠は、どこにあるのだろう。
「卵が先か、鶏が先か、なのかな」
もし仮に今後千尋に力が目覚めたとして、それが《天の姫》と同じだったとして。
《天の姫》の力を持つから双子として生まれたのか、それとも双子に生まれて今代の姫になったから《天の姫》の力を授かったのか。
……そもそも、全く違う力が覚醒したなら、その時彼らは千尋を《天の姫》と呼び、扱うことができるのだろうか。
考えても詮無い疑問がぐるぐると頭を巡る。眠気に逃避したくとも、冴えた頭がそれを許さない。
「………………そういえば、あれ」
煮詰まった思考に閃くものがある。
千尋は身を起こしてサイドテーブルの明かりをつけると床に転がした鞄をとった。ぼんやりとした視界の中、手探りでお目当てのクリアファイルを取り出す。
そこには、雑に挟んだ紙片があった。
「…………なんで気になるのかな、これ」
今日の帰り道、惹かれるままに拾った名刺をじっと見つめる。何の変哲もない普通の名刺だ。いつもなら落とし物だなと思う程度に見過ごしたはずの、ごくごく平凡な名刺だった。
どうして、それがこんなにも引っかかるのだろう。
目を凝らして書かれた名前を頭の中で反芻する。
天音彩斗。聞き覚えのない名前だ。夜翅が渡してくれた《天の姫》の味方写真には名前が書かれていなかったので、もしかしたらその内の誰かである可能性はある。
千尋は緩慢な仕草でベッドに転がったスマートフォンを見た。錆びたブリキ細工のように手を伸ばして、メッセージ画面を立ち上げる。先ほど届いていたものに既読をつけるのは躊躇われて、夜翅ではなく透の欄を開いた。交換して以降一度も打ち込んだことのないそこに、挨拶と用件を打ち込んでいく。
だが、不思議なことに途中で尋ねる気が失せた。わからないことを訊くだけの作業が億劫に感じられて、名刺のを拾ったことを知られてはならない気がして、画面をタップする指が鈍る。
あの時も、そうだった。妃那たちに名刺の存在を知られてはならないと、本能が警告を出してきた。
「……はっ」
完全に動きを止めてしまった手を見下ろして、中途半端な我が身を自嘲する。
「味方ならいい。でも敵だったら、皆が傷つくことだって、ある。千尋が報連相を怠ったから彼らが危険な目に遭うなんて、想像するだけでも嫌なのに、なんで……っ」
神の一族ですらない一般人の名刺だったなら、杞憂だったと笑えばいい。
《地の姫》勢力の人物だったなら、既に近辺に潜んでいたのかと警戒すればいい。
《天の姫》の味方であったなら、写真が抜けていたと夜翅を怒ればいい。
それだけでいいはずなのに、どうして千尋の指は言うことを聞いてくれないのだろう。
扉を挟んだ向こう側で、人の歩く音がする。咲希だ。何の根拠もないのにそう思って、ベッドから降りると扉を開く。
「あれ?千尋?」
寝てなかったの?と咲希が首を傾げた。どうやらお手洗いに起きてきたらしい。まだ従者たちから模擬戦のことを聞かされていないのか――知らされていたとしても、無視しそうだが――何とも気の抜ける様子である。
「ちょっとね。それより、変わったことはあった?」
「変わったこと?」
「そ」
抽象的な問いかけに咲希が面倒くさそうに、それでも今日一日を振り返る素振りを形だけした。
そして、間をおかずに言う。
「あったから帰りが遅かったんだけど」
「…………それもそうか」
今日の終礼後。既にいつ戦闘が起きてもおかしくないんだけどなぁと零と妃那はぼやいていたが、これまでの習慣をやめる気はさらさらなく、千尋は一緒に帰れそうかと咲希のクラスを訪ねていた。最も、今日も今日とて生徒会の用事が残っているからと咲希には断りを入れられたので学校で別れたのだが、言われてみればその帰宅時間は異様に遅かった。怪我をした様子もなかったため、それほど仕事が残っていたのかと計画性のなさを案じてもいたのだが。
「……千尋の従者が何かした感じ?」
「それもあるけど、そっちはお節介だから、うん。害はなかったし」
どうやら三人の内誰かが咲希に接触を図ったようだ。行動のしやすさから考えると編入してきた玲だが、彼がそこまで好戦的――ないしは世話焼きな性格しているかと言われるとかなり的外れの気もする。一日二日の付き合いである千尋が断言できるほど彼らがわかりやすい性格をしているわけではないが、玲は一見女好きな言動をとっているもののかなりの曲者だと睨んでいる。場の空気を読むことに長けている、と言ってもいい。
「一応言っとくべきかな?来たのは夜翅。あの子、優しいね。覚悟決まりすぎててびっくりしたけど」
「そうなんだ?」
それは意外だと千尋は肩口からこぼれた髪をいじる。
昨夜の問答で夜翅の使命感が強いのは何となくわかっていたが、咲希にまで指摘されるほどだとは思いもしなかった。
「(――うそだ。予想してたよりめちゃくちゃ強いって、すぐに伝わった。だから、目を真っ直ぐに見れなかったんだ)」
月明かりの下、あなたを護ると告げた彼があまりにも澄んだ目をしていたから。
優しさを投げ捨ててでも、心の声に背いてでも《地の姫》勢力を殺すと音もなく叫んでいたから。
人殺しをさせる。知った顔を、手にかけさせる。その罪の在処と責任の所在が自分にあることを改めて突きつけられて、受け止めきれずに目を逸らしてしまった。
これでは咲希を笑えないと、髪をいじる手を止めて口元を歪める。
「それもある、のそれ以外は?」
「………………言う必要性を感じない。というか、そっちこそ何かあったわけ?」
「まあね」
天音彩斗を知っているか、と聞きかけて、開きかけた口を閉ざす。
よくよく考えるまでもなく、千尋と咲希は殺し合う者同士だ。今更ながら、弱みを見せるのは宜しくない気がした。
「まあ別にいいけど。そっちの従者とやらが対処しそうだし」
あちらはあちらでつつかれたくない薮があるらしく深追いはされなかったが、代わりに意味ありげな言葉を付け足される。変に律儀なところがあるので、これは千尋の不利益になるような人物と接触したのかもしれない。
明日にでも夜翅たちに報告しようと決めた千尋は部屋に戻ることにした。
おやすみ、は互いに言わない。おはようも、おかえりも、ただいまも、互いに言わなくなって久しい。
扉を閉めた先で存在を主張するスマートフォンを前に、千尋はそういう距離感でよかったと肩を下ろしたのだった。
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