「千尋の想像通り、ボクたちも神の一族だよ」

 遅刻してきた理由を長々と話し終えた妃那が水筒に入った緑茶でおいしそうに喉を潤すのを視界に捉えながら、千尋は襲いくるめまいを必死で堪えていた。

 ふたりが神の一族だと言うことに衝撃を受けたわけではない。何も感じなかったわけではないが、そうだろうなそうだろうなと朝から今まで疑っていただけに、いざ真相として語られてもショックがそれほどでかくはないのだ。

 衝撃を受けたとするのなら、一族の女であるほづみのぶっとんだ性格と、それから封印を解かれたのだという武器の存在。特に後者はありえない。人知を越えた能力の存在だけでもこちらは頭が痛いというのに、御先祖に当たるかもしれない神様が装備していた武器がこの平穏極まりない現代に出てくるなんて予想外もいいところだ。神話や御伽噺ではなく最早ゲームの世界だろうといっそのこと突っ込んでしまいたい。

 ここ二年の付き合いからそんな心情を汲んでくれたらしい零が気の毒そうに嘆息する。

「あんま武器を重く捉えない。神々も人間みたいにいがみ合ってたってだけだ」

 各地の神話の血生臭い点と同じだと言われてしまえばそうなので、そう言うものだと納得して千尋も考えないようにするしかない。

 そうなのーと相槌を打つ妃那のお気楽さが多少羨ましかったが。

「ああ、ちなみにほづみさんの性癖は慣れるしかないんで、頑張れ」

 一瞬何を言われたのか飲み込めずしれっと宣う零を胡乱げに見返す。

「……いや、慣れるも何も関わる機会がないと思う。っていうか、慣れるもんなの?」

「希望を打ち砕くようであれだけど、機会は残念ながらあると断言する。まあ人間やれば何とかなるっしょ?」

「そんな投げやりな」

 というか、関わる機会があるのか。実害がありそうなので、できれば一生会いたくない人柄の気がするのだけども。

 ひそかにショックを受けていれば妃那が無邪気な笑顔で手を握りしめてきた。突拍子もない行為に反射的に仰け反れば、あのね、と一度言葉を途切れさせる。

 迷うように伏せられかけた目が、強い信念を灯して鮮やかに燃え上がる。

「零とボクはね、千尋と咲希を監視するために里から出されたの。聖戦が始まったら、その行き先と公平性を見極める為の審判役として、ここまで遣わされちゃった」

「……うん」

「初めから、知ってたよ。声をかけた時から、知ってたよ。千尋は禁忌の片割れで、ボクたちの監視対象。崇めなきゃいけない災厄の種だって」

 そして、近づかないといけない対象。誰よりも近くで監視するために、友達になった。

 言われるまでもなくわかりきっていた言葉に、容赦なく紡がれる真実に千尋は目を閉じる。

 わかっていた、気づいていた。従者以外の一族の者が早くから傍にいる理由なんて、そんなにあるはずがない。

 だけど。

 目頭が熱い気がして余計に目を開けられなくなった千尋を知ってか知らずか、ぽんと頭の上に乗る手の感触。

「でも、でもね。変わんないんだよ?」

「……え?」

「一族とかそんな難しいこと、どーでもいいじゃん。友達だもん」

 ね?と何も考えていなさそうな声で楽しげに言う妃那に驚きを隠せずに目を開けた千尋は絶句した。

 妃那も零も、笑っている。とんでもないことを言った妃那を肯定するように、零まで。

「何ぽかんとしてんのさ」

「そだよー!ボクたちの友情パワー疑うの?」

「いや、あの、おふたりさん?」

 伝承で禁忌としておきながら、万が一禁忌が破られた時の為に≪姫≫を重んじる教育を施されるという一族の里。そこで育ち審判役と言う重大な任務を背負ってやってきたにも関わらず、その本人がどうでもいいことだと言い切るなんて、いったい誰が予想できる。

 驚くに決まっているだろう。そして友情パワーが任務に勝るなんて里の者も思わなかったに違いない。

 呆然としている様子がおかしかったのか、笑いの残る声で妃那がつぶやく。

「情は、厄介だよね。わり切れなくなっちゃう」

 偽りから生まれた真。紛い物の関係から生まれた本物の感情。関係性。

 それは時として理性を裏切る心になるのだと、深刻さの欠ける声でしみじみと言われてしまう。

「ま、そういうこと。あんたとはこれからも対等だ」

 《姫》なんて知るか。

 半ばぼやきながら零が問題の包みとやらを鞄から取り出して千尋の机の上に置いた。話を変えるぞという無言の要求に気持ちを切り替える上でもこくりと頷いた千尋は包みに触れてみる。

 白く光沢のある生地がどんな武器を覆っているのか見た目だけではわからない。厚みはせいぜい五センチ程度で細い紐のようなものを束ねている、という見立てが一番正しそうだが、目測でしかないので誤っている可能性は高い。

「ふたりは何か知ってる?」

 教室では中身を開けて確かめることができないので駄目もとで問いかければ、水筒を机の上に置いた妃那がにっこりと頷いた。

「鞭」

 どこのサディストが装備する武器だ。

 というか神の一族の神具としていかがなものなのか。

 ひくりと口元をひきつらせて目で訴える千尋を憐れんでか、零が妃那の頭をはたいてから姿勢を正して咳払いをひとつ、布で包まれた武器を視線でなぞる。

「これは初代天の姫が扱っていた武器なんだ」

「……え?」

初代地の姫は武勇に優れた戦神でもあったらしいから、接近戦に適応した武器を扱った。その代わり能力が弱かった。初代天の姫はその逆。能力に優れた代わりに武勇はいまいちだったみたいで、だから力が弱くても振るえて離れていても当てることのできる武器を選んだ……少なくともあたしはそう聞いて育った」

 剣は己の身を最も危険に晒す。槍は重く動きを鈍重にする。弓は姿勢を保ち続ける力と体力がいる。暗器は使い方を誤れば自分自身を傷つける。銃は神話時代には存在しない。仮にあったとしても素人同然の者が扱うには反動が大きすぎて危険なだけだ。

 だから、鞭。ある一定の距離を保ったまま相手に攻撃を浴びせられる武器は鞭しかない。その理屈は筋が通っている。

 問題なのは千尋の知る御伽噺にはそのような説明的な話は出てこないということだ。昨日夜翅たちが語った中にも出てこなかった。

 里で伝わる神話にも幾通りかの説があるのか、それともある家系だけが伝承していく神話なのか。

 零は言った。そう聞いた、と。では、その相手は。

 誰に聞いたのか気になり問おうとした千尋は、言葉にする寸前で親友たちの表情の変化に気づき目を細めた。

 あまり触れられたくない部分なのか、説明してくれた零の顔にはさっきまではなかった暗い翳りが落ちていた。気遣わしげに見守る妃那も不安そうに沈み込んでいて、うかつに聞けば取り返しがつかなくなるような言葉にし難い焦燥感が疑問を声に出すのを拒む。

 今度は知ることへの恐れからではなく、友としてふたりに配慮して口を噤む。

 話したくないことは誰にでもある。信頼していても、信用していても、それが引き起こす結果に怯えてしまい臆病になる。口に出したら現実になってしまいそうで、躊躇を生んでしまう。一歩を踏み出せなくなる。

 人であるならば当然のように持つ感情に、千尋は苦笑を零した。

 聞きたい気持ちは何よりも勝る。昨日から一変してしまった世界でこれから生きていくためには、どんな些細な情報でも貪欲に貪らねば視野は狭いままだ。無知でも許された一昨日に戻れないのなら、状況把握は欠かせない。

 千尋が《姫》である自覚を持ち覚悟を決めたのなら、迷う零と妃那から無理矢理にでも誰から聞いたのか聞き出すのが正しい。夜翅たちを従者として存分に利用するように、友と言う立場を利用してしないといけない。

「零、妃那」

 だけど、それでも。仕組まれた出逢いの果てに今こうなったのだとしても。

 培った日々が消えず、その想いに偽りがないとふたりが笑うのなら。

 《姫》と一族の者ではなく、対等な場所にいるのだと、言ってくれるのなら。

 躊躇いが許される状況ではなかったとしても、話してくれるのを信じて待つしかない。

 それが、このふたりが信じて望む、関係。

 そして、千尋が守らないと壊れてしまう、絆なのだ。

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