②
「ばかじゃない?従者なんていらないから」
そして千尋の予想通り、咲希は一通りの説明を受けた後、三人が何かを言うよりも早くきっぱりと護るという申し出を断っていた。普段よりも格段に冷えた声は低く、燃え上がる炎よりも激しい怒りが無表情に近い顔に凄みを添えている。
咲希たち一同は千尋たちのように移動などというまだるっこしいことはせず、空き教室で話をしていた。春休みが目前に迫った今、学校内の方が人目を気にせず話すことができるという咲希の主張を受け入れての判断だ。実際二時間ほど居座っていたが、誰も廊下を通りかからない。教師でさえテストの採点が忙しいのか、居残りをする生徒と部外者を咎める者はいなかった。
張りつめた静けさの中で長々とした御伽噺を慧斗が話し、それを時折稀紗羅が補足すると言った形式で説明は進んだ。その間に桜祈が口を挟むことは一度もなく、いきなり始まった御伽噺に驚いた様子を見せた咲希も始終静かに耳を傾けていた。
そうして、語り終わるのを待って紡いだのだ。従者はいらないと。
不明な点の質問をすることも話の真偽を問うこともせず、存在意義ごと従者を否定した咲希に唖然としているのは付き合いの長い稀紗羅だ。一年間同じクラスにいた彼は、咲希という人物の為人を具に見ている。決して賢明とは言えないが、愚かな決断を安易に下さないのをその目で確認している。それ故に何ひとつ訊かずに断られるとは考えもしなかったのだろう。
咲希は言葉を失う稀紗羅の内心の心理を大まかに考察しながら、困惑の雰囲気を醸し出している慧斗を一瞥する。稀紗羅とは違い、断られたことはどうでもいいのか衝撃を受けている様子はない。泰然とした様子には、焦りや動揺は感じられなかった。断られても従者としての振る舞いと使命を全うすることには変わりがないと、ただ無言のもとに告げている。年長者らしい落ち着きは小憎らしいほど揺らがない。
こういうタイプを諦めさせるのが一番厄介なのだが、それよりも桜祈の反応が咲希にとっては意外だった。出会いがしらのやり取りから、断ろうものならそれはもうこっぴどく罵倒されるだろうとふんでいたのだが、凍てついた眼差しに揺れる光は諦観に近かった。断られるのを見越していなければおかしい反応の薄さは無関心ではないだけに気味が悪く、解いていた警戒を積もらせる。
せめて何か尋ねたり憤慨したりしてくれたらいいものを、咲希の言い分を優先する腹積もりなのか誰一人口を開かない。徹底したその態度がひどく癇に障った。
「使命がそんなに大切?自分の命を今日初めて会った他人の為に賭けてまで、やらなきゃならないこと?」
挑発的な物言いで尋ねる。思いの外嫌味な言い方になってしまったが、紛うことなき本音だった。
人様の為に命を賭けて、生死すら宿命に握られて、それなのに護る許可を欲しがるその神経が咲希には理解できない。
咲希の運命は勿論、命も咲希のものだ。生きるのも死ぬのも、どうするべきか判断するのも、すべて咲希自身が決める。誰かのために生まれた時から運命が勝手に決められているなんて、想像するだけでもぞっとする。
だからこそ、簡単に許可を求めていつ終わるかわからない人生を振り回されるままに過ごす決意を固めている三人を素直に肯定できない。
侮蔑を隠しもせず苦々しく吐き捨てた咲希に、稀紗羅がこちらも苦虫でもかみつぶしたような顔をした。
「あのな、それは慧斗だけだ」
「は?」
予期していなかった否定の言葉に素で面食らった顔をした咲希は、頭の中で稀紗羅の否定を咀嚼し、額面通りの意味を飲み込むと怪訝そうに眉を曇らせる。
「白濱さんだけ?」
「正確には慧斗も違う」
「はあ?」
ならばなぜ護りたがる。使命を全うしようという意思を見せる。
つじつまのあわない主張に、ますます意味がわからないと咲希は痛むこめかみを抑える。
彼らが従者として動く気があるのは確かだが、それが使命だからとは限らないと同じ口で言うのはどう解釈したらいいものなのか。むざむざと知っている人の命が奪われるのを知っていて知らないふりをするのが寝覚めに悪いからだと考えるのが妥当だが、稀紗羅はそれでいいとしても今日逢ったばかりの慧斗や桜祈には当てはまらない気もする。
「意味不明だし、使命でないならよけいにいらないんだけども?」
不機嫌なまま軽く順に睨み付けてささやかな反論も突っぱねる。それが使命からくる忠義でもそうでなくても、たとえその決意にどんな理由があっても受け入れるつもりは微塵もない。
その理由はあくまでもいらないからの一点張りで味気がなく、説明不十分で独り善がりでどうしようもない。幼稚な抵抗だと口にしている咲希でさえあまりの拙さに呆れて言葉も出てこなくなる。
それでも、咲希には彼らの意思を否定して傷つけることしかできない。護るにふさわしい相手ではないと思わせることを目的としているので、多少痛む心こそあったがそれで構わなかった。こどもの駄々に似たわがままに、三人が呆れるのを待っていた。
しかし、いくら待てども――――真っ先に見捨ててくれそうな桜祈ですら、予想に反して何の感情も揺らさない。
居心地の悪い空気が咲希を包んだ。息苦しいこの空気を生み出すきっかけを作ったとはいえ、お葬式より重苦しいためにいたたまれない気分になるのは致し方がないだろう。
そっと目を逸らした咲希は、浅く細い息を吐く。意見を変えるつもりはないが、この緊張感はいいかげん疲れる。かといって、終わる気配もない。
うんざりと椅子に腰を下ろした咲希が頬杖をついたのを淡々と見ていた桜祈が、翳した手に漆黒の闇を灯した。
「お前の意見は関係ない」
ゆらりと虚ろに闇が燻り消えてゆく。握りつぶすには禍々しい波動に瞬きを忘れて見入っていた咲希がおかしかったのか、稀紗羅もてのひらを上向けて一払いした。空気が急激に冷え、返す一払いで戻る。その瞬間入れ替わるように空間に陽炎が昇り、まやかしの砂漠の景色が現われた。絶句している咲希に一礼した慧斗が指を鳴らすと消失する。
「姫、御身を護る力は属性がひとつ、例外がふたつになります」
「例外って」
「属性に当てはまらないはぐれと申し上げましょう。属性よりも直接的な攻撃力が低下致します」
手品にも似た刹那の出来事に魅せられたのを見逃さなかったのだろう。するすると流れるように始まった解説に一瞬顔が歪んだのが自分でもわかった。
体よく話をうやむやにされてしまった気はするが、無駄なことを話さない印象のある慧斗が説明を始めた手前重要なのは間違いない。黙り込んだ咲希に稀紗羅が薄く笑む。
「お前と姉だとあちらに軍配が上がる。従者もあっちの方が強いしな」
「そんなに変わる?」
「ああ。応用や細工は俺や慧斗の方が得意分野になる。けどな、直接的な決め手には程遠い。お前と桜祈が属性ありだが」
いかに不利なのかを滑らかに説明していた稀紗羅が言い淀むように間を開けた。
「……お前には、枷っていうのも不適切だが、ひとつ戒めがある」
「はい?」
枷?と目を丸くして見返した咲希に慧斗が頷き淡々と説明しだした。
曰く、そもそも神々の力に優劣があるのはその威力の違い云々の話以前の問題で、相性によるものが殆どだそうだ。同属性や相反する属性ならばいざ知らず、その他の要因によって勝敗が左右されるのは極めて珍しい。解り易く言えば、五行の相克図のようなものだ。
だが、どんな物事にも異例がある。それが《天の姫》と《地の姫》だ。《天の姫》は純粋に《天帝》の力を受け継ぎ、天候に関するならば複数の属性を同時に支配するのも可能だ。その威力は父である《天帝》ですら時に凌ぐほど強大と謳われるほどだった。
一方で《地の姫》は《大地の女神》と同じ土の属性で大地の支配権を有するだけでなく重力を操ることができたが、何の因果か《天帝》の力のひとつである言霊を使うことができた。しかし、それを扱っていいのは《天帝》だけという暗黙の了解がある。《天帝》より遥かに弱い威力とはいえ、天に君臨するのも夢ではない全てを拘束できる力ある言葉を操れるのは一人でよい。そのために《地の姫》には『言霊封じ』の枷がかけられた。能力を封印しては人と変わりないからと、言霊だけを封じるためにかけられた呪。元から
「……篠目先輩は?」
あまり喜ばしくない話に顔をしかめた咲希はもう一人の属性保持者があてにならない理由を問う。
これには桜祈本人が口を開いた。
「姫を護る従者の選定方法は最も力のある者、それが決まりだ。姫を護るというのはそれだけ重要な使命だ」
だが、異例があるなら例外もあると考えろ。
続けざまに落とされたそれだけの真実を事実として受け止めるのに数秒の時間を要した。理解した瞬間、握りしめた手が汗ばむのを自覚する。
「まさか、それって」
姫を護るなら強くなくてはならない。それが絶対の決まりであり受け継がれてきた誓約。
では、その例外とは。
「桜祈の力はよくて中、本来なら従者にはなれない」
――衝撃的、と言えばかなり衝撃的な稀紗羅の断言に咲希はすっと表情を消した。
頑なに唇を引き結び沈思すること数分余り。予備動作なくぱっと身を翻すと反射的に慧斗が差しのべた手を掻い潜り教室から飛び出した。息が無様に切れるのも厭わず、ただ我武者羅に駆けて、駆けて、その場から逃走する。
だから、知らなかった。
「やはり、拒むか」
弱すぎる。
そうぽつりと落とした桜祈の言葉も。それが慧斗と稀紗羅には届いていなかったことも。
何も、知らなかった。
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