第4話 月夜の思惑
陽も暮れて夜の帳を照らす街灯と月明かりだけが頼りになる帰り道。
道路に淡くふたつの影が揺れる。
「今世における戦いのルールを説明するとね、いくつかあるんだ」
千尋の鞄を手に持ちながら常に柔和な表情をしていた夜翅は不意に沈んだ声で切り出した。横からかけられた声が誰に向かって説明をしているのかは今更訊くまでもなく、のんびりと歩いていた千尋が瞳を眇めた。
この場に透と玲はいない。三人そろって家まで送ると申し出たのだが、必要がないと千尋に断られたのだ。透がやんわりと護衛は必要だと言い含めたので力の最も強い夜翅だけが帰路の共を許されたが、それも彼女の本意でないのは一目瞭然だ。
危機感がないわけではない。そうすぐに咲希が攻撃には移らないと確信しているし、家の方の問題が残っているから、使命とやらで殺し合いをするのはこの際置いておくとして、両親にその旨を伝えないのは薄情だろう、と。
落ち込む夜翅を気遣ったわけではないだろうが、知らない方がいいことなのかもしれない事情を両親に話す覚悟を定めて無理をすることもなく千尋は笑った。
恐怖も絶望も嘆きも何もない、綺麗な瞳で。
「いくつ?」
これからの戦いで必要になる情報だからか千尋が足を止めた。
みっつ、と返した夜翅は瞑目する。
ざわりと風が騒いだ。
「ひとつ、人目のつく場所での戦闘は禁止」
神々の戦いの基本は力の行使と武器の二種をうまく使い分けることだ。神代ならばそれこそ顔を見たらすぐに戦闘開始となっていたが、時が流れ銃刀法違反などさまざまな規制と秩序と常識にあふれ縛り付けられている現在の下界では、おおっぴらに戦うのは好ましくない。
最も武具の方は、神代のころに使われていたものが神の一族の住まう場所に奉納さている。それらは来る時まで厳重に管理されている。その為、正式な手続きを踏んでからでないと使えない。
問題なのは神としての力だ。行使している場面を見られれば好奇の視線に晒されるどころか最悪利用される。何より人がいる場所で使うというのは関係のない一般人を殺傷する確率が高くなるということでもある。今回千尋たちに科せられた戦いは神々の私恨と私情が生み出した負の連鎖だ。そこに力なき存在は巻き込めない。
それが弱き者へかけられる最大限の配慮であり、夫婦喧嘩の果てに見境をなくした《天帝》と《大地の女神》が最後まで忘れなかった神の矜持だ。その決まりを破るということは神への反逆に等しい。
「ふたつ、自害は禁止」
《天帝》と《大地の女神》の些細なきっかけから始まった争い。そこからの逃避はいっさい禁じられている。ましてや神という種族は神聖な存在。いくら命に限りがあるようになったとはいえ、人とは一線を画した存在だ。自らの手による命の冒涜を犯すことは最大の禁忌として神代から戒められている。
散るならば潔く戦いで。
泣き叫んでも不可抗力の事態であっても、他の死に方は選べない。
「みっつ、従者以外の神の血筋も参戦可能」
古来のルールに則るのであれば従者だけなのだが、神の血筋である者たちは自らの姫に対して程度の差はあるもののそれなりに強い敬意を払っている。一族の者は例外なく幼いころから姫に仕える為だけに力を磨き、腕を鍛えてきた一騎当千の兵ばかりだ。傍観しろという方が無理な話である。
ましてや今回の従者は年齢層が低い。従者が名誉ある役割であっても、その為だけに一族が存続してきたのだとしても、保護者がおとなしく黙っているはずがない。その為に特例として加えられたルールだ。致命的な打撃を与えないという条件を守るのであれば参加が許されるという追加項目だった。
「姫、これをあなたに」
難しい顔で思案に入った千尋へ夜翅は羽織っていた上着の内ポケットからビニール袋を取り出して差し出す。
「これは?」
「味方の写真。みんながみんな参戦するわけじゃないけど、覚えておかないと危険だから」
今日はまだいい。千尋の予想通り、というほどぴたりとあたったわけではないが、姫の決意云々に関わらず説明する猶予期間としてお互いに争わないようにしようと協定を結んでいる。仮にこのタイミングで襲撃があったとしても、ルール違反として向こう側の姫が命を差し出さねばいけなくなるだけだ。
問題なのは明日からだ。学校という共同生活の場での時間が一日の大半を占める為に戦いに発展する見込みは杞憂と思えるほどまずないが、そのぶん学外での危険は増す。日常と非日常の切り替えがワンテンポでも遅れたら命取りになりかねない。何より命を奪わない程度になら関与が許されている関係者が奇襲をかけるには都合がよすぎるのだ。
相手からの奇襲を防ぐためにも千尋には短期間で味方の顔を覚えてもらわねばならない。これはその為に玲が透の指示で用意していた写真だ。
無言でビニール袋に入った写真を眺めていた千尋が夜翅を見据える。
「夜翅、君はどうして逃げないの?」
唐突に、だが聞かれるだろうと予測はしていた質問に夜翅はそっと千尋の手にビニール袋を握らせる。
風が吹き荒れる。ともすれば人の声など吹き消してしまいそうなほど強く、激しく。
「あなたは、僕に逃げてほしいの?」
「そうかもね。君は、こんな殺伐としたのは苦手そうな感じだから」
「……うん、そうだね」
何の疑いもなく言われた断定口調の言葉。否定するだけの材料も思いつかずごまかすことも疲れた夜翅は臆病さを肯定してからっぽになったてのひらを握りしめる。
他の者がどうなのかを気にしたことはないが、夜翅個人としては生き物の命を奪うのは嫌いだ。できれば誰にも傷ついて欲しくないし誰とも争いたくない。誰の涙も見たくない。人類皆兄弟といいたいわけではないが、叶うならば敵も味方も関係なくふたりの姫とその守護者と皆で仲よく笑って過ごしたい。
その願いを嘲笑うかのような、血で血を洗う現実にこれから身を投じるのかと考えただけでも息が詰まる。吐き気が襲ってきて嫌になる。使命なんて忘れて逃げ出したくなる。奪うものの重さに押しつぶされてしまいそうになる。
きっと、夜翅は優しすぎた。殺し合いに参加するには幼すぎた。
この世界にある全てのものを、愛しすぎた。
その自覚は夜翅自身十分にある。
それでも、そうだとしても。
「僕は、逃げないよ」
夜翅に逃げる気はなかった。もしかしたら千尋は夜翅に逃げてほしかったのかもしれないが、逃げるという選択肢がなかった。
「絶対に、あなたを護るよ」
希望などないこの宿命を駆け抜ける。
その為にこの手を血の色に染めることになっても、たくさんの人を傷つけることになっても、構わない。
ただひとり、目の前で目を見開く少女を護れるなら、いくつもの罪と咎に身を落としてもいい。
――それぐらい、夜翅にとって千尋は大切な少女だった。
どうしてと、千尋は尋ねるだろう。初対面で、仲よくもなくて、寧ろぎくしゃくとした関係なのに。
どうしてと、問うだろう。姫と従者だからという言葉で済ませるには含みを帯びた宣言だから。
「言っとくけど、優しさを殺してまで、傍にいる価値はないよ」
虚を突かれた顔で夜翅を見返していた千尋が痛みを堪えるような顔をして目を逸らす。
逃げてほしかったと如実に語る反応に夜翅は気づかないふりをして千尋の前に出ると空いている方の手で千尋の手を取り歩き始める。
優しさを殺してまで、と言った千尋は気づいていない。
「(あなたもね、優しいよ)」
いきなり過酷な運命を突き付けられたにも関わらず、責めるどころか人の心を思いやれる
護るよと繰り返した誓約は、微風に乗って消えていった。
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