第3話 ふたりの姫と従者たち


 長い長い昔語り。御伽噺だと言われても納得できてしまいそうなほど現実味のない話を聞いていた千尋は、それまで語りに徹していた夜翅が安堵を顔に宿したことからひと段落がついたのを察して手元にあるグラスを揺らした。

 先ほどの坂道からそう離れていない、寂びれた印象の漂う喫茶店。そこに四人はいた。

 最初に場所を変えようと言ったのは千尋だ。道端でしゃべり続けることに抵抗があったのと、こんな目立つ奴らとはさっさと縁を切りたいという理由からまとめて話を聞いた方が楽だと判断した結果だ。リーダー的立ち位置にいる透も道端でできる話ではないと同意を示した。後は話を聞いて、縁を切るだけだった。

 ――それが不可能になったのは、今の話から理解してしまったが。

「伝承、か」

 夜翅が語って聞かせてくれた伝承とやらには、千尋にも心当たりがあった。寧ろ幼いころに繰り返し聞かせてもらっていたので、諳んじろと言われれば諳んじることも可能である。幼心に壮大な世界観と御伽噺にしては珍しいバッドエンドに魅入られたのは、今でも鮮明に記憶に残っている。

 両親の家で先祖代々受け継がれてきた由緒ある話だと聞いたのは、いつだったか正確には思い出せない。物心がつく前から知っていた気もしたが、知らなかった気もした。気づいたら生活のごく一部にあって、咲希とふたりでハッピーエンドだったらどうなっていたのかと他愛もない想像を膨らませていたものだ。

 聞くのはいつだって就寝時だったので、千尋にとってはそれこそ『物語』や『御伽噺』、或いは『寝物語』でしかなかった。それを伝承であり実際にあった神話だと真面目な顔をしてのたまわれても困るというのが本音だ。だが、あまりにも三人が真剣な顔をしているため笑い飛ばすこともできない。

 それに、彼らの言う伝承が千尋の知る話と同じ代物なのは事実だ。ここは実感には乏しくとも、そういうものなのだと腹をくくって受け入れるべきなのだろう。そうでなくては話が進まない。

 手元で揺れる紅茶を一口含み、光に透けて金色に映る夜翅の髪をぼんやりと眺める。

 伝承を鵜呑みにして考えるのであれば、彼らが千尋を姫と呼ぶ理由はこれで明白になった。彼らは千尋と咲希をふたりの姫の再臨として見ているのだ。そうでない可能性など、微塵も考えていない。双子で、女で、伝承を知っている。三つも符号が揃えば、否定する方が難しいのかもしれないが。

 疑問なのは、呪いで縛られているわけでもない彼らが己の自由意志で先祖代々の誓約を律儀に守りに現われたことだった。

 透も夜翅も玲も明言こそしてこないが、三人は従者と考えるのが妥当だ。千尋にわざわざ会いに来たのは身辺警護の為だろう。

 従者がどのように選定されるのか、知ったことではない。しかし、意志を奪われたわけでもないのにわざわざ命を落とすかもしれない状況に飛び込んでくるなど、千尋からすれば酔狂の極みだ。見も知らぬ他人のことなど放っておけばいいものを、どうしてここまで来てしまったのか。

 張本人である千尋ですら受け止め損ねているのに、張本人以上に真剣な姿に呆れて言葉も出なかった。

 SF小説ならともかく、ありふれた幸せしかないこの現実では荒唐無稽で馬鹿みたいな話だと笑い飛ばして、見捨ててくれてもそれはそれで構わなかったのだ。

「力って、何?」

 率直な感想を飲み込んで、諸々言いたいことも後回しにして、ひとまず引っ掛かっていた部分について質問をすれば、かわいらしく夜翅が微笑んだ。

「神々にはね、属性があるんだ。僕たちも、強弱の差はあっても持ってるよ」

 神と呼ばれる存在は、人とは根本的に違う生き物だ。その最も顕著な違いとして、超常的な力を司る。属性に分類してしまえば、炎・水・風・土・光・闇の六種類だが、さらにそこから派生した力も合わせれば軽く百は超えるとされており、稀にどの属性にも属さないような力を持っている者もいる。力の強さは血の薄さや濃さに比例しがちではあるが、一滴でも神の血が流れている限り、無能力はありえない。どれだけ弱くとも力は力、人の身では授かれない。俗にいう超能力者や霊能力者は神々の血を引く者であり、単に世代を重ねすぎたために弱い能力しか具現できなかっただけである。

 千尋が何も知らないのを気遣ってかずいぶんと噛み砕いてくれているらしく、頭に入りやすい短さで説明した夜翅の横で気だるげに玲がグラスをもたげる。

「オレは炎、透は光。夜翅は風で、この中で一番強い」

「……君が?」

「以外だった?」

 玲や透ではなく、夜翅が。

 見た目で判別するのは愚かの極みだとわかっていても驚きを禁じ得ずに千尋は訊き返した。気分を害することもなくはにかむように答えた夜翅はひたすら純真無垢で可愛らしい。優しそうな風貌もあって戦闘の二文字は似合わない。最弱ならまだしも、どう贔屓目に見ても一番の実力者には見えなかった。

 驚かれるのに慣れているのか具に見つめる視線にも特に気にする素振りを見せなかった夜翅が、でもね、と世間話の延長線上でさらりと続ける。

「あなたにもあるよ。最も尊い、強い力」

「属性は?」

 間髪入れずに訊き返した千尋に透が指を組んだ。

「姫の力に属性はありませんが、名目上は天候とされています。風属性の嵐と雷、水属性の氷――吹雪なども含みます」

「それは」

 尊いとか強いとか以前にいささか卑怯ではなかろうか。

 そして持っていても使い方がわからなければ意味がないのでは。

 何とも形容のしようがない複雑な面持ちで黙ってしまった千尋の心情を敏感に察したのか「卑怯なのは《地の姫》様もなんだけどね」となんでもないことのように玲が眇めた瞳に退廃的な香りを匂わせる。

「問題はそこじゃないよ、姫君」

 力の属性だとかそれを使えるのかとかの話ではないと言外に告げられ小さくうなずく。

 彼らが求めているのは質問ではない。説明は現状を教えるためにされたのであって、いつでもできる受け答えの時間を作りたかったわけではないだろう。

 ささやかな現実逃避も見逃さなかった玲の鋭さに苦笑を禁じ得ない。

 正直な感想としては、やはり非現実的すぎてだからどうしたと言ってしまいたい。そんな遊びに千尋を巻き込むなと言ってしまいたい。

 だけど、心の底から嘘だろうと思っているけれど、これが現実なのだともわかっている。誰も千尋を騙してはいないと、わかっている。

 だから、護る許可を求められているのも、ただ許すとさえ言えば一緒に戦ってくれるのも、今の御伽噺と誓約の話から推測することはできていた。彼らがどれだけその誓約に命を賭ける覚悟があるのかも、話の最中に向けられる瞳の奥に燻る信念の色から読み取れていた。

 敢えて気づかないふりをしていたのは、護られる価値がないと卑屈になっていたからでもこの皮肉な運命を嘆いていたからでもない。現実として状況を受け入れられなかったからでもない。

 護られたくないと、心の最奥で叫ぶ千尋がいるのだ。護られるのは性にあわないと叫ぶ自分がいるのだ。

 いくら姫とは言え、どうして今日逢ったばかりの人間を護ることに迷いがないのか。疑問に思いながら、それでもこれしか答えはないかと口を開く。

「あのさ、護るよ」

 ――沈黙が、落ちた。

 え?とあからさまに狼狽えたり困惑したり目を見張ったりしている面々に順繰りに視線を向けながら、手を組みもう一度口を開く。

「護るよ。君たちがじゃない。千尋が、君たちを。それではだめ?」

 数秒間、三人が互いの顔を見やった。

 面白いおもちゃを見つけた子どもさながらに玲が目を輝かす。

「護るな、とは言わないのかな?」

「咲希のとこにも従者がいるのなら、それは自殺行為。拒むのはあまりに無謀で愚かだよ。でも、追いつけないわけじゃい」

 これが嘘でも現実でも。夢でも真でも、それだけは変わらない。

 護られるだけで終わるのは、護られるだけの存在で居続けるのは、嫌だった。

 だから。

「君たちに追いついたら、君たちと並べるぐらい強くなったら、護るなというから」

 護るな、と彼らに言うのは簡単だ。自分の後始末は自分ですると言い切ってやるのも、本当は難しくない。

 だが、千尋は戦闘経験がないうえに能力を持っているという自覚もない。そんなやつが護るなというのは死にたがりかよほど現状が理解できてないかのどちらかで、千尋はそのどちらでもない。

 護られたくないと叫ぶ心は確かにここにある。それでも、護られるのを受け入れて強くなるという選択肢が最善なのは諭されるまでもないことだった。

 だから、その時までは護る手を不本意ながら受け入れる。

 静かに決意を固めていた千尋は残っていた紅茶を嚥下する。その時、ふと脳裏をよぎったのは片割れの顔だった。今頃どこかで同じ話を聞かされているだろう咲希を思い、思わず嘆息する。

「……咲希は、護るなと言うだろうね」

「妹君かい?」

「そう」

 ぼそりと落とした独り言に返ってくる返事があるとは思わなかった。少し驚きながら首肯すれば、夜翅が唇を薄く開いた。

 不思議がっている様子ではない。殺めねばならない対象が無防備を選ぶという確信に近い予想に悲しんでいる。

「どうしてか、訊いてもいい?」

 従者を拒むのは従者の誠意を無碍にすることだ。だから普通の人間なら、例え彼らの言うことが虚言だと思っていても、穏便に済ますためにある程度妥協する。なぜなら、彼らの話が真実であった場合、生命に関わるからだ。わがままを言う状況ではないとそれぐらいの機転は利かす。

 それが理解できていての問いに、とっさに返す言葉が思いつかなかった。

 明確な理由も根拠もない。咲希が愚かでないのは一番身近にいた千尋が知っている。咲希が千尋と同じ考えに至り、同じ最善を見つけているだろうことは本人に確認するまでもないことだ。

 だが、同時に千尋は知っていた。咲希が変なところでこだわりを持っていることを。

 千尋よりも世渡り下手というか、余計な分まで動くというか、それとも考えすぎるというべきか。とにかく時々だが、周囲が理解に苦しむことを平気でやってのける。その上、相手に甘えて主語や重要部分を抜いたしゃべり方をするから事態をややこしくする。相手に真意が汲み取ってもらえないことも多く、それさえ仕方がないと受け入れる。

 正しいと思う道を、千尋も咲希も貫くから。信念を曲げない限り、きっと咲希は従者を拒む。

 だからなのだとは説明をする気にもなれず、答えを待つ夜翅と呆れた顔をする透を見やり、すでに興味を失っているらしい玲までも一応答えを待っているのを目にした千尋は肩を竦めた。

「そのうちわかるよ、夜翅。いやでもね」

 運命が殺し合いという選択肢を掲げるのならば、選ぶ側の決意を変化させるのは不可能だ。

 だからこそ、今は、今だけはそれだけしか言えなかった。



       

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