第1話 かくして舞台の幕はあがる
世界に朝焼けを捧げる太陽の訪れとともに、夜を優しく照らし出していた月が徐々に身を隠していく時刻。
まばらに人が行き交う駅の改札口を、ふたりの少女が通っていた。その歩調は殆ど同じで、本来なら何かしらの会話が交わされていてもおかしくない距離だ。しかし、ふたりの間に会話はなかった。目の間に広がる坂道の前で、一瞬、瓜二つなお互いの顔を見合わせて、肩を竦めただけだった。
少女の名前は、
「毎度ながら嫌になる」
坂道を見ていた咲希が、仄かに幼さが感じられる声で、小さくぼやいた。とうに慣例化している、それでいて珍しく本気で嫌そうに吐露された愚痴に、千尋が澄んだ声をたてて笑う。
「人通りが少ないだけマシだと思うけど」
「それはそうなんだけど」
高校に登下校するうえで最大の敵である坂との付き合いも、そろそろ一年が経とうとしている。慣れるどころかますます嫌気が差すのは、急な勾配のせいだろう。人通りが少ない時間帯のために自分たちのペースを乱すことなく登れるのはよかったが、それも足に蓄積される疲労とはまた別の話である。
溜息をひとつ、どちらからともなく吐き出して、示し合わせたように殆ど同時に止めていた歩を進め始めた。
神凪家の双子姉妹の朝は早い。区域の違う私立高校に通っているのもあるが、単純に、迅速な行動を好んでいるからでもある。満員電車が嫌だ、は言い訳に過ぎないと果たして本人たちが気づいているのかは別として、今日もいつもの通りの時間に家を出た。
そっくりな顔立ちをしたふたりが道路を歩いても、この時間帯ならあからさまに振り返る通行人はいない。そしてその事実は、似ている、ということに複雑な感情を抱いている千尋と咲希にとってありがたいことだった。
いまさら人に騒がれなくなったからと言って、似ているという現実がどうこうなるわけではない。一分でも長く睡眠時間を確保した方が良いのだともわかっている。それでも、早起きして通学することは譲れなかった。何ということもない。つまところ、千尋も咲希もむやみやたらに双子だ何だと騒がれるのが煩わしいだけなのだ。
「…………ちょっとだけ、暑いかも」
「そう?あんたの体感温度は相も変わらず異常なことで」
歩く足を休めるでもなく二月の冬空を見上げて忌々しげにつぶやいた咲希に、飄々とした調子で返した千尋があくびを噛み殺しながら空を仰いだ。
改札口でもそうだったが、外にいる間、基本的にふたりは会話を交わさない。興味のあることや趣味について共通項は多くても、それは家で話せば済む話。それ以外――たとえば今の気分だとか意見だとか、そういったことを戯れ以外で口に出すことはほとんどないと言ってよかった。長い時間を同じように過ごしてきたからか、喋らなくてもお互いに言いたいことがわかるから必要がないのだ。
だから、その日は珍しいと言えた。
咲希が本気で愚痴をこぼしたのも、それに千尋が答えたのも。
晴れ晴れとした青空が頭上を覆うのを無言で見上げていた千尋は、ふと何気なく後ろを振り返った。不思議そうにその視線を追った咲希は、空っぽの道路を見つめる千尋に息を吐き出す。
「何?どうかした?」
「……何か、いた?」
「いや、疑問で返されても」
わかるわけない。そう紡ぎかけた咲希が思いとどまったように言葉を飲み込み、鬱陶しそうに視界に入った前髪を払う。
「まぁ、そだね。いたかもね」
「いつもの勘?」
「にもならないもの。あてずっぽう」
視線を感じたと言ったのだとニュアンスからふんだ咲希の適当な受け答えに、しかし気分を害することなく聞いていた千尋は僅かに笑った。
からかうような、それでいて面白くなさそうな様子とは裏腹に前に戻された視線には、底冷えのする凄みが宿っている。それを認めた咲希は苦笑を浮かべた。
気に入らない者、気に入る者。その線引きがしっかりとしている千尋。誰が見ていたのかは知らないが明らかに後者に入ったのがわかった咲希は心の中で手を合わせる。
もし千尋に好意を持っていたのなら気の毒に、とその不運さを憐れむことしか咲希にはできない。もっとも、その場合は影からこっそりストーカの様に眺めていたのだから自業自得だと思わないでもなかったが。
「さて、じゃあ登りますか」
「しんどいけどね」
止まっていた足を動かして、それ以降は特に言葉を交わすでもなく黙々と坂道を登っていく。二対の目は、もう後ろを振り返ることはしなかった。
******
この時はまだ、いつもと変わらない日常が続くと思っていた。うっとうしくなるぐらい退屈で変わり映えのない、同時に愛しいばかりの平々凡々な日常が続くと思っていた。
普遍などないよ、と笑いながら。
日常に飽きた、と文句を言いながら。
たぶん、誰よりも普通を願っていた。
そんな高校一年目の冬の終わりに起こった、悲劇の幕開け。
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