第一章 #25

翌日の12月25日。

昴と綺羅が、耳鼻科から出て来た。


「お兄ちゃんの耳、順調そうで良かったね」

「うん。このまま鼓膜がふさがってくれたらいいんだけど」


そう言いながら薬局へ向かうと、その姿を通りかかった中山が偶然見掛けた。

「あれ、あの子達は……」

中山は、2人が出て来た建物を見た。

「耳鼻科?」




中山は、昴たちが住むアパートの前にやって来た。

「あの子たちが外出中ってことは、今は清永さんだけか。今日は会えるだろうか」


中山が扉の前に行こうとした丁度その時、中からスウェットの上下にコートを羽織ったマスク姿の父親が出て来た。

「清永さん!」

父親は中山の顔を見て、慌てて扉の中に戻ろうとした。

だが中山が扉の間に足を挟み込み、扉が閉まらないようにする。

父親は中山の革靴の先を足で押し出そうとするが、中山の力に押され、扉は開いてしまった。


父親は、玄関框げんかんかまちにヘナヘナと座り込むと、膝の上に腕を置き、だらりと俯いた。


「大丈夫か!?」

中山も父親の前にしゃがむと、心配そうに声を掛けた。

「……大丈夫です」

「とてもそうは思えないぞ。体調を崩しているとは聞いていたが、酷い顔色じゃないか」

「……誰がそんな事を」

「息子さんだよ。聞いてないかい? 3日前にもお邪魔したんだよ」

父親が、「あぁ……」と呟く。


「それにしても、俺の顔を見て逃げるなんて酷いじゃないか」

「……すいません」

「まぁいい。気持ちの整理なんかすぐに出来ないよ。奥様の事は改めてお悔やみ申し上げます」

「……はい」

「今も息子さんと、多分娘さんだと思うが、2人が耳鼻科から出て来るところを見掛けたけど、お子さんもどこか悪いのか?」

「耳鼻科?」

父親が顔を上げる。

すると中山は、父親がマスク越しでも酒臭い事に気付いた。


(まさか……朝から酒を飲んでるのか?)

「………ところで、君はどこに行こうとしていたんだ」


父親は、何も言わずに目を反らした。


「まぁいい。飲みたくなるにも分かる。だが飲み過ぎでお子さんに迷惑を掛けるなよ。早速本題に入ろうか。君の勤怠だが、年末は来週の月曜日の28日が最終出勤日なんだがその日は自由出勤だから、実質明日の金曜日が仕事納めだ。仕事始めは年明け1月4日の月曜日なんだが、君は忌引き休暇以降は有休扱いにしてあるが、1月からは出社出来そうか?」


父親は、何も言わなかった。


「お子さんだけを残して働くのが心配なら、勤務時間は会社に掛け合ってみるよ。家に籠ってばかりでも体に良くない。年明けから出社しないか? 奥さんもずっと引き籠った君を見たら悲しむんじゃないか」


すると父親が、小声で何かを呟いた。

「……ってもらえますか」


うまく聞き取れなかった中山が、顔を近づけて「ん?」と聞き直そうとする。


すると父親は中山の胸ぐらをつかんで立ち上がると、扉の外へ押し出した。

「帰れって言ってんだ!」

「お、おい、どうしたんだ急に!?」

 

扉の外に押し出された中山は、ふと人の気配を感じそちらを向くと、すぐ近くに驚いた顔で立つ昴と、その横で怯えながら兄の腕にしがみつく綺羅の姿があった。

「君たち……」

父親も2人に気付くと、踵を返し、その場から歩き出す。

「き、清永さん!」

中山が呼んでも父親は立ち止まらず、去って行った。


気を取り直した中山が、着崩れたスーツを整え、昴と綺羅の元へ行く。

「びっくりさせて申し訳無かったね」

「……いえ」

「僕も失礼するよ。お父さんによろしくお伝え下さい」

そう言うと、中山も歩いてその場から去って行った。


「お兄ちゃん……、あの人誰か知ってるの?」

昴の腕にしがみついたままの綺羅が、不安そうに兄を見上げる。


「お父さんの会社の人だよ。前にもウチに来てくれた事があるんだ」

「何で会社に人がウチに来て、お父さんが怒ってたの?」

「それは……、何でだろうね。僕も分かんないよ」

昴は、これ以上妹を不安にさせたくないと思い、無断欠勤の事を伝えなかった。

「さぁ、寒いし家に入ってご飯を食べよう。食べたら冬休みの宿題だよ」

「……まだやらなくても大丈夫だけど」

「早めに終わらせたら、安心してダンスの練習に集中出来るんじゃない?」

「あ、そっかー。そうだよね」

昴と綺羅は、アパートの中へ入って行った。



昼食を終え、昴と綺羅は自室で宿題をやっていた。

すると玄関の施錠を開け、人が入って来る気配がした。

「お父さんだ」

綺羅が昴に向かって呟くと、昴は宿題から目を離さず「そうだね」と相槌を打った。


ドタドタと近づいてくる足音を聞き、綺羅が椅子の車輪を転がして昴の横へ来る。


「どうしたの?」

「何か足音がいつもと違う気がする」

「え、そぉかな」


昴が耳を澄ますと、足音ではなく、食卓の上にガシャガシャと袋に入った缶を置く音が聞こえる。

これは日常になっている、父親が外食帰りに缶ビールを買ってきて冷蔵庫へ入れる音だった。


「大丈夫だよ。お父さんは台所へ来てもこの部屋には入って来ないでしょ」


すると突然、自室の扉がバンと開いた。

昴と綺羅は驚いてそちらを向くと、入り口に父親が立っている。

2人は驚いて体が固まった。


「なんで耳鼻科に行ったんだ」

父親は、眉間に皺を寄せながら昴と綺羅を見た。

昴は隣にいる妹を庇うように座ったまま体を父親へ向けると、恐る恐る答えた。


「僕の耳が、ちょっと痛くなったんです」

「耳? ……保険証と金は?」

「お金は、……治療費が200円で薬代はタダだったから、……僕のお小遣いの残りで払いました。保険証は……前から持っていたから、それを使いました」

「前から持っていた?」

昴がコクッと頷くと、父親はズカズカと昴の前にやって来た。


昴は無意識に、父親の右手に目が行った。

そしてその手が動くのが見えると、思わずギュッと目を閉じた。

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