BOND SHORT 華麗なる一族の勃興
Green Power
壺の中身
事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものです。私は死ぬ前、病に伏していました。半年前に検診を受けた際にステージ2の大腸癌と診断されたのです。最初は抗がん剤治療をしながら闘病生活を続けていました。抗がん剤の副作用で髪は抜けて落ち、手足に走る痛みに私はずっと耐え続けました。そのおかげか、三か月の闘病生活を過ごしたころには、癌はほぼ完治するほどに病状は回復したのです。しかし私を苦しめる悪魔はまだ死んでなどいなかった。むしろ抗がん剤の量が減るまで、身を隠していたのです。
自宅治療となってから四カ月目、私は呼吸が苦しくなり突如入院する事になりました。検査の結果、医者からは肺癌だと告げられました。大腸癌が転移したのだろうと。ステージはすでに3にまで進行していたのです。抗がん剤治療のせいで、私の身体は既にボロボロでした。
でも死にたくなかった。
だから苦しみに耐え続けました。
嘔吐や呼吸困難に苦しみながらも、私は生への執着から逃れられなかった。死にたくない。全てが無になるという恐怖が私を生にしがみつかせていたのです。
しかしどれだけ苦しみ耐えようとも、肺に移転した癌は私を苦しみ続けます。ステージは進行し、進行levelは5になっていました。私は医者と相談し、抗がん剤治療を止めることにしました。もうそのころには生きることへの希望や望みなどはありませんでした。ただ、せめて死ぬ前は安らかに死にたいと思っていたのです。
相変わらず癌は私を苦しませたが、抗がん剤による副作用への苦しみはなくなったことで、私の病院生活にも久しぶりの安寧が訪れていました。
それから二週間後、私は死んだのです。
死んだらしいのです。父と話しをしたあと、急に眠たくなって寝ただけだったのですが、どうやら死んだようです。死んだのに、なんで自分が死んだことが分かっているかと言えば、私が今生きているからです。
誰が言ったか、事実な小説よりも奇なり――と。
渡しは癌で死んだあと、別の世界線の地球にて生まれ変わっていました。
死んだ後、私は暗く、それでありながら暖かい世界にいました。周りは何も見えず、手足は全くと言っていいほど動かせません。
しかしここが死後の世界ならば、随分と居心地がいい場所だと思いました。少なくとも、もう癌にも抗がん剤にも苦しまずに済むのだから。それに動かせなかった手足も少しずつ自由に動かせるようになっていきました。その時からでしょうか、暗闇の世界で小さな光が見え始めたのは。
そこで初めて、自分がいる世界に”天井”があることに気づきました。その天井の真ん中には小さな穴があって、そこからたまに光が見えることがあったのです。真っ白な光で、それ以外は何も見えませんでしたが、手を伸ばすと簡単に穴に手が届きました。どうやら、自分は思った以上に背がデカくなっていたようです。
私はその穴の先がどうなっているのか、気になって気になってしょうがなかったのです。だからその穴をこじ開けようと、私がその穴に指を突っ込んだ時でした。
急に私が住む世界が動き始めたのです。
地面が揺れ、指を突っ込んだ穴は、私が力を加えずとも勝手に開き始めました。
すると床と天井が私を包み込むように収縮し始め、ついに私は押し出されるようにその暗闇から産み落とされたのです。
その時、私は寂しかった。
あの暖かく、誰からも傷つけられない、そんな素晴らしい世界から見捨てられたのだと。それが悲しくて、悲しくて、寂しかった。だから私は性懲りもなく泣いてしまったのです。その時、初めて自分が声を出せることを知りました。
自分の口から発せられた産声と、泣き叫ぶ女性の声を聞いたとき、私はやっと自分が誰かの”子宮”に居たことに気が付きました。泣いている私を女性が必死に抱きかかえました。彼女から感じた温もりは、あの時の暗闇に包まれた世界と似ていました。彼女の腕の中にいると、私は安心感から直ぐに眠ってしまうのです。
あれから8年、ぼやけていた世界は光に包まれていました。
窓を眺めると、美しい木々が並ぶ庭園が見えます。その先には通りの向こうに建てられた家々の壁があります。この地域ではごく一般的な赤煉瓦の家です。家令のアベルから聞いた話では、この赤煉瓦は俺たちが暮らすレールから北東のハンブルク市で生産されたものらしいです。この村も含む帝国北部では、赤煉瓦を使った建築様式が30年前から流行り出したと。同じころに建てられたこのレールも、他の人間たちが暮らす街と同じで、赤煉瓦を使った建造物が多く建てられています。
「アムシェル、窓の方ばかり見てどうした」
父が私の名前を呼びます。
「ごめんなさい…ずっと勉強続きでしたから」
6歳になったころから私は母から離され、毎日館の中で勉強続きの日々になりました。勉強は学生のころから好きでしたが、なにしろ全く見慣れない文字なので最初は覚えるのにとても苦労しました。
それでも数学や物理学的な知識などは地球とさほど変わりません。唯一違うとすれば、そこに”魔法”という法則が存在することだけです。しっかしこれがまた厄介なシロモノで、通常の物理法則や数学知識が通用しない部分が多くあります。それでもこの魔法を、数式や物理学の観点から理解を深めようとする人たちもいるようです。特に私の住んでるレールには学者や技術者が多く住んでいる関係で、その手の話を関係者の人たちから聞くことはあります。
まぁだからといっても、8歳の子供にである私が受けている学問レベルはたかが知れていますが。一応、march合格兼、勇退の私に言わせてもらうと、小卒でも出来る問題ばかりです。ああ、小卒って言っても幼稚舎のほうですけどね。普通の小学校のレベルだとちょっと難しいかな?
文明レベルで言ったら150年前ぐらいですが、逆に言うとそれぐらいしか離れてなません。なんならこのレールは学者や技術者が多く住んでいる関係上、一部の専門分野では既に前世の現代社会のレベルに迫る分野すらある。あくまでもまだ理論上や実証実験の段階ではありますが。
だからは私は一人で動けるようになってからというもの、この世界について知るために、父の元に訪れる人々から話を聞いていました。その情報からおおよそですが、私が生まれた地域というか、大陸の文明レベルは前世でいうところの、19世紀前半から半ば頃の、西欧文明に該当するということは分かっています。見せてもらった大陸の地図も、多少異なる部分はあれど、大部分はヨーロッパ大陸と変わりませんでした。
この大陸に住む人々は、自分たちが住んでいる大陸のことをエレニア大陸と呼んでいるらしいです。これは民族や人種問わず変わりません。なにしろ太古の昔に存在し、その後に海へ沈んだとされている帝国の名前から由来するらしいですが、詳しくは知りません。現地の人々も、聖書に記述された伝承をもとにそう呼んでいるだけでのようです。
たしかヨーロッパという名前もローマ帝国かどっかの神話が起源だったはず。まぁそこらへんはどうでもいいのですが…。大切なのは今父から学んでいる歴史についてですね。父はどうやら俺に帝王学を学ばせたいようです。金持ちの家とはいえ、8歳児の私に帝王学とは…父なりになにか考えがあるのかもしれません。それで俺や父が属しているエルフィニア人という民族や、エレニア大陸の歴史について学んでいるわけですか、なんとなく私には違和感と言うか、見覚えがある話が多く感じました。
「昨日は古代エルフィニア王国が二分し、北エルフィニア王国と南シェラン王国に分かれた話はしたな。今日はその続きからだ。第二章、三節目を開きなさい」
「はい」
父に言われて、私はタルムルクと呼ばれてい本を開きました。エルフィニア人がかつて暮らしていた王国が滅んだことにより、エルフィニア人は南方のエレニア大陸へ離散する羽目になったのですが、その時に自分たちの民族としての伝統や歴史を忘れないため、エルフィニア人の各部族の法典や伝承をまとめた書がタルムルクとなっています。
内容はとても難しいものが多いですが、これがまた面白い話が多いのです。
タルムルクは太古に滅んだ王国の法典や伝承、規律をまとめたモノとされていますが、それだけじゃありません。それを元にして、先人たちの経験談に沿って編まれた物語が記されてあるのです。タルムルクがエルフィニア語で”知恵の書”と呼ばれているくらいには、エルフィニア人の教えはとても現実的であると同時に、実用性や汎用性があります。
私は父に言われた通り歴史書のページを開きました。
「――紀元前200年前、残虐王レハニダムの死後、北エルフィニア王国は魔王軍に侵略された。南部のシェラン王国も抵抗したが翌年には併合され、この時から我らエルフィニア人の”苦難の二千年間”が始まったのだ。しかしエルフィニア人とてただ魔族の支配を受け入れたわけではない。まず第一に起きたのがシュランの反乱だ…しかしこれはすぐに鎮圧された。その後に第二次シュランの反乱がおきたが、この反乱は内通者による裏切りで失敗に終わった。そしてその後に魔王軍によって引き起こされたのが”ロスキンの虐殺”だった。この時に30万もいたエルフィニア人の同胞のうち、半数以上が殺され、残りの半数の同胞たちも魔王軍によって祖国を追われた。そして最終的に、この人族共が暮らす、暗黒のエレニア大陸へ離散するに至たる…」
その後も父の話は続いていきます。祖国を追われたエルフィニア人の苦しい生活。しかしエルフィニア人に安寧は訪れなかった。先祖が逃げた南方のエレニア大陸にも、魔王の脅威が迫り始めた。紀元53年、人間国家の中でも有数の軍事力を誇った”東ロマニア帝国”が”パンノニアの戦い”で敗北すると、人類の勢力圏はライン川とアルプス山脈以西にまで後退してしまう。
しかしここで現れたのが勇者だった。勇者は元々別の世界に居た人間であったことが分かっている。紀元60年、彼は突然と西ロマニアの帝都、オルレアンの宮殿に姿を現したと言われている。
勇者は神から人類を救えという使命を授かったと言い、時の皇帝の目の前で死者を蘇生する奇跡を起こしたと伝えられている。その軌跡を見た西ロマニアの皇帝は勇者の言葉を信じ、西ロマニアに伝えられている王家の剣を与え、聖女と共に魔王軍の討伐を命じたようだ。
勇者は聖女を連れて、仲間を結成する旅に出た。
ゆくゆく先々で暴れまわる魔族や魔物たちを討伐しながら、levelを上げ、有望な戦士や魔法使いを仲間にしていく。そしてついに、7人の勇者パーティーは魔王軍の部隊との戦闘にいたり、これを撃破した。魔王軍の軍勢は五百ほどと、決して大規模な軍勢でも戦闘でもなかったが、東ロマニア滅亡から魔王軍に連敗続きだった人類にとって、この勝利は、暗闇の中で光る小さな光に写ったことは確かだった。そしてその奇跡をたった7人だけの勇者のパーティーが成しえたのだ。
勇者一行の勝利の後、西ロマニアの皇帝は勇者を帝都まで呼び戻すと、勝利の凱旋を祝いながら市民へこう叫んだと言う。
”我々には神の使徒がついておられる!たった一人の勇者と、六人の僕たちにより、五百の兵を討ち取るに至った。もしこれに十万の神の教えに忠実で、勇敢な僕が付き従えば、我々は百万の魔王軍にも勝利を収められるであろう。神はそれを望んでおられるのだ!なぜなら神は、オルレアンの地に勇者を遣わしたもうたのだから”
帝の勅令と勇者を旗印に、オルレアンには人類各国から多くの英雄級の実力者や、兵力が集い始めた。そして同年の10月ごろ、人類の連合国は”生存圏の奪還”を掲げ、西ロマニア皇帝を総大将にして、20万人の魔王討伐軍を結成した。
人類国家が勇者を筆頭に、連合軍を結成する動きを見せると、当初ライン川以西への侵攻を控えていた魔王も、自ら30万の魔族と魔物たちの軍勢を率いながらパンノニアを出発した。同年の2月、雪が微かに降りしきる平原にて、両軍は対峙した。”アウクスブルクの戦い”である。
冬の最中、両軍ともに20万を超える軍勢を4カ月以上も行軍させて来ていた。すでに軍も疲労が蓄積しており、食糧も底をつきかけていた。数時間の休憩後、両軍は互いに動き始める。
しかし両軍共に、最初から決戦前の儀式や小細工、駆け引きなどをする気はさらさらなかった。相手は異教徒であり、言葉の通じない蛮族である。端から自分たちの戦術や常識で戦うつもりなどはなかった。つまるところ、単純な力のぶつかり合いだ。
彼らは偵察兵から先遣隊、主力が互いにに接敵する度に戦いを始めていく。当初、人類側の先遣隊2万の軍勢が前哨戦に敗れ、戦線が後退するも、総司令官の西ロマニア帝はここで勇者パーティーを戦線に投入させた。勇者の活躍もあって、すぐに後退した戦線は押し戻せたものの、魔王はこれに応えるように三万の巨人兵を戦線に投入する。人間の三倍以上の背丈をもつ巨人の軍勢に、連合軍の先遣隊は木っ端みじんとなった。
先遣隊が文字通り”叩きつぶされて消滅”したとき、連合軍の主力十五万と、三万の巨人兵の間には微かな空間が出来ていた。そこに居たのは勇者たちであった。彼らは勇者と聖女を中心に輪を組み、迫りくる巨人兵を討伐して屍の山を築いていく。そしてその屍の山を壁にして、彼らは敵軍に包囲された中でも戦い続けていた。
結果的に自軍の内側に勇者が入り込む形となったのを見て、魔王は連合軍の本軍と、勇者によって精鋭の巨人兵が挟み撃ちになることを恐れ、巨人兵の侵攻を止めざるを終えなかった。次第に魔王軍の前線が後退し始めたのを察した帝は、ここで三万の騎馬兵を先方に、巨人兵に向かって全軍突撃の命を下す。
この騎馬兵は各国の連合であったが、主力を成したのは西ロマニアの近衛弓騎兵であった。この時代、騎馬兵となれば長槍を携えた重装騎兵か、短弓とサーベルを使う系撃騎兵のどちらかしかいなかった。しかし、西ロマニアの皇帝は、魔王軍の種戦力ともいえる巨人兵の対抗策として、新たな兵種を編み出していた。
それが”軽装長弓騎兵”である。従来の全身鎧に身を包んだ重装騎兵は頑丈で重く、正面突撃に強かったが、鎧の重さで動きが遅くなり、持久力が下がるだけでなく、その全身鎧も巨人兵が振り回す棍棒の前には意味をなさなかった。しかし軽装騎兵の短弓では巨人兵に有効打を与えることも難しい。
そのため西ロマニア帝は最低限の兜と胸鎧だけを身に着けさせ、重量と機動性を確保した分、短弓ではなく長弓を装備させた。これを長距離、近距離から交互に射ち続け、最後はサーベルによる突撃攻撃で巨人兵の戦線を破壊する、というのが皇帝の作戦である。
最初に答えだけを言うのなら、この騎馬突撃は成功した。
先頭を走る5000の近衛弓騎兵が持つ長弓から矢の雨が降り注ぐ。威力の低く、矢じりに小さい短弓の弓ならともかく、重く、素早い長弓の矢が巨人兵の身体を貫いていく。近衛弓騎兵がそのまま弓を放ちながら敵前線に接近していくと、矢を放つごとに前線の巨人兵たちの陣形が徐々に崩れていく。
敵の魔法使いたちにより、巨人兵の頭上手前には”守護壁”が生み出される。しかし3万の巨人兵の長い戦列の全てをカバーはできない。近衛弓騎兵は至近距離まで近づいた巨人兵の前で最後を一撃を放つと、両翼に分かれてUターンをしながら距離を取り始めた。
それを追うように前線の巨人兵たちは棍棒を振り回しながら、守護壁を無視して前に出てしまった。するとそんな巨人兵たちの前には無数の弓矢と、サーベルを振りかざす2万5000の騎馬兵が襲い掛かった。
巨人兵の足音で仲間の声すら聞こえない勇者たちの耳に、まるで大地を揺らすほどの轟音が鳴り始めた。しかしそれが本当に大地が揺れていて、それが巨人兵ではなく、味方の騎馬隊の突撃だと勇者が気づいたころには、騎馬隊の先遣隊が勇者を囲む巨人兵の足元にまで入り込んでいた。
二万の騎馬兵は巨人たちの足元を縫うように、サーベルを振り回しながら、勇者が巨人の死体によって築いた”英雄の丘”めがけて馬を走らせていく。この勢いに押された巨人兵の戦線は後退していき、ついに勇者は包囲網から脱出する事ができた。
しかしこの時、連合軍は首脳陣はミスを犯す。
皇帝が全軍の突撃の命を出しても、騎馬兵以外の部隊の足取りは遅かった。まず12万の歩兵を迅速に動かすことは、各国ともに当時の技術と練度からして不可能に等しかった。なりよりも、この時連合軍の指揮官の多くが各国の貴族であったことから、貴族へ報酬として渡す土地の確保のために、各国の首脳たちが早々に勝利後の領土分配についてもめるはめになっていた。この事から本軍の足並みが崩れていた。
この動きを見ていた魔王は、すぐに自ら前線へ乗り出すと、後退していた巨人兵をまとめ上げ、素早く防衛ラインを構築していく。
しかしこの時、この魔王の動きと味方本陣の状況に気づいていなかった勇者たちと騎馬兵は、敵戦線に穴をあけるために、守りを固める巨人兵に向かって突撃を開始してしまっていた。
巨人兵は勇者たちの突撃に耐えきれず、仲間の太鼓の音に合わせながらゆっくりと後退していく。その巨人兵の後退を目にしていた後方の魔王軍主力も、徐々に撤退の動きを始めていく。
この勇者たちの突撃と、それが成功し始めたことに気づいた各国の首脳たちは、ここにきてやっと領土分配の話しを後回しにし、急いで軍を巨人兵にむかって進軍させていく。しかし魔王はこの時を待っていたのだ。
人類の連合軍が足並みを揃えられず、ゆっくりと進んでいくと、突如として巨人兵の防衛ラインの後ろにから、魔王軍の主力が姿を現し、襲い掛かってきた。
魔王は連合軍を勇者ごと完全包囲して殲滅するために、わざと撤退する動きを見せていたのだ。そして体の大きい巨人兵の後ろに主力軍を隠すと、包囲の為の陣形を築いていたのである。そして準備が完了したのち、魔王軍は一斉に姿を現した。
既に撤退を始めていたと思っていた魔王軍の主力が巨人兵の後ろから現れ、自軍の両翼を包囲するように展開し始めると、連合軍の首脳たちは混乱と恐怖に襲われ始める。しかし12万の軍勢を一度行軍させてしまうと、それを停止させ、後退させるには最低での数時間はかかってしまう。これのせいで各国がバラバラになって前進と後退の指示を出した結果、連合軍は大混乱となってしまった。
その隙を魔王が逃す訳はない。結果的に連合軍は主力12万のうち、後方にいたことで包囲を逃れられた皇帝直属の数万の兵を除き、10万人以上の兵力が魔王軍によって包囲させてしまう結果となった。
これにより全方面が前線となり、魔王軍からの十字攻撃を食らいはじめた連合軍は、次第にすり潰されていく。オークの軍勢が斧を振り回しながら襲い掛かり、ゴブリンたちが足元に入り込んで、見方を敵の方へ引きずり込んでいく。空からはドラゴンの息吹が王家の旗ごと連隊を燃やし尽くした。
これを見た勇者は自らの死期を悟ったのか、勇者パーティーたちと自らに付き従ってくれていた騎馬兵たち千騎を共に、決死隊を結成した。当然目標は、あの巨人兵の壁の向こう側に居る魔王、ただ一人だ。
前線の巨人兵の足首を切り倒し、勇者たちはただ一つ、魔王の首を狙って進軍していく。しかし途中で付き従った騎馬兵の多くは巨人兵によって踏みつぶされ、共に冒険した仲間たちも次々に命を落としていった。
いくつもの死線を潜り抜け、勇者は戦いの最中でも強くなっていった。高位魔族の魔法を跳ねのけ、首を切り捨て、勇者は目の前に立ちはだかる無数の敵を押しのけていく。そして遂に彼の刃が魔王の首にまで届いたころには、勇者の周りに居たのは聖女と、最初の冒険で仲間にした戦士と魔法使いだけであった。
勇者がついに魔王の心臓を突き刺し、首を刎ねたその時、仲間の、聖女の悲鳴が聞こえた。勇者が彼女の方を振り向くと、そこには魔王の副官であったエルフィニア人の男が、聖女の首に刃を押し当てていた。
魔王の首を握りしめながら動きが止まってしまった勇者にたいし、エルフィニア人の副官はこう叫ぶ。
”勇者よ!聖女の命が惜しければ魔王陛下の首とお前の命を我らに差し出せ!そうすれば聖女の命を奪いはしない。お前たちの仲間を包囲する軍もすぐに引き上げ、この無用な戦争を終わらせよう”
この要求を勇者は何の迷いもなく飲んだと言われている。勇者と聖女が恋仲であったと言うような記録は、当時の人々の証言や日誌などからは窺い知れず、彼が簡単に自らの命を犠牲にした理由は未だに分かっていない。
しかし勇者が自らの命を代わりに差し出したことで聖女は助けられ、魔王軍による連合国軍の包囲網が解かれたことは事実だ。彼の死によって七万人以上の兵士の命が助かる事になり、魔王軍はパンノニアの遥か東、ドナウ川東岸にまで後退したことで、連合軍は占領地を拡大していく。
その後は我々がよく知る人類史の始まりだ。各国の結束はゆるまり、また互いに足を引っ張り合いながら領土をめぐって争い始める。しかしこれ以降も続いて行く魔族との戦争の時だけは互いに戦争をやめ、同盟を結成しながら対抗していった。
そして、その度に虐殺の標的になったのがエルフィニア人だった。理由は簡単だ。勇者を張りつけにし、その心臓を貫いたのが、魔王の副官として働いていたエルフィニア人だったからだ。この事実こそが、人間たちがエルフィニア人を人類の裏切者として差別し、迫害する理由である。
「少し…話が長くなったな…」
声に熱が籠っていた父は、我に返ったように私の顔をじっと見つめてきました。窓の方を眺めると、昼頃だった空は夕焼けに変わっています。もう少し経てば日が沈むでしょう。
「この歳になると、エルフィニア人でも年月が過ぎるのを早く感じてしまう」
父は今年で250歳になります。エルフィニア人の平均寿命は人族よりも長く、大よそ300歳と言われています。そのため父の年齢を人間の寿命に変換すると、40後半から50代前半でしょうか。長生きしても殆どの人が60代で死ぬ時代では、もうかなりの年配になります。そう考えると私が出来たのも随分と歳をとった後だと分かります。エルフィニア人は人間と比べて性欲が少ないだけじゃなく、女性の月経周期は5年に一度になるのです。だから種を仕込むのも大変dす。高齢出産や晩婚化が進んでいるのは我が家だけではありません。
「もう少しで夕飯の時間だ…」
「ええ、そうですね父上」
我が家は金持ちです。なんといっても父はこの地の領主なのだから。エルフィニア人はこの国で自由に土地すら持てないというのに、父はどういうわけか貴族の爵位と領土すら持っていました。まぁ豊かな生活が出来ているのなら、別に理由はどうでもいいんのですが。
しかしこんなにもお金持ちだというのに、家族の食事は母が毎日作っています。なのに使用人の食事は別でコックが作っているのです。これのせいで我が家が毎日食べている食事は使用人たちよりも質素でした。専門の料理人たちが作っている使用人のご飯の方が豪華なのはなんとも理解できません。
なにより金持ちの我が家で、母がわざわざ料理を作るのは分かりませんが。
しかし、これはエルフィニア人が大切にするタルムルクに書かれている教えに関係しています。”家族の時間を大切にせよ”、”妻は家族によく尽くせ”という教えがあるのです。妻が夫や子のために料理を振る舞わなければ、家族のつながりが薄れてしまうという訳です。エルフィニア人の教えは家族や血族のつながりを重要視しているように感じました。長年にわたり、迫害や弾圧を受けて来たからだからでしょうか。
私が夕焼けを見ながら黄昏ていると父が声をかけて来ました。
「夕飯出来る前に少し外の風を浴びよう」
「いいのですか?」
目を輝かせながら問う私に、父は静かに頷きます。
「お前に、見せておきたいものがある」
「え…」
なにか少しだけ嫌な予感がして、席を立とうとした自分の腰が止まりました。立ち上がっていた父は私の方をじっと見つめているだけです。
「先にあの木の近くで待ってなさい」
俺は父に言われた通り、庭園に生える木の根元で、夕焼けを眺めながら父を待つことにしました。父が見せたいものとはなんでしょうか。正直、私はこの一家のことについて殆ど知りません。分かるのは昔に事業で成功して富を築き、貴族になったということだけ。周りの召使に聞いてみても、あいまいな返答しか返ってきません。まぁ8歳の子供に難しい話は分からないと思っているだけかもしれませんが。
私が呆然と地平線の先へ落ちていく太陽を眺めていると、後ろから足音が聞こえて来ました。振り返ると、父がなにか小さな壺のようなものを持って、私の方へ歩いて来るのが見えました。
父は木の根元に腰かけました。私も父の隣に座ります。
「父上、その壺はなんですか?」
「私の母と、最初の妻の遺骨だ」
父から帰ってきた答えに私は何かを言おうとして、喉の奥が詰まりました。聞き間違えなのか、もしそうでないのなら、これが私に見せたいと言っていた物だったのか。ならなぜそれを見せようと思ったのか。頭の中が混乱と不安でいっぱいになります。
「父上のお母さまと、最初の妻…ですか?」
父から聞こえた最初の妻という言葉、なによりもそれが気になります。今の妻、つまり私の母と結婚する前に、父は別の女性と結婚していて…死別していたということなのでしょうか…そんな話は知らなかった。父からも、母からも、使用人の誰一人からも、そんな話は聞いたことがありません。なによりエルフィニア人は土葬文化です。なんで母と前妻の遺骨を壺に仕舞って、屋敷保管しているのでしょう。
「お前がアベルから色々と我が家のことで探っているのは聞いている」
げっ、あの野郎チクりやがった。
父が今言ったアベル・レイバンってのは、この屋敷で家令を任せられている老人のことです。父よりも年配だから、俺が産まれたアシュケナム家の歴史にも詳しいかなと思って、ちょっと前に話を聞いていたんです。
もっとも肝心な事になるとすぐはぐらかすので、最近は話しかけることもしなくなりましたがね。もともと私が勉強をさぼったりするとすぐに父に報告するから嫌いというか、少し苦手だったんです。しかし、まさかこんなことまで父に報告するとは…ウゼェジジイですね。
「私に前妻が居たこと知ってるのはお前とアベルだけだ。シャロンも他の使用人やこの地の住民たちも、私が以前の妻と死別したことは誰も知らない」
父は夕焼けを眺めながら、寂しそうに遺骨の入った壺を抱えました。
「……今から50年前のことだ。オルレアン王国で革命が起きたのは…あの時…私は…この世の真実を知ったのさ」
BOND SHORT 華麗なる一族の勃興 Green Power @katouzyunsan
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