伊吹との猛練習

 葬儀で交わされた「ここだけの話」通り、新堂零がフアン・カルロス・ロブレスと空位のスーパーフェザー級王座を争う話が浮上した。


 交渉している段階で関係者が意図的に漏らしたのか、それとも誰かが新堂の口止めを無視して喋ったかという話になるが、実際のところはよく分かっていない。


 あくまでニュースに載っていた話だが、伊吹が死亡したことによりロブレスはひどく心を痛めており、アメリカ国内でも体重超過を犯した上に選手を死へと追いやったロブレスへの声は手厳しいものが多い。


 ビジネスだけでなく民意やシステム、その他の様々な要素が絡んで新堂対ロブレス戦が本決まりになった。地球の7割ほどが新堂を応援した。というよりもロブレスを嫌っていた。


 思わぬ追い風を受けた新堂は、密かに伊吹とやり取りをしながら、本格的なロブレス対策の練習を立てつつ世界戦までの猛特訓をこなした。


 伊吹は呼べば来るが、接続を切ると電話のように無音となる。そのためそう気になる存在ではない。


 言わば自分の脳内にセコンドが常駐しており、呼べばアドバイスをくれる存在として待機しているという形になる。


 新堂は伊吹の声に耳を傾けつつ、練習してはロブレスの映像を繰り返し見た。シンプルではあるが、このやり方が一番ロブレス戦に向けて確実な練習方法に思えた。


 ロブレスも世界的に有名なボクサーなのだ。頭がおかしいレベルの練習をたっぷり積んでいるに違いない。


 新堂は死ぬ気でサンドバッグを叩き続け、ミット打ちを何ラウンドもこなし、スパーリングでは大きな相手と素早い相手をパートナーに選んだ。スピードとパワーのどちらにも対応出来なければ勝てない。


 あまりにも過酷な練習が終わり、新堂は床に大の字になる。しばらくそのままの体勢で息を切らせながら休んでいた。


「ヘイ伊吹」


『俺はSiriじゃない』


「知ってる」


 新堂は寝たまま笑っている。


「俺はロブレスに勝てると思うか?」


『うん、勝てるんじゃないか。多分だけど』


 伊吹がそう答えると、新堂は「ふふ」と笑った。


「お前の目から見ても、俺は勝てるようになったか」


『ああ、葬式の時と比べると別人だよ』


「そうか、良かった」


 新堂は遠くを見る。


 ついこの間に伊吹が試合をしたばかりだったのに、今は自分がその伊吹の遺志を継いで世界戦へ臨もうとしている。というかその故人がすぐ傍にいる。


 まさかこんなに不思議な感覚で世界タイトルマッチを闘うことになるとは思いもしなかった。


「あとはやるだけだな。伊吹よ、俺は絶対勝つからな」


『ああ、もちろんだ』


 その時、伊吹の声がいくらか弱くなったような気がした。


「どうした?」


『いや、何でもない。俺が届かなかった世界をお前が獲るのは感慨深いなって思っただけさ』


「そうか」


 新堂は深く考えないことにした。


 決戦の日は近い。

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