伊吹の声

 あまりにも荒唐無稽な状況に新堂は混乱していた。


「は? どういうこと? 伊吹、お前、さっき燃えたじゃん」


『その辺は実のところ俺もよく分かっていなくてだな。なんか伊吹コールがあったのは憶えているんだけど、そこから先は何が何だか』


「じゃあお前は今どういう風に存在しているの?」


『説明が難しい』


 見えない伊吹が考え込んだのか、いくらか間が空く。


『まあ、強いて言うならだけど、俺はどこにも存在していなくて、何も無い世界から新堂の意識と直接やり取りしている感じ。燃えたんだろ、俺? だから耳とかの感覚は無いし、口を動かして音声を出している感覚も無い。思ったことがそのまま伝わっている感じ』


 新堂は試しに口を閉ざし「聞こえるか?」と心で訊いてみた。


『ああ、聞こえる。こっちでやり取りした方がいいだろうな。火葬場で相手がいないのに一人で話していたら完全にヤバい奴だろうし』


 伊吹に言われて、新堂は噴き出した。提案通りにテレパシーで通話することにした。


「それで、もしかしたらアレか? 俺らが伊吹コールをやったものだから戻って来ちゃった?」


『そうかもしれないな。知らんけど』


「こんな時だけ関西人になるな。で、一つ思い出したんだけどよ」


『おう、なんだ』


「例の、勝ってプロポーズするはずだった計画ってあるじゃないか」


 彩音には伏せられていたサプライズ企画。伊吹が勝てば、新堂が驚いたフリをしつつ彩音をリングまでエスコートする予定だった。


『あったな。ものの見事に失敗したけどな』


 伊吹が自虐的に言う。


「あれ、結局傷が深まるだけだと思っているせいで誰にも言ってないんだわ」


『そうか、そりゃありがとう。死んだ後に黒歴史を増やすところだったからな。俺が墓場まで持って行って終わりだよ』


「お前、今の段階だと墓じゃなくて骨壺の中だけどな」


『やかましいわ』


「悪い。心の中だけで言ったつもりのことも伝わってしまうんだな。これは面倒くさいな」


『そうだな。くれぐれもエロいことは考えるなよ』


「やめろ。まあそれはいいんだ。俺がロブレスと闘うって話は聞いたか?」


『え? そうなの?』


 伊吹は存外に驚いていた。幽霊でも万能というわけではないらしい。新堂は簡単に次の試合でロブレスと世界戦になる見込みが強い経緯を説明した。


『そうか、新堂もあのバケモノとやるのか』


「正直なところ、勝てると思うか?」


『思わないな』


「本当に正直だな、お前」


『俺もお前と同じで、考えたことがそのまんま伝わってしまうんだよ』


「そうか。お互い大変だな」


『そうだな』


 しばらくやり取りが停止した。


「伊吹、お前ってずっと俺に繋がってる状態なの?」


『いや、そうでもないみたいだ。さっき新堂「伊吹よ」って呼ばれたから、その時に繋がったんだと思う』


「じゃあ『ヘイ伊吹』って呼んだら出てくるのか」


『俺はSiriじゃないぞ』


「そう怒るな、ただの喩えだ。それで伊吹は闘っていてロブレスの弱点とか癖って分かったか?」


『ああ、まあ、あるはあるな。知っているからって勝てるってほどのものではないけど』


「せっかくこうやって繋がれるんだからさ、伊吹のアドバイスを受けながら練習するのもいいんじゃないかなって」


『ああ、その発想は無かったな』


 新堂の発想としては、なぜか意思の疎通が取れている伊吹の助言に従いながら、よりロブレス対策に有効な練習方法で試合へと臨むというものがあった。


 伊吹ほどロブレスの脅威について詳しい者はいない。彼の力を借りれば、難攻不落のバケモノでもなんとか出来そうな気がした。


『いいよ。ただ、俺はサウスポーじゃなかったからなあ』


 新堂はサウウスポーなので、ロブレスとはサウスポー対決になる。自身がサウスポーでもサウスポー対決になると何も出来なくなる選手は確かに存在する。


「問題ない。もちろん大部分は俺が自分で考えて練習するわけで、伊吹は俺とのやり取りで改善点さえ教えてくれればいい」


『分かった。やってみるよ』


 ここに来て、高校以来の協力関係が復活した。


『あーあと新堂』


「なんだ?」


『一個お願いがある』


「お願い?」


『ああ。多分俺が死んで、彩音はすごく悲しんでいると思う』


「ああ、泣いていたよ」


『そうか。まあそうだろうな。先に死んでおいて申し訳ないが、彼女にだって幸せになる権利はある』


「うん」


『だから新堂、ロブレスに勝ったら彩音を嫁にもらってくれないか?』


「は?」


 新堂の目が点になる。


「嫁?」


『そう、嫁』


「いやいや待て。無茶言うな」


『知っていると思うけど、いい女だぞ。俺みたいに練習ばっかりやってろくに相手にもしない男でも文句ひとつ言わずに見守っていてくれて』


 伊吹の無念、それは世界チャンピオンになれなかったことだけではなく、結婚を考えていた彩音を独り残して死んでしまったことだった。


「それで後ろ髪を引かれてここまで来たのか?」


『ああ、もう髪は残っていないけどな』


「ややこしいな」


 しばらく沈黙が流れる。気まずくなって、新堂の方から思考を送る。


「それでお前はいいのかよ。その、自分が嫁にしようとしていた女が俺のものになんかなって」


『もう俺は彼女に何も出来ないからな。悲しみに暮れて一生を過ごす彼女を見るぐらいなら、誰かとともに幸せな道を歩んでいる方を見たいっていうのが人情ってもんだろう』


「人情、ねえ……」


 伊吹の言うことにも一理はあった。今回の件で彩音の心には大きな穴が空いたに違いない。涙が枯れたとはいえ、傷が無くなるわけではない。


 この世を去った(?)伊吹が彩音を心配するのも無理なからぬ話だった。


「まあ、即答は出来ないけどさ、あいつにいい相手が出てきたら助けるぐらいのことはするかな。それ以外はすまんな、何も約束出来ない。感覚で言えば兄妹に近いイメージだったからな」


『それでいい。じゃあ力を合わせて俺の弔い合戦へ全力を尽くしていくぞ!』


「それ、自分でいうものなのか?」


 新堂は思わずツッコむ。片方が死んでいると色々とややこしい。


 こうして新堂はロブレスとの世界戦に向けて、自分しか知らない秘密兵器のパートナーを得ることとなった。

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