記憶のフィルム
――都内某病院。
手術時に使う待機室で、新堂と彩音は泣いていた。
搬送先の病院へと駆け付けた新堂は、事情を話して伊吹のもとへと向かった。話を聞くと伊吹はかなり危険な状態のようだった。
急性硬膜下血腫の疑いから開頭手術が必要となり、予断を許さない状況だという。
硬膜下血腫を簡単に説明すれば、強い打撃を頭部に受けることにより発生する脳内での出血である。
ボクサーにとって開頭手術をするということは引退を意味する。健康上の理由で規定でそう定められているからだ。
伊吹は手術が成功したとしてもボクサーに戻ることは出来ない。二人ともそれを知っていた。残酷な知らせだった。
手術が進む間、二人は何を話すこともなく、ただそこでじっとしていた。まるで自分の苦しみを話してそれから解放されることを罪とでも感じているかのように。
時間は刻々と流れる。もはや長いのか短いのかも分からない。泣き過ぎて何が悲しいのかも分からなくなってきた。それでも涙は出た。
それからさらに時が経ち、二人の脳裏には同時に伊吹の記憶を全て集めたフィルムが流れる映像が映った。
その直後に、何かが遠くへ離れた気がした。
新堂も彩音も、その瞬間をよく憶えている。
壁にかかった時計の秒針がやけによく聞こえた。
名前を呼ばれる。医師と思しき男性。その沈痛な面持ちを見ただけで、何が起こったのかは分かった。
新堂は無言で彩音を抱きしめた。これから残酷な知らせを聞くことになる。
鳴り響く秒針。かすかに明滅する光。何もかもが不吉なメタファーにしか感じられない。
「出来る限りのことはしましたが」
そこまで聞いて、何が起こったのかを全て悟った。
あいつが、この世界を去って行った。
目を背けたくなるほど壮絶な試合。それでも、彼は最後まで勝負を投げなかった。
神の下したテクニカル・ノックアウト。
――伊吹はそのまま目を覚ますことなく、永遠の眠りに就いた。
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