カオスな記者会見
――試合前会見。都内某所で会見は行われた。
長机が複数セットされ、選手やジム関係者が着席してメディアはそれに正対する形で質疑を行う。
伊吹とロブレスはすでに着席していた。ロブレスは5分ほど遅刻していたが、いつもに比べたらマシな方と思ったのか全く触れられなかった。
ボクシング界では良くも悪くも世界的に有名な王者とだけあってか、ロブレスの注目度は大会で一番だった。クルーカットに長い顎髭を生やした王者は、遠目に見ても筋肉量が異常だった。褐色の肌で黒光りしているため、余計に迫力のある見た目になっている。
トリプルメイン戦にも関わらず、伊吹とロブレスの会見が最後になった。理由はロブレスが何をするか分からないからだ。不祥事を連発しているものの無敗のロブレスはプライドが高く、自分の不始末で起きた損害は金で解決しようとする。そういう男だった。
試合中の意気込みを訊かれた際に伊吹が話していても、長机の下から足を延ばしてかったるそうにスマホをいじっている。
――ナメてやがる。
会見にいる誰もがそう思った。
半ば予想通りではあるが、ロブレスは日本に来ても無礼だった。
「それでは、ロブレスも試合についての意気込みを聞かせて下さい」
通訳にロブレスが耳打ちすると、一瞬表情が凍り付く。それでも腹を括ったのか、ロブレスのコメントを日本語に翻訳して答えた。
「意気込みなんてありません。極東の地で大して強くもない日本人を粉砕して帰る。話はそれだけです」
会場は静かなままだったが、室温は明らかに上がった。というのも、ロブレスが放った一言にはFから始まる単語に、ジャップという日本人を差別する単語が混ざっていたからだ。
「ファッキンジャップぐらい分かるよバカ野郎」
すかさず伊吹がたけし映画の名セリフをそのまま言った。
ふいにロブレスはマイクを叩きつけると、長机を倒して伊吹の方へと歩いて行った。酷い逆ギレ――だが、その振る舞いもこの男だからこそ許される。
セキュリティが一気になだれ込む。二人の間に人垣となって事故を防いでいる。
なぜか仲良くエキサイトしているロブレス陣営の人間達も止めるべく、多数のセキュリティが割って入った。
伊吹は人垣を前にファイティングポーズを取っている。場に呑まれるどころか、ここでやりたければやってやるとでも言いそうな雰囲気を醸し出していた。
セキュリティに押し返されながらロブレスが叫ぶ。チャンピオンは俺だ。俺をリスペクトしろ――Fワードだらけの汚い言葉を要約すると、ロブレスはこれしか言っていなかった。
結局会見は途中で打ち切られた。開始後10分も無い、圧倒的に短い記者会見だった。当然のこと、フェイスオフはやらなかった。リングの外で怪我が発生したら興行そのものが大ダメージを受ける。
◆
この会見が流れた後、ロブレスの振る舞いがネットで大炎上となった。恐らく日本全国を敵に回したと言っても過言ではない。
ロブレスが英語で発言した箇所はテレビでは消された状態で放送されたものの、実際にロブレスが何を言ったのかについて忖度のない完全版の字幕が付くと、ロブレスの嫌われぶりには拍車がかかった。
特に日頃からボクシングを観ない人々はロブレスがどんな選手か知らないので、リスペクトの欠片も無く粗暴者でしかない立ち居振る舞いをした王者には予想以上の敵意が向けられていった。
世界中でロブレスの行為は炎上しており、スペイン語やロシア語などで辛辣なコメントが書き加えられたが、当のロブレスは我関せずだった。
――会見から帰る自家用車内。
「分かってるとは思うが、キレるなよ」
ハンドルを握るトレーナーが言う。あの時セキュリティの人垣が無ければ、伊吹ですらロブレスに殴りかかっていた可能性がある。
伊吹は静かに遠い空を睨んでいた。その眼には行き場を失った怒りの炎が揺らめいている。
「もちろん、くだらないことで世界戦をフイにしたくないですからね」
「あとちょっとの辛抱だ。計量まで我慢すれば、後はあの野郎をリングで滅多打ちに出来る」
「そのつもりです。判定狙いで行けば、かえってやられるでしょうから」
トレーナーとの話し合いで、ロブレス対策で想定される試合展開をいくつか考えてある。あとはそのプランに沿って、いかに感情的にならず作戦を実行するかが勝利への鍵になる。
「ボクシングっていうのは人格と強さが別枠でな。誰でも彼でも井上尚弥みたいな精神的にも立派なボクサーだってわけじゃない。むしろ私生活を見たら結構なクズがいたりするんだ。海外なんかは特にな」
「ええ」
「だがな、それを差っ引いてもあの野郎が無敗王者で君臨しているっていうのは納得がいかねえ。あいつをリングに這いつくばらせて、負けがどんなものか教えてやるぞ」
「はい、もちろん」
車はジムへと向かう。これからまた練習だ。試合間近なので、軽めの内容で密度の濃い練習を目指す。
「覚悟しろよ」
伊吹は誰にも聞こえない声でひとりごちた。
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