帰って来た男
彩音がマネージャーになっていくらか経つと、思い出したように新堂が練習に顔を出した。
新堂が姿を消すのは珍しくないのか、他の部員が自然と声をかけてくる。
「久しぶりだな」
「ああ、北極まで修行に行ってたんでね」
軽口を叩きながらバンテージを巻く金髪。先日に見せた、どんよりとした空気は無くなっていた。
「ずいぶんと長いこと修行とやらに行っていたんだな、おい」
知らぬ間に顧問の菊池が立っていた。
「あ、すんません。監督」
新堂が立ち上がって頭を下げる。菊池は顧問の教師だが、ボクシング部員は少なくとも部活中に菊池を「先生」とは呼ばない。それがここの伝統だった。
いくらヤンチャな新堂とはいえ、菊池には頭が上がらないようだった。
「しかしお前よ、試合前にはこの頭もどうにかしないとな。つまんねえことで失格になりたくないだろう」
菊池は神童のくすんだ金髪を軽く引っ張った。アマチュアボクシングは色々とルールが厳しく、髪を染めたり、長髪やヒゲが原因で失格になる場合もある。面倒だからと丸坊主にしてしまう選手も存外に多い。
「はい、そりゃもちろん。試合になったら爽やかイケメンになって全国のJKを俺のトリコにしてやります」
「何がトリコにしてやりますだ。練習せんかい!」
菊池は芸人よろしく「うあああ」と頭を抱える新堂の頭を軽くペシペシとはたいた。このやり取りは前からあるようだった。
「とにかくだ、お前は練習が足りん。伊吹ぐらいストイックにやってみろ。マジで全日本だって夢じゃないぞ」
「はい。とりあえず本気でやります」
新堂はどこか棒読みで答える。菊池は一瞬だけ「こいつは……」と苦笑いしてから「気合入れろよ」と新堂の背中に張り手を入れた。新堂は「あぐう、いてえ」と言って背中をさすっていた。
「……ちゃんと戻って来たんだね」
彩音が声をかけると、新堂は「ん?」と一瞥してから頭を掻いて答える。
「ああ。あのままふて腐れていても何も始まらないからな」
「良かった。ちゃんと戻って来てくれて」
「ああ。あの後冷静に考えたら、伊吹が俺にムカついているのもしょうがないなって思った。あの時叱ってくれたから気付けたよ。正直なところ、言われた直後は結構ムカついていたけどな」
新堂が笑う。もう一度頭を掻きながら、その先を続ける。
「その、なんつうか、悪かったな。というか、ありがとうか、この場合。あの時は重圧やら怒りやら、色んなものが俺の中で渦巻いていた。そんな中で発破をかけられたから『また頑張ろう』ってなったんだと思う」
そう言うと、新堂は立ち上がって咳払いをした。
「そういうわけで、今日からよろしく。俺は新堂零。未来の世界チャンピオンだ」
「よく言うよ」
彩音は思わず笑ってしまった。
少し前まではこの世の終わりみたいに打ちひしがれていたのに、目の前の男はあっという間に全回復している。良くも悪くも、これだけ図々しいメンタルを持っている人間はそういない。
「わたしは日崎彩音。それじゃあわたしは、未来の世界チャンピオンを支えたマネージャーってことになるのかな」
二人で笑う。他の部員がその光景を見て「ラブコメはやめろ」だの「彩音ちゃんはみんなのもの」だの好き勝手な野次が飛ぶ。体育会系でありがちな光景だ。
伊吹も遅れて部室へやって来た。
緊張が走るかと思ったが、自分から新堂に「よう」と挨拶すると、そのまま練習の準備をしはじめた。あまり根に持つタイプでもないらしい。
いくらか遅れは生じたものの、期待の新入生が本格的に復帰した。
これから伝説が作られる――なんとなしに、彩音の中ではそんな予感がした。
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