箱入りJKの秘密計画
――もう、何年も前の5月。
高校生になって間もない日崎彩音は、水面下で秘密の計画を実行しようとしていた。それは、ボクシング部に入部することだった。
彩音は元々いいところのお嬢さんだった。父親は某有名広告代理店の部長で、母親は貿易会社で5カ国語を駆使しながらトレーダーをやっている。
金持ちの家庭に生まれた彩音は、なんでも完璧にこなす姉の優那といつも比較されてきた。
優那はマンガから出てきたような完璧美少女だった。幼少期から街を歩けば誰もが振り返り、軽く一瞥しただけで男子の一人一人がそのハートを撃ち抜かれた。
勉強では全ての教科で満点に近い点数を取り、スポーツも万能。絵もピアノも得意としており、異世界から転生してきた疑惑が出るほどの神童ぶりを発揮していた。時々、本当にこういった人間が本当に存在する。
彩音も賢く色々と特技はあったが、いかんせん姉の出来が違い過ぎた。偉大過ぎる兄や姉を持つ者にとって、その存在はしばしば人生に乗せられた重荷になる。
人々もそれを理解していたせいか、彩音はいつも周囲からどこか気を遣われていた。それを本人が感じないはずがない。
何も言わないが自分をどこか姉の二級品のように見つめる視線――その色眼鏡は、静かに彩音を傷付けてきた。
今通っている高校も、高い入学金さえ積めばそう苦労せずに入れる高校だった。彩音は推薦入学で競争のプレッシャーも無く高校入試を終えていた。
別に学力が足りないわけでもない。成績は良かったから普通に挑めば普通に受かるはずだった。
だが、両親はどこか彩音を守ろうとしているように感じていた。それは挫折からなのか、それともどこかに潜んでいるありがちな不運からなのかは分からない。どうあれ、彩音はそれらの援助を過保護だと感じていた。
「わたしだって、やる時はやるんだって証明してやるんだから」
彩音は誰にともなく呟く。
常に姉と比較され、箱入り娘のように扱われ続けることにすっかり飽きていた。
彩音は誰かと競うことに憧れていた。それはゲームでも芸術でも、はたまたスポーツでも良かった。ずっと実力とは関係なく、見えざる手で勝ち組のポジションに据え置かれる人生が続いたことに飽きていた。それはゲームの無い人生と全くの同義だった。
最初は得意のピアノで頂点に立ってやろうとしたが、本気で音大を目指すレベルの連中を見て一瞬で諦めた。あれは全く別の生き物だ。どう足掻いても勝てるビジョンが浮かばなかった。
それならば勉強ならどうだと思ったが、勉強で全国模試1位を目指すのはあまり燃えなかった。勉強自体は好きだったが、競うものではないという考えがあったからだろう。
色々と挑戦したいものを探していて、行き着いたのはどうしてかボクシングだった。
その理由は単純で、去るオリンピックのボクシング競技で、金メダリストに日本人女子がいると知ったせいだった。
ボクシングといえば言わずと知れた格闘技だ。殴り合いをスポーツにした、異質な競技でもある。到底お嬢様が手を出すようなスポーツではない。
だが、逆に彩音はそこに惹かれた。
人生で誰かと本気で殴り合うなど、当然のことながらやったことはない。殴られれば痛みを感じるし、場合によっては生命の危機にさらされることだってある。
通常であればそこに恐れ慄くものだが、彩音はそんな危険な香りに強い興味を持った。ジェットコースターに乗ってみたいと思うような、スリルを味わってみたい感覚だった。
親に隠れて、ネットの動画でボクシングを観た。そこから始まり、有名格闘家の主催する素人同士を闘わせる番組にものめり込んだ。自分とは全く別種の人間達が集う、荒くれ者のサファリパーク。そこに強烈なワクワク感を抱いていた。
お嬢様育ちだから、そんな動画を観ているのがバレたら今後格闘技動画を禁止にされかねない。それを理解していたので、隠れキリシタンのように男達のぶつかり合う動画を観ていた。その内、多くの格闘技好きの脳裏に訪れる思考が彼女にも到来する。
――わたしも、これをやってみたい。
彩音がそう思うのに時間はかからなかった。
だが、当然そんなことを言い出せば家族が止めるに決まっている。両親は仕事の業界ではともに有名人。世間で言えばセレブに近い人種だと聞いている。
姉の評判に累が及ぶ可能性もあり、両親はボクシングなんてやらせないだろう。それぐらいは世間知らずの彩音でも分かった。
だから密かにボクシング部へと入部することにした。優秀な成績を収めて既成事実さえ固めてしまえば、後はなし崩しに出来る――何でも出来てしまう姉と比較され続ける彩音が人生を通じて覚えた戦術だった。
うまいことボクシング部に入部して、頭角を現したらさすがにカタブツの両親でも止められないだろう――いくらか少女離れした打算で、彩音は自身の野望を果たそうとしていた。
体育会系の部活動の部室が並んだ棟。ボクシング部の部室前までやって来た。後はこの扉さえ開けば夢の国が待っている。
「いざ、尋常に勝負」
誰にともなく呟く決意。気持ちは闘いに赴く侍さながらだった。その先へ続く道は平坦などとは程遠く、ひたすら険しいだけの修羅の道である。どうあれ、この先に退屈なお嬢様とは別世界の人生が待っている。
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